だらだら日記goo編

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絵を観る喜び極まれり

2006-09-28 22:17:02 | アート・文化

なんと優雅な女性像だろうか!

ルノアールの描く「ロメーヌ・ラコー」とかクールベの「ロール・ボロー」とか、ファンタン・ラトゥールのルロール夫人とか、絵を観る喜びここに極まれりだ。

Juneさんからいただいたチケットで森アーツセンターの「クリーブランド美術館」の展覧会を観に行くが、読売がこの秋主催する、西洋美術館、損保ジャパンとこことの三大展覧会では最もインパクトの強い展覧会だ。

クリーブランド美術館は1916に開館して1971に増設して、今また三百億円をかけて2012の増館を目指しているという、そこからの約六十点が着ているがほとんどが日本初公開なのもよい。

モネの作品もよい、「春の花」など自然の美しさをそのまま表現し、「赤いスカーフ、モネ婦人の肖像」は窓の外の雪景色に婦人を描いたものだが、婦人は描かれてすぐになくなってしまったという。

彫刻作品がたくさん来ているのもいい。

ドガは生前彫刻を一点しか発表しなかったというが、死後にアトリエから見つかった作品だ。

ロダンはたくさんある、有名な「考える人」はよく観れば右ひじを左のひざの上においていていささか不自然な姿勢だ。

藝大美術館で回顧展があったバルラッハもきているし、ミンヌもある。

再び絵画に戻ればピカソ二十歳の厚塗りの作品「ケープを纏った女」は貴重だ。

ピカソは1900年パリ万博で始めてパリに来たというがそのころの作品だ。

抽象絵画を切り開いたモンドリアンは三点展示され、具象から抽象の流れがわかる。

展示数は六十点と少ないがかえって一点一点ゆっくり鑑賞できる、ちょうど森美術館がやっていないこともあって観客も少ない。

カタログは2500円と高い感じもするがよそに巡回しないのだからその分割高なのだろう。

贅を尽くしたような展覧会だ。


絵を通して人生観を語る

2006-09-26 22:18:09 | アート・文化

これは単なる名画展を超えたすばらしい展覧会だ。

藝大美術館の「NHK日曜美術館30年」を記念した展覧会、有料なら行く気持ちもなかったが、またインターネットミュージアムさんから招待券が届いたのでどんなものかいってみる、すばらしい、文化人や他の芸術家の眼を通して絵画が語られているのだ。

たとえば遠藤周作はルオーを取り上げる、ルオーの絵に見られるイエスは「みんなと一緒に肩を並べて道を歩いてくれる同伴者」イエスだ。

青の時代のピカソを語るのは五木寛之だ、五木は旧約の「蒼ざめた馬」を引用して「ピカソの青の時代の青も、悲しみだけでなく何か人間に対する信頼のようなものを背後に持っているような気がします」と語る。

夭折の画家関根正二を取り上げたのは今東光だ。

「関根のバーミリオン」という言葉があるそうだ、朱を使った関根の作品だ。

バーミリオンは高い、だから「信仰の悲しみ」の女性五人のうち朱の色は一人だけだ、あとはお金がないから朱は使えなかったのだという。

ルドンを取り上げるのは武満だ、「ルドンは絶えず母性というものに憧れ母性を求めていたんじゃないかと思います」と語る。

こういう解釈がどこまであっているかはどうでもいいことだ、大切なのは絵を眺めながら文化人の人生観がそこに浮き彫りになっていることだ、これが大切だ。

池田満寿夫は棟方の版画の中に「あらゆるものの中に神が宿っている、人間が宿っている」と評し、熊谷守一を取り上げた画家は「九十歳になってこの形に到達したということは大変なことだ」と評する、「シンプルなものほど難しい、いらないものをどんどん取り除いていった姿だから」と説得力ある説明をする。

さらに展示はアトリエ訪問で、岡本太郎だの三岸節子だのへとおよび、さらに「知られざる作家へのまなざし」と題して、奄美大島の田村一村や、三鷹で回顧展が開かれた高島野十郎やら小泉清へと及ぶ、この小泉清というのははじめて聞くが、小泉八雲の子供で三歳で父を失い西洋的追及と東洋的解脱のはざまに苦労した画家らしい。

