だらだら日記goo編

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年暮れる

2007-12-29 22:03:10 | アート・文化

今年の展覧会巡りも日本橋三越「日本画「今」院展」の鑑賞で終わった。

なんでもイタリアのローマで横山大観が「日本美術展」を開催してから77年ぶりの海外展ということだ、パリの三越で開催された同名の展覧会の帰国記念だ。

大家の平山郁夫はいづつやさんも絶賛されていた「月華厳島」、青が素敵だ。

福王子法林はヒマラヤを雄大に描く画家だが、今回も「白光のヒマラヤ」が素敵だ。

出品者の中で最年長のご存じ片岡球子は面構えシリーズの中から1976のいささか古い「国貞改め三代豊国」をもってきた。

浮世絵が印象派に与えた影響を考慮したものだという。

こんな感じで三十数点が並び、会場では院展の歴史を振り返るビデオもやっていた。

さて、今年の更新は終了ということで、今年のベスト〇を選択すべきだろうが、今年は体調不良でよい展覧会を観てもどうもあとまで残らないので、今年はベスト〇の選出はやめます。

それより子供のころから内気な僕が今年は実際に人に会ったり、郵送を介してチケットをやり取りするようになったことが印象に残る。

実際お会いしたのはyumiさんと東京国立博物館で、Juneさんと国立西洋美術館と出光美術館の二回だ、お二人には心から感謝申し上げる。

チケットをお送りしたのは遊行さんJuneさんとは何度もやったし、あべまつさん、はろるどさん、yukoさんとどんどん広がってきた。

桂田さんにもお送りしたが、桂田さんとは実際お会いできるチャンスを逃したのが惜しまれる。

さて来年の始動は2日、江戸東京博物館を予定、北斎漫画の企画展示を観たいものだ。

というわけで今年もお付き合いくださりありがとうございました、ネットもいいものですね。


美術館での美術鑑賞終了!

2007-12-25 22:14:05 | アート・文化

今年の美術館での美術鑑賞は23日の新美術館「旅」展で終了した。

これは文化庁の「芸術家在外研修」制度開始四十年を記念して今までの研修生が「旅」をテーマに新作を発表するという催しだ。

実は我が家から新美術館までは実に近い。

この日も早く着いてしまってさて時間をどうつぶそうかと思っていたら、作家のトークの会があるという。

出品作家七名が各々研修先での思い出や作品に込めた思いを語るというものでそれに参加した。

僕の心に残ったのは今井信吾という作家だ。

絵は「音のない風景・25年・永代橋」という作品で女の子が四人描かれている。

実はこれは古い絵の焼き直しなのだという。

娘さんが難聴でどんな未来を歩むことになるのか当時非常に心配して娘さんの絵を描いた、それから25年、成長した娘さんをそこに重ね合わせたのだ。

今井さんには娘さんがもう一人いらっしゃるから25年前の娘二人と、今の娘さん二人を重ね合わせて四人というわけだ。

こういう話は実際画家さんにお会いして聞かなければわからない。

その難聴の娘さんも今は絵の道に進み、来年は個展をやるという。

トークの会の終了後のカタログサイン会で実際ご本人からおうかがいした。

これから「旅」展に行かれる方は、ぜひこのトークの会のある日を選ぶとよいと思う。

年明けの1/19,1/20のいづれも午後一時半からだ。

1/19は特に、絹谷幸二、田村能里子といった名前の知られた作家が出てくる。

というわけでなかなか面白かった今年最後の美術館だが、まだデパートがある。

日本橋三越、池袋三越、松坂屋銀座はチケット入手済み。

今年ももう一回くらい更新するかもしれませんのでよろしく。


響きあう宇宙

2007-12-21 22:25:20 | アート・文化

「花はただ咲く

ただひたすらに

ただになれない人間のわたし」

「花は自分の美しさを知らないから美しいのだろうか

知っているから美しく咲けるのだろうか」

この二点の類似に驚く。

あるいはより端的に

「この世はわたしがわたしになるところ」

「悲しみも苦しみもあって私が私になっていく」

それは仏教的世界観とキリスト教的世界観の類似といってもいいだろう。

どちらも前者は相田みつをの言葉、後者は星野富弘の言葉。

今相田みつを美術館で、二人の展覧会が開かれている、年末ということもあるし入館料が高いということもあろうし会場はガラガラ、しかし得るものは大きい。

相田みつをが仏教特に道元の教えにひかれていたことはだれしも知るところだし、一方星野は首から下の自由を失い入院生活をしていた時、三浦綾子の「塩狩峠」を読み、病室でキリスト教の洗礼を受けたという。

