だらだら日記goo編

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30年を振り返って

2007-10-28 22:03:43 | アート・文化

今回の展覧会カタログには面白い資料が付いている。

各展覧会ごとの延べ来館者数と一日当たり平均の入館者数だ。

これが板谷波山のような有名な作家だと一日当たり1064人を数えるが、熊倉順吉という名前も聞いたことのない作家だと一日当たりわずか85人だ。

展覧会人気を知るのにも面白い。

国立近代美術館は工芸館の「開館30周年記念展」に足を運ぶ。

もともとは取り壊される運命にあった近衛師団司令部庁舎だが、1972重要文化財に決定されて工芸館として生まれ変わることになる。

展示室の設計をしたのは山種や出光の設計もした谷口吉郎だ、工芸館の中に「展示和室」があるが、彼の創案だという。

そればかりか谷口は美術館本館の三階にも和室を設けることを提案したが当時の美術館関係者の猛烈な反対にあって断念したという。

もし実現していたら近代美術館はどんな趣になっていたか興味をそそられる。

さて展示はこれまでの展覧会を回顧するという形で進められる。

それぞれの展覧会の代表作を所蔵品から二三点出すという形だ。

戦後工芸は落ちぶれて行ったが、1954の重要無形文化財の制度が工芸を回復させたことも知る。

富本憲吉といった有名どころでは1991の回顧展図録が資料もそろっていてその後の富本研究の基礎になったとか、しかしこの回顧展は一日当たり来客238人とあまりふるわない。

そして現代へと至るが何といっても吉田良という人の「すぐり」という作品は不気味だ。

若い女性をあらわしたようだが人毛にガラス義眼を使った生きているような作品だ。

小名木陽一という人の「赤い手袋」は人がその下をくぐれるほど巨大で何を意味したかったのかは不明。

「友禅 森口華弘の技」というビデオもやっており、なかなか楽しめた。

これで三百円は安いと思った。


館内撮影OKです

2007-10-24 22:04:44 | アート・文化

館長が変わるとはこういうことなのだろう。

岡本太郎最大の理解者岡本敏子さんが亡くなられて、岡本太郎記念館は変わった。

現代美術家による岡本太郎へのオマージュ展などが開かれるようになった。

昨年の秋には「太郎の中の見知らぬ太郎へ」という展覧会が開かれたという。

で、記念館のアトリエ部分はいつもはキャンパスで覆われて棚の奥は見えない状態なのを、その展覧会開催のために棚の奥まで整理する必要があっていろいろなものを取り出していたらその作品が見つかったという。

「電撃」だ。

今までは退色した絵葉書が一枚残るだけの幻の作品だったという。

岡本の代表作「夜」と同じ年に描かれた作品。

人の顔をした崖の上で雷に撃たれて男が倒れるという作品だ。

さて「夜」は岡本がパリ時代に参加したバタイユ主催の秘密結社「アセファル」と関係の深い作品というが、ではこの「電撃」にはどんな意味が込められているのであろうか。

しかしこの記念館はカメラで館内どこでも撮影OKというのがよろしい。

お世辞にも狭い展示室で600円も取られるのだが、絵は触ろうと思えば無造作に触れるし、監視員もいない。

こういう伝統は岡本敏子さんの意思をついでのものだろう。

言い換えれば展示のコンセプトは変わったが、お客様への姿勢は変わらない記念館なのだ。。

近くにはもうすぐ再オープンの根津美術館、新しくできた秋山庄太郎の写真館もあり、表参道もアート好きにはまたたまらない。


ラピスラズリの青ー時が美となった瞬間

2007-10-19 22:22:03 | アート・文化

展覧会を観て薬をもらいに医者に行く途中、ハンバーガーショップに立ち寄ったら店員さんが「フェルメールいってらしたんですね、どうでした」ときいてきた。

とりあえず「たいして混んでなかったですよ」と答えておいたが、やはり普段は美術に関心のない人も魅了するものがあるのだろうーたった34点しかないフェルメールの作品、そのうち「牛乳を注ぐ女」が日本に来ているのだ!

国立新美術館、「「牛乳を注ぐ女とオランダ風俗画展」に足を運ぶ、東京新聞からもらったチケットは有効期限があるのでさっさと行かなくてはいけない。

なぜ「風俗画」なのかというと17Cのオランダでは市民階級が台頭したからなのだ。

例えば、ヤン・ステーン、「ステーンのような家」と今でも言うそうだ、陽気で朗らかな家族。

オランダ風俗画を序章にさていよいよ「牛乳を注ぐ女」と対面。

フェルメールは黄金に匹敵するラピスラズリの石を使った。

そして簡素な構図の中に光がきらきらと反射していた。

僕はこんな絵を観たことはないーずっと前から考えている「時が美となる」瞬間とはこういうことをさすのではないか。

そんなことを考えつつ次のセクションフェルメールと音楽。

フェルメールの作品の三分の一には楽器が登場しているという、その紹介。

それから版画とか素描とか。

レンブラントも出ている、レンブラントが女性のヌードを版画で彫ったとは初めて知った。

展示はまだ続き19Cのリアリズムの風俗画まででてくる。

ぼくも名前は知っているハーグ派の画家、ヨーゼフ・イスラエルスなんかが17C風俗画に目を向けたようだ、ヨーゼフは貧しい暮らしを理想的に美化し、その子供イサークはオランダの印象派を先導したという。

