この展覧会を千露さんやアイレさんがご覧になったらおそらく泣きださんばかりに喜ぶのではないか。
なにしろいきなりモローなのである。
しかも「ナルキッソス」「ケンタウロス」など五点も出ているのだ!
なぜモローなのかというと、モローの教室でこの展覧会の主人公、ルオーとマティスが出会ったからにほかならない。
松下電工汐留ミュージアムはルオー没後五十周年特別展「ルオーとマティス」だ。
なんでも二人の往復書簡が1906-53まで長いこと続いて、二人の友情が示されるというが画風が全く違う二人が結びついていたとは面白い。
しかしモローの影響というのは大きいと思う、ルオーは学生時代「レンブラントの再来」といわれたそうだが、モロー教室に入るまでは自分は宗教美術は絶対描かないと決めていたそうだ、しかし実際はキリスト教はルオーの最大の主題となったことはいうまでもない。
この展覧会、外国から作品を借りてくるのはよいのだが、実際の往復書簡の展示がほとんどないのが物足りない。
しかしながら、マティスもルオーもセザンヌの影響を多く受けていたようだ。
マティスはセザンヌの「水浴する三人の女」を生涯手放さなかったというし、ルオー初期の人物画背景の青はセザンヌに由来するという。
展示はルオー、マティス、ルオー、マティスと交互に配置され、たとえば「サーカス」のコーナーではルオーの「流れる星のサーカス」とマティスの「ジャズ」を展覧することができる。
興味深いのはテリアードという美術評論家と両者のかかわりだ。
テリアードが手掛けた「画家の本」の最初はルオーの「気晴らし」である。
また「世界で最も美しい雑誌」といわれる「ヴェルグ」誌をもこの人は編集するが、この雑誌の13号と21,2号はマティスの特集となった。
一方、ルオーはこの雑誌の第四号の表紙を花束の絵で飾った。
当時のルオーはせっせと花束を描いていたという、ルオーにもそういう時期があったのだ。
正直、ルオーとマティスのつながりははっきり見出せない展覧会ではあるが、今年はルオー没後五十年ということで出光などでも大回顧展が計画されているようだ、ぜひ期待したい。