二人の世界に共通しているのは人生を「与えられた,gegeben」ものとしてみる姿勢ではなく「課せられた,aufgegeben」ものとしてみる姿勢だろう。

だから作品が必然的に似てくるのだ。

展示は二人の作品を交互に並べたコーナーと、みつをあるいは星野の作品だけを集めたコーナーに分けられる。

星野のビデオもやっていた。

母親が食事を口に運んでくれるのだが、手が滑って顔に落ちてしまった。

絶望のどん底にいた星野は「くそババア」といってしまったそうな。

そんな星野だから今はこう言えるのだろう。

「神様がたった一度だけこの腕を動かしてくれるとしたら母の肩をたたかせてもらおう

風に揺れるペンペン草の実を見ていたらそんな日が本当に来るような気がした」

絶望のどん底を味わい、信仰を持った人の言葉はやはり強くそしてまた優しい。

あるいはまたこうもいう。

「憎らしい人がいてもいい、退屈な毎日でもいい、明日が来てほしい」

そう、信仰をもった人の言葉には希望もある。

みつをについてはよく知られているからあえて触れない。

星野の世界をじっくりと眺められたことがとてもうれしい。

カタログも千円と安いのに写真も豊富で読みやすい。

この展覧会に出会えたことを感謝している。


二面性の写真家

2007-12-17 22:08:00 | アート・文化

梅原龍三郎は明らかに怒っているのである。

俺様にいろいろ注文付けてポーズ取らせて何事かという心境だったのだろう。

写真家もさぞ恐縮しただろう。

一方、棟方志功を映しては「近視は棟方芸術解明のかぎなのである」と鋭く指摘した写真家だ。

写真家、土門拳、その回顧展がいま武蔵野市吉祥寺美術館でやっている、土門拳記念館からの借り物という、百円で入れるのでちょっと立ち寄る。

土門が写真の道を志したのは母の勧めからだったという。

土門の名を知らしめる「古寺巡礼」は美術史家水沢澄夫の案内で室生寺を訪れたことからはじまるという。

「ぼくは一日本人である、日本人が好きだ」という土門は晩年脳出血に倒れてからも車いすで寺を訪れたという、まさにライフワークだ。

一方、現実の矛盾にぶつかっていった人でもある。

その例が「筑豊の子どもたち」だ。

ボタ拾いをする子供、弁当を持ってこれない子どもは雑誌を一心に眺めている。

これらの子どもは大きくなってどうなっただろうか?

広島の惨劇を目の当たりにして「今日もなお「ヒロシマ」は生きていた」とも語る。

砂川闘争、焼き芋泥棒ー現実の矛盾を直視したリアリストだ。

現実がむごいからこそ、ライフワークとして理想の仏の世界を撮影したとも言えるのではないか。

勅使河原蒼風の作品を撮影した写真も展示される。

勅使河原と亀倉雄策と「三兄弟」と呼ばれたようだ。

土門拳記念館からのカタログも売られていていたって満足。

さて常設展示に移ると、荻原英雄さんが2007/11/4に94歳で死去したことを知り驚く。

ニュースではそんな大きく扱っていなかった感じがするがー。

展示は「三十六富士」から、もちろん北斎を意識したものだろう。

吉祥寺伊勢丹は七階とアクセスの良いところにある美術館だ、一度は訪れてほしい。


素晴らしい展覧会!

2007-12-15 22:15:16 | アート・文化

いつかの「読売ウィークリー」に紹介されていたが、ミレーのこの作品は「落ち葉拾い」ではなく、「落ち穂拾い」だ、旧約聖書のルツ記に源がある。

しかもご丁寧に「落ち穂拾い、夏」と題されている、これは四季連作のうちの一つだからだ。

山梨県立美術館の所蔵するこの作品と、埼玉県立近代美術館の所蔵するモネの「ジヴェルニーの積みわら」を核としたこの展覧会は開館25周年記念の名を裏切らない名品ぞろいだ。

明日まで開催の埼玉県立近代美術館「田園讃歌」の展覧会だ。

まあ要するに日本と西洋近代の積みわらのある絵をたくさん持ってきたのだが、積みわらだけでは企画倒れになるので、田園、農村風景画なども交え、さらにポスター写真も加えて構成したこの展覧会は実に見ごたえがある。

例えば同じ積みわらを描いても、アンドレ・アルベール=マリー・デュノワイエ・ド・スゴンザックという長い名前の人の作品は画面をグレー、こげ茶といった渋い色で統一して、モネやピサロの描く積みわらとは異質な作品に仕上がっている。

ピサロもいろいろ出てくるが1863に銅版画をはじめ二百点近くの作品を残したとは初めて知った。

日本に眼を移すとまずは浅井忠だ、写真を活用して絵を描いたと初めて知った。

変わり種は和田英作だ、22歳で助教授になったのに辞して学生に戻りその卒業制作「渡頭の夕暮」の大作をあらわした、これも出品。

めるがっぱさんが入れ込んでいる須田国太郎は「信楽」だ、須田は「固有色」という文章でモネの積みわらの連作について考えを述べているという。

藤野龍「武蔵野」も面白い、当時の武蔵野はイギリス製蒸気機関車が走っていたそうで、積みわらと蒸気機関車は外国風景をみるよう。

ここいらへんで疲れてくる、展示数が多いのだ、だから最後をポスターや写真で軽く締めくくるのはいいアイデアだ。

それでもたとえば、濱谷浩の「雪国」は桑取谷での小正月の民俗行事を十年かけて取材したと聞けばもっと知りたくなる。

ダリの「マルドロールの歌」も面白い、ミレーの「晩鐘」に由来する男女のイメージを中心に据えたという。

紹介したのはごく一部にすぎない、ゆっくり観ていたら日が暮れること請け合いだ。

カタログも実によくできており、これなら紙で何の不足もない。

日本には実に多くの名画があるなと感心し、今年の展覧会ベストスリーに入るだろう展示だった。