国立新美術館の広い会場でこれでもかこれでもかと素敵な絵画に出会えて大満足、それにしても魚の登場する絵が多かったな。


絵画展か、版画展か、写真展か

2007-10-16 22:02:40 | インポート

この展覧会にも山形美術館から多く出品されていて驚いた。

相当なコレクションなのだろう。

しかし展示方法は疑問がいっぱいだ。

上野の森美術館「シャガール展」のことだ。

「写真家イジスのとったシャガール」と副題が付いているように写真も多く展示されるのは良い。

しかしシャガールの版画作品については疑問だらけだ。

「ポエム」が展示される、名前の通り詩がなくては意味がないが、展示では詩をみな省略しているのだ!

カタログに申し訳程度に載せているだけ。

「聖書」もたくさん展示されるが「預言者」とせず「予言者」と訳すのはいかがなものか。

神の言葉を預かっているから「預言者」と表示すべきだろう。

「ダフニスとクロエ」も説明が乏しい。

そのほか「サーカス」「アラビアンナイト」と五つの版画が展示され、油彩画がそれを補い、イジスの写真がちりばめられる。

油彩画は展示16の「燃える花束」がかれん極まりない、シャガールの世界を満喫する。

さてメインの写真はイジスという人は1911リトアニア生まれで1949にシャガールと出会ったそうだ。

予備校を展開する東京アカデミーがこれらの写真を収集したというのが面白い。

年代的に言って最愛の妻ベラはもういない、1952に二番目の妻となったヴァヴァが写真に登場する。

いろいろな写真があるがやはり圧倒的なのはパリオペラ座の天井画の写真だ。

モーツァルトセクション、チャイコフスキーセクションなどと分かれていてなかなか興味深い。

この展覧会に千円払う価値があるかどうかは疑問だが、貧相なカタログ千五百円を買うと、今月末から東急本店で開かれる彫刻の森コレクション「巴里に魅せられた画家たち」の招待券が付いてくることだけ申し添えておこう。


ギメ美術館展なんかよりもー

2007-10-12 22:40:09 | アート・文化

出品作に歌川広重の「童遊ひ見立ほふづき」がある。

ほおずきを子供が遊ぶ姿に擬人化したものだ。

なんでこんな絵が描かれたのかというと天保の改革で遊女絵や役者絵の出版が禁じられたから、出版元は子供絵や戯画を多く出版したのだという。

わかりやすい解説だ!

浮世絵初心者の僕にもよくわかる。

広重は「海案寺紅葉」も珍しい。

絵つきの便せんでもともと実用品のため遺品は極めて少ないという。

こういう珍しい品々がアメリカはミネアポリスから里帰りしていて、今渋谷の松濤美術館で展覧会を開いている、入館料はわずか三百円、これは行くべきだ!

順を追ってみてみるとまずは作画期はわずか十年という鈴木春信がよろしい。

山水画の「八景」を室内に置き換えて「座敷八景」をあらわして有名だが、「水売り」という作品もある。別に水だけを売っているのではなく冷や水に砂糖と白玉を入れたものを売っているのだという、当時が偲ばれる。

鳥居清長はどうか、鳥居派は役者絵だが清長は美人画の大家だ。

「三囲神社の夕立ち」では、雷神様が煙草をふかしたり短冊を見たり、これは狂歌連の集まりをもじったものだという。

歌舞伎堂艶鏡なる聞きなれない人も出てくる、この人は七点の大首絵が確認されるだけだが写楽と何か関係するのだとか。

そして北斎だ、「諸国瀧廻」ではヨーロッパからのベロリン藍の鮮やかな青が目をひく。

北斎の花鳥画も出てくる、二種類あって十枚ずつ知られるとか。

そして冒頭の広重に戻ると「東海道五拾三次」の庄野は余り特徴のない宿駅で事実よりも創造性を重んじたのだろうとか、「名所江戸百景」の「両国花火」はコレラ大流行の死者の慰霊祭が始まりとか知っている人は知っているだろうが僕には興味深い。

今回は展示リストもきちんと用意されているし、カタログもコンパクトでよろしい。

少なくとも僕にはNHKが絡んで宣伝した某所のギメ美術館展なんかよりよほど楽しめた。