だらだら日記goo編

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ホイットニー女史の英断

2005-08-30 23:39:52 | アート・文化
日曜日は府中市美術館「アメリカホイットニー美術館コレクションに見るアメリカの素顔」に。
アメリカというのも不思議な国だ、歴史が浅いということもあろうが自国の美術には価値がないものと感じて、ヨーロッパの美術をせっせと集めていたのだ、メトロポリタンがそうだ。
そこにホイットニーという変わり者がいた、自国の無名の作家の作品をせっせと集めていたのだ。
それをメトロポリタンに寄贈しようとしたら断られた、それならと自分で美術館を立ち上げたのだ、ホイットニー美術館1931開館ちなみにMOMA1929開館だ。
確かに当時の美術品を観るとまあぱっとした作品ではない。
「ピッツバーグ」1927はいかにも重工業都市という風情の作品だし、「ニューヨークの室内」1921は少女がただ後ろを向いているだけとの印象を受ける。つまりは即物的で精神性に乏しい。
しかしその即物性から、現代の人気アメリカ作家、たとえばウォーホルとか、リキテンスタインとかが巣立っていったのだから、ホイットニー女史の決断は英断だ。
そんな作品の中から謎賭けみたいなのを二つ。
ナウマンの「第二詩篇」1969はただの黒い四角かと思いきやなんか文字が書いてある。
「you may not want to screw here」と書かれた列があれば「you want」と書かれた列もあれば「you may not want to hear」とかかれた列もある。
こういう言葉遊びみたいなので18の列が並んでいる!
もう一つラウシェンバーグの「スフィンクスのアトリエ」1998は三メートル四方の大作だ。
スフィンクスも書かれてあるは、何か作業する人もいるは、「レストラン」の文字はあるは、漢字まである。
で、全体として何を言いたいのか判らない、鑑賞者が読むとけということか。
出品作品は全部で46と少ないが、こういう大作があるからアメリカ美術は面白い。
精神性などむしろ持ち込まないのが逆に小気味よい。
ちょうど夏休み最後の日曜ということで、常設展示もあわせて学校の宿題をやりに来てメモしている子どもが多かったのはほほえましい。
さあ、もう季節は秋、芸術の秋だ、今度はどこの展覧会に行こうか。


京の優雅

2005-08-27 21:15:08 | アート・文化
この前京都に行ったのはいつだったろう、まだ美術に関心のない頃だった。
往復航空券とホテル代のみがパックになっているお得な料金のやつでよく通った。
京都の深い伝統ーそれはその頃の僕にはよくわからなかったがー。
日本橋高島屋で「京の優雅ー千總コレクション」を見る。
なんと1555年に開業した老舗の中の老舗である。
武家の婦人たちが着用していた京友禅は特に女性にはたまらないだろう。
源氏や伊勢物語の場面が描かれた友禅とか「海老飾り」の豪華な一点とか。
しかし男性の僕の興味を引いたのは画家と商家の結びつきという点だ。
万博にもいろいろと出品していたこの商家は幕末、絵師が後ろ盾を失うと友禅の染物の原画に画家の手を借りることを思いついたのだ。
会場には屏風絵も展示されていたが、それを描いた絵師たちが友禅の原画にトライしたのだ。
その代表が岸竹堂であり、又琳派を受け継ぎつつ、アール・ヌーボーにも学んだ神坂雪佳であった。
カタログを見ると円山応挙の屏風絵も京都会場では展示されていたようであるが、日本橋高島屋では無理、展示品が少ない。
総じて京都の展覧会カタログは分厚いが、それだけ歴史と伝統があるということなのだろうーカタログ二千円でその雰囲気を味わう。
さてこの展覧会を見たその足で相田みつをの展覧会へ。
「週刊金曜日」の「読んではいけない」なるおせっかいなコーナーに佐高信がみつををあげていたが本当に余計なお世話だ。
さてそのみつを美術館の次回の企画展覧会は仏像だという。
みつをは、奈良京都の仏像の写真をアトリエに飾り、それと対話した作品も多いという。
まあ「正法眼蔵」を愛読書としていたみつをのことだ、ありそうな話だ。
京都の深い伝統を受け継ぐ人物が又一人ー楽しみにしたい。


