タリウム元名大生の判決は予想通り、不定期形に近い形での無期懲役刑が選択された。
医療刑務所での処遇を経て、20年と経たないうちに、おそらく社会に戻るだろう。
大丈夫、世の人は忘れる。川崎の多摩川の河川敷での殺人事件だって、もう話題にのぼらない。
刑務所は行ったことないが、おそらく、自分を見つめる時間がたくさんある。優しい人との出会いを、そして、社会に戻ったら、異性を真剣に愛して欲しい。
しかし、発達障害の影響で、自己防衛機能が働かない。
普通、法廷では、「もうやりません」とか言うものだが、発達障害者は、自分の感じることを素直に言ってしまう。
だから、「まだ、人を殺したい気持ちはある」とか述べちゃう。
しかし、仙台に帰った時、母親に「精神病院に連れてって」と言ったようだが、つまり、自分が異常だという認識はあった。それが、救いとも思える。
精神鑑定医が、3人登場したようだが、検察側の「発達障害の影響は限定的」という意見が採用された。
しかし、「人を殺したい気持ちをコントロールできない」と被告が述べることを鑑みると、重度の発達障害と理解するのが普通だろう。
ここは、裁判官も良く分からないところのようだが、DSMにおける「自閉症スペクトラム障害」は、スペクトラムを用いていることからも分かるように、軽い障害も、重い障害も、同じ障害名で呼ぶため、障害の「重症度」を、レベル1から、レベル3までで特定する必要があるのだが、僕の鑑定医もそうだったけど、それをやらない。
やらないで、判決文を書ける訳がなく、僕の、立川の裁判官も「良く分からないんですが〜」と仰られたが、分からないのに判決文を書かれた。
前も書いたかもしれないけど、DSM5は、まだ「移行期間」であり、先例がないので、先例に従えば、「広範性発達障害」の判例に基づき、障害が犯行に影響していても、責任能力を減免するものではない。という判例が採用されるのが普通なのだろうが、障害の程度を、レベルで判定するという、DSM5に従えば、当然、責任能力に差異が出るはずなのだ。
僕は、拘置所で、暇だから、DSMを通読したが、そうならざるを得ない。
しかし、繰り返すが、「移行期間」だから、勝手に、先例を変えて、新しい判断を示す訳にもいかないと。
ここに、司法の限界があるように思うが、当然、移行期間が終われば、新しい判例が出て、おそらく、この名大生も、医療刑務所での処遇も変わるだろう。
更に言えば、「遺族の悲しみに驚いた」というのも、要は、共感性のなさが、最重度と理解される。
周りがもっと早くに気づいて、適切な処置をしてあげれば、とも思う。
高校時代から、薬物に異様な関心を示した。という時点で適切な入院処遇が行われていたら、惨事は防げたように思う。
しかし、時間はまだある。社会に出るころにはおそらく、発達障害への理解が深まり、暮らし易い社会になることを祈る。
同じ、自閉症スペクトラム障害を持つ者として、いろいろ考える。
しかし、裁判員の方も、障害を理解されて、良い判断を示されたと思う。
障害者を排除しない社会の構築を切に祈る。
医療刑務所での処遇を経て、20年と経たないうちに、おそらく社会に戻るだろう。
大丈夫、世の人は忘れる。川崎の多摩川の河川敷での殺人事件だって、もう話題にのぼらない。
刑務所は行ったことないが、おそらく、自分を見つめる時間がたくさんある。優しい人との出会いを、そして、社会に戻ったら、異性を真剣に愛して欲しい。
しかし、発達障害の影響で、自己防衛機能が働かない。
普通、法廷では、「もうやりません」とか言うものだが、発達障害者は、自分の感じることを素直に言ってしまう。
だから、「まだ、人を殺したい気持ちはある」とか述べちゃう。
しかし、仙台に帰った時、母親に「精神病院に連れてって」と言ったようだが、つまり、自分が異常だという認識はあった。それが、救いとも思える。
精神鑑定医が、3人登場したようだが、検察側の「発達障害の影響は限定的」という意見が採用された。
しかし、「人を殺したい気持ちをコントロールできない」と被告が述べることを鑑みると、重度の発達障害と理解するのが普通だろう。
ここは、裁判官も良く分からないところのようだが、DSMにおける「自閉症スペクトラム障害」は、スペクトラムを用いていることからも分かるように、軽い障害も、重い障害も、同じ障害名で呼ぶため、障害の「重症度」を、レベル1から、レベル3までで特定する必要があるのだが、僕の鑑定医もそうだったけど、それをやらない。
やらないで、判決文を書ける訳がなく、僕の、立川の裁判官も「良く分からないんですが〜」と仰られたが、分からないのに判決文を書かれた。
前も書いたかもしれないけど、DSM5は、まだ「移行期間」であり、先例がないので、先例に従えば、「広範性発達障害」の判例に基づき、障害が犯行に影響していても、責任能力を減免するものではない。という判例が採用されるのが普通なのだろうが、障害の程度を、レベルで判定するという、DSM5に従えば、当然、責任能力に差異が出るはずなのだ。
僕は、拘置所で、暇だから、DSMを通読したが、そうならざるを得ない。
しかし、繰り返すが、「移行期間」だから、勝手に、先例を変えて、新しい判断を示す訳にもいかないと。
ここに、司法の限界があるように思うが、当然、移行期間が終われば、新しい判例が出て、おそらく、この名大生も、医療刑務所での処遇も変わるだろう。
更に言えば、「遺族の悲しみに驚いた」というのも、要は、共感性のなさが、最重度と理解される。
周りがもっと早くに気づいて、適切な処置をしてあげれば、とも思う。
高校時代から、薬物に異様な関心を示した。という時点で適切な入院処遇が行われていたら、惨事は防げたように思う。
しかし、時間はまだある。社会に出るころにはおそらく、発達障害への理解が深まり、暮らし易い社会になることを祈る。
同じ、自閉症スペクトラム障害を持つ者として、いろいろ考える。
しかし、裁判員の方も、障害を理解されて、良い判断を示されたと思う。
障害者を排除しない社会の構築を切に祈る。