会場にはテレビのダイジェストも六箇所放送してあってテレビ放送の部分はきちんとカタログに文字として収録されてある。

今年一番の展覧会かもしれない、これから全国巡回乞うご期待。


本日の成果

2006-09-22 22:01:58 | アート・文化

今日は多摩センターにある多摩美術大学美術館へ行く。

展示はどうということはないが、ここへ行くのは別の目的がある、美術館の招待券がたくさん置いてありそれをもらうためだ。

今日頂戴したのは横浜美術館「アイドル」、県立神奈川近代文学館「俳句ーその魅力」、古代オリエント博物館「シルクロードー華麗なる植物文様の世界」、八王子夢美術館「現代日本画名作展」のチケットだ。

特に八王子のは市政九十年記念ということで力が入っている、先に書いた平櫛田中美術館と同じく五つの新聞社が後援している。

で、この展覧会チケットを二枚もらいましたのでほしい方に一枚差し上げます。

連絡先を書いてメールをください、確実にお送りします。


祈りの力

2006-09-20 22:13:56 | アート・文化

僕は信仰を持たないが、信仰を持つ人々のあのパワーはどこからでてくるのだろう。

それは結局祈りがその人の生活の一部ではなく生活のすべてだからなのだろう。

カーバ神殿でアラーに祈る大群衆、その姿を見ているとそう思えてくる。

写真家野町和嘉については特に説明は要らないだろう。

彼のイスラムの写真展が武蔵野市吉祥寺美術館で開かれている、入館料は百円、「ぐるっとパス」ならただだ。

今回の写真展はメッカ巡礼のよく知られた写真とともにイランのシーア派独特のイマーム廟巡礼というやや珍しい写真の二部構成の展覧会となっている。

当然後者が面白いので後者をとりあげる。

シーア派は常にスンニ派との戦いの中にあった。

シーア派の人々にとって第三代のイマームホセインの殉教が最大の出来事であり、自分のシネつまり胸を打つ「シネ・ザニ」や、鎖つまりザンジールでわが身を打つ「ザンジール・ザニ」で人々は悲しみを表現する。

しかしモスクの景観は美しい、その外壁装飾や天井の装飾はすばらしい。

モスクの天井ドームの反響音はものすごく、大勢でコーランを読むと大音響になるという。

ペルセポリスの写真もある。

大階段は乗馬したまま乗り降りできるようなつくりの階段であり、アパダーナ東階段のレリーフ「牝牛を襲うライオン」は長い間土に埋もれていたため破壊を免れたという。

「エスファハーンは世界の半分」とアッバース朝にはいわれた。

彼らの信仰では第十二代イマームが世界の終わりのときに救世主となるのだそうだ。

展示は写真約六十点一点一点解説がついているし、野町の業績を収めた清里フォトアートミュージアムの「祈りのかたち」というDVDも見ることができる、十分に堪能できる展覧会だ。


彫刻界の奇才

2006-09-19 22:11:00 | アート・文化

ともかく小さな美術館の企画展としては後援がすごいのだ。

読売新聞東京本社、朝日新聞立川支局、毎日新聞多摩総局、東京新聞、産経新聞多摩支局ー。

さらにチラシもすごい「横山大観に「天才」と称られた人」

どんなものだか知りたくて有料展覧会には行かないと下に書いたにもかかわらず五百円払って、小平市平櫛田中彫刻美術館へと足を運ぶ、秋の特別展「佐藤朝山」の展覧会だ。

日本橋三越のホールを飾る「天女像」-まごころぞうと読むーで知る人は知っているかもしれない、しかし、田中のような恰幅のよい大胆な彫刻を期待するとひどいめにあう。

この人はフランスでブールデルに学んだということだが、その造形はきわめて端正だ。

小さな動物ものに優れた作品を残す。

カタログから引用すれば「昭和二十年代後半に創作された一群の動物を主題とした彩色木彫は、いずれも木彫りのヴィルトゥオーゾともいうべき技巧の冴えがすばらしく、時代の風潮に惑わされず、自らの理想とする境地を追求した作者会心の作であろう」

後援が多岐の新聞社に渡るせいか、国立博物館、芸術大学、国立近代美術館、山形美術館、高島屋史料館ーありとあらゆるところからこの人の作品を借用してきた感がある、戦争で作品が消失して回顧展の実現が困難というから、この人のファンには見逃せない展覧会だろう、会期中10/22まで無休というのもいい。

この田中美術館は、田中のアトリエもそのまま残っており、田中の使ったベッドやら車椅子も保存されているのがいい。

再びカタログに戻ると大観は朝山を評して「朝山とは会わないほうがよい。立派なのは朝山の芸術であって人物ではない」と語ったという、やはり朝山は奇才というべきだろう。

そのカタログも力が入っていてどれだけ売れるかは知れないが資料集の価値はある。

田中美術館は西武多摩湖線一橋学園から徒歩十分、興味ある方はどうぞ。