今上野が面白い

2005-08-23 23:46:08 | アート・文化
さすがはルーブルだ、今日ばかりは圧倒されうなるしかなかった。
ルーブル美術館所蔵「古代エジプト」の展覧会に東京都美術館へいってきたのだ。
そんじゃそこらのエジプト展とはわけが違う。
会場はいるとまずナポレオン像がお出迎え。
それもそのはずエジプト学はナポレオンのエジプト遠征ではじまつたのだ。
ナポレオンの遠征が1788-1801,ルーブルのエジプト部門の開設が1826だ。
ナポレオンのエジプト遠征の遺物は現在大英博物館に所蔵されているようだ、ルーブルにエジプトの文物の収集を勧めたのはエジプト文字の解読者シャンポリオンだ。そしてマリオットという、古代遺跡を保護した人物も生まれ、ルーブルのエジプト文物の所蔵は今や55000にもなるという、そこからの選りすぐりの展示だ。
展示解説もまたすぐれている。
「正面向きの女性のレリーフ」が取り上げられる、普通人物像は横顔向きが多い、いわれればそうかと気づく。
古代エジプト人はかなり発達していた、「指輪」や「かつら」まで用い、異国人に労働させ、パンとワインを食していた。
官僚組織と行政システムも発達し、「書記」になることはエリートで高収入の道であり、そのために養成学校まである。
会場には当時の集合住宅の間取りまである!
つまりこの展覧会はとかく、ファラオだのミイラだのが強調されるエジプト人の当時の生活を浮き彫りにする。
無論来世への信仰はエジプトを語るのに欠かせない、「死者の書」やミイラを入れる棺も展示される。
しかしエジプト人がなぜ来世にそんなにこだわったか、すべてはナイル川と太陽にあるという。
没しては又上る太陽、そこにエジプト人は来世の復活を見たのだと。なるほどとうなづかざるを得ない。
神の解説も丁寧だ、オシリス、イシス、ホルスーキリスト教の聖母子の原型がここにはある。
キリスト教といえばコプト語で書かれた福音書も展示されるのは丁寧だ。
総じてエジプトの代名詞吉村作治さんがまったく登場しない、むしろ古代オリエント博物館などの研究成果が反映される質の高い展示だ。
惜しむらくは会場に休憩所がないので、無神経に係員のいすに腰掛けるおばさんもいる。
それはともかく今上野は、ドレスデン展、模写模造展と質の高い企画がそろっている、ぜひ足を運んでほしい。


宗教という名の偽善

2005-08-21 23:48:48 | アート・文化
今日は思い立って八王子の山奥の富士美術館に「キャパ兄弟」の展覧会を観に行く。
創価大学の目の前に堂々たる建物ー山奥によくつくったものだ。
いろんな彫刻がお出迎え、レストランだのなんだのにぎやかだ。
ロバート・キャパについては今年春写真美術館でも展示をやったし、三越でも展覧会があった。
戦争カメラマンということで多くの言葉を必要とするまい。
まあ紛争があるところあちこち飛び回ったものだ、スペイン戦争はもとより、中国は行く、イスラエル建国は訪ねる、当時のソビエトをも訪ね、社会主義教育を写真におさめる。
面白いのはキャパの言葉で戦争が終わると「戦争カメラマン、ただいま失業中」という名刺をつくるかと思えば、ヒロシマの核兵器を知ったとき「戦争カメラマンという仕事は永遠に終わりだ」とも語ったという。
弟コーネルキャパは兄と反対に平和を主題にしたというが展示には反映されない。
ラテンアメリカの貧困層を撮った写真が展示されるだけ。
で「資料室」にはそのコーネルキャパから池田大作に贈られた写真も展示される。
僕は宗教に関心はない、創価学会が平和を主張するのも別に問題はない。
しかし「平和」の名の元にいかに多くの戦争が行われたことか。
この美術館では以前「ロバートキャパー戦争と子どもたち、そして9.11」なる展覧会も催された。
今でも「平和」を掲げる宗教団体による戦争は絶えないのだ、こんな立派な美術館を創る金があるならほかの事に回したらと思う。
気を取り直して所蔵品の展示コーナーに、またラ・トゥールと出会う!
「煙草を吸う男」だが顔が少女に見えるのにびっくり。
中庭に出ると池田大作が「ブラスナー夫妻を記念した」桜とかわけのわからんものがまたある。
この美術館は僕には合わない、図体だけでかく中身は薄っぺらだ。


パリの夜に魅せられて

2005-08-18 23:27:52 | アート・文化
夜間開館を利用して写真美術館へ行く。企画展示「ブラッサイ」と所蔵展示「写真はものの見方をどのように変えたかー再生」だ。
ここでは「ブラッサイ」の展示について触れよう。
ポンピドーセンターからの出品ということだが千円も取られる割に出品数が物足りない。
まあそれはいいとして、この夜のパリに魅了された芸術家の素顔が良くわかる。
代表作はビル・ブラントが「あらゆる写真の中で最も詩的」と評した「霧の中のネー元帥像」、霧のかなたにHotelの文字が浮かび上がる。
「地下鉄の通路」はいかにもパリ的だし、光あるところにやみあり、「連れ込み宿」「失業者」も芸術家のレンズはのがさない。「モンマルトル」は当然のように映す。
シュールレアリズムとの関係も微妙だ、ブルトンの「ミノトール」誌に151枚写真が掲載されたとか。
「パリの地下鉄の入り口を見たことありますか」なる奇妙な写真とか「状況的魔術ー芽の出たジャガイモ」とか。
この雑誌にはヌードも掲載したが、この芸術家のヌードはモデルの顔がまったく見えないところが特徴だ。
あとは素描とか彫塑作品とか「落書き」とか。
ずーっと眺めて、ほとんどの写真が1932ごろに撮られたものだと気づく。
この年に芸術家は集中して写真を撮ったのか、ポンピドーセンターの都合なのか。
お粗末なのはカタログでまだできていない上に1万いくらもとられる!
ミュージーアムショップで1990に開催された写真展のカタログを二千円で販売していたのでそれを買う。
こちらのほうがブラッサイ自身の言葉や岡本太郎の寄稿などがあってずっとよい。
三階の所蔵展示は日本の写真家が戦争とどう向き合ったかという主題。
海外の写真家も加えればもっとよかったろう。