だらだら日記goo編

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良き師のもとで

2008-03-31 22:29:09 | アート・文化

この展覧会を千露さんやアイレさんがご覧になったらおそらく泣きださんばかりに喜ぶのではないか。

なにしろいきなりモローなのである。

しかも「ナルキッソス」「ケンタウロス」など五点も出ているのだ!

なぜモローなのかというと、モローの教室でこの展覧会の主人公、ルオーとマティスが出会ったからにほかならない。

松下電工汐留ミュージアムはルオー没後五十周年特別展「ルオーとマティス」だ。

なんでも二人の往復書簡が1906-53まで長いこと続いて、二人の友情が示されるというが画風が全く違う二人が結びついていたとは面白い。

しかしモローの影響というのは大きいと思う、ルオーは学生時代「レンブラントの再来」といわれたそうだが、モロー教室に入るまでは自分は宗教美術は絶対描かないと決めていたそうだ、しかし実際はキリスト教はルオーの最大の主題となったことはいうまでもない。

この展覧会、外国から作品を借りてくるのはよいのだが、実際の往復書簡の展示がほとんどないのが物足りない。

しかしながら、マティスもルオーもセザンヌの影響を多く受けていたようだ。

マティスはセザンヌの「水浴する三人の女」を生涯手放さなかったというし、ルオー初期の人物画背景の青はセザンヌに由来するという。

展示はルオー、マティス、ルオー、マティスと交互に配置され、たとえば「サーカス」のコーナーではルオーの「流れる星のサーカス」とマティスの「ジャズ」を展覧することができる。

興味深いのはテリアードという美術評論家と両者のかかわりだ。

テリアードが手掛けた「画家の本」の最初はルオーの「気晴らし」である。

また「世界で最も美しい雑誌」といわれる「ヴェルグ」誌をもこの人は編集するが、この雑誌の13号と21,2号はマティスの特集となった。

一方、ルオーはこの雑誌の第四号の表紙を花束の絵で飾った。

当時のルオーはせっせと花束を描いていたという、ルオーにもそういう時期があったのだ。

正直、ルオーとマティスのつながりははっきり見出せない展覧会ではあるが、今年はルオー没後五十年ということで出光などでも大回顧展が計画されているようだ、ぜひ期待したい。


「逸楽の神殿」を夢見て

2008-03-26 22:09:06 | アート・文化

音声ガイドを聞いていると「ここでクイズです」ときた。

「モディリアーニの絵画には瞳のない女性が登場するがそれはなぜ?」

「答えを知りたい方は50番をお聞きください」

それではと聞いてみると彼の彫刻には瞳が掘り出されていないものが多く、それに倣ったという。

そうだ、モディリアーニは初期は彫刻家を目指していたのだ!

国立新美術館で本日よりはじまった「モディリアーニ」の展覧会、ひょんなことからチケットが入ったので初日に行く。

展示数はさほど多くない、150点とか書いてあるが素描も相当あるので絵画の数はさほど多くない。

前半に「カリアティッド」という作品がたくさん並ぶ。

これは古代ギリシアの神殿建築を支える女性をかたどった柱のことで、モディリアーニは1910-1914にかけて彫刻で「逸楽の神殿」を夢見たという。

しかし健康上の理由から彫刻をあきらめ絵画に専念するようになったという。

この展覧会はいわゆるプリミティズムの影響をモディリアーニに探ろうとするが、彼の肖像画のモデルが誰なのかわからないことが多いように、プリミティズムの影響もあると思えばある、そんな程度のものだ。

さて絵画に転じたモディリアーニ、まず目を引くのが「クララ」という作品と「ライモンド」という作品だ、対になっている。

この「クララ」は誰なのかわからないようだが、対をなす二つの作品からは僕らは彫刻家としての資質が絵画に反映されたその最も美しい例を見出すことができる。

スーティンを描いた作品もある、互いにボヘミアンで貧しい画家だった二人は意気投合し、友情の証としてスーティンを描いたようだ。

モディリアーニといえば裸婦だ。

展示されている絵画作品は一点だけだが、スケッチではたくさん裸婦登場。

女性の陰毛を描いて警察沙汰になったとか!

「少女の肖像(ユゲット)」はこれまただれだかわからないが、肖像画の中でもっとも有名な一つで確かに愛らしくかわいらしい。

素描の中では珍しく風景画も出てくる。

しかし出品目録を眺めてみると個人蔵の作品があまりに多い。

これを一つ一つ交渉して出品したのだから大変だったのだろう。

帰りに「ぐるっとパス2008」のリストをもらう。

何と今年は三井記念美術館が無料で入れるではないか!

四月以降の楽しみがまた増えた。


ただ一枚の絵の前で

2008-03-20 22:12:23 | アート・文化

それはあまりにも美しく透明すぎる絵だった。

「伴天連お春」、松本華羊という人の作品だ。

女性が満開の桜を眺めているーそれがえにも言われぬ雰囲気を醸し出しているのだ。

解説によると女性はキリシタンであったために殉教した吉原の遊女でせめて桜を見てから死にたいといって、その桜を眺めている場面なのだ。

この作品の前に立ち尽くし、諸々の展覧会への不満ー寒すぎる、難しい漢字に振り仮名がない、くつろげるソファがないーは一気にふっとんだ。

その絵の手前には三露千鈴という人の「殉教者の娘」という作品も飾られている。

これもまたいい作品だ。

この画家はキリスト教に入信するが、その直後に22歳の若さで死亡したそうだ。

一体何の展覧会かというと府中市美術館の「南蛮の夢、紅毛のまぼろし」という展覧会だ。

これは素晴らしい展覧会だ、府中単独開催を惜しまずにはいられないほどいろいろな作品が全国各地から集結した。

展覧会の最初を飾るのは支倉常長と彼が招来した品々である。

それは明治39年に東京帝室博物館の「嘉永以前西洋輸入品及参考品展」で公開されて人々に驚きを与えたという。

その中には国宝の「十字架及びメダイ」とか「ロザリオの聖母像」も含まれている。

安土桃山時代に輸出された南蛮漆器も面白い。

日本の漆工の技法とキリスト教の祭具や飾りが混在した工芸品だ。

こうかくと工芸の展示物が多いのかと思われるだろうが、それはごく一部でほとんどは絵画だ。

福田恵一という人が常長一行を描いた「使命」という作品はスケールが大きく、「南蛮来」という作品では人々が虎を珍しそうに眺めており、南蛮人が犬を連れて歩いている。

実際犬を連れた異国人というのは珍しかったようで、犬を連れて散歩している外国人というのはいわゆる南蛮、紅毛のイメージと重なるようだ。

そのほか川上澄生から竹久夢二まで実にいろいろな作品が展示される。

しかし僕の見るところこの展覧会のクライマックスはやはり冒頭に掲げたキリスト教をめぐる問題にあると思える。

展示作品は少なめだが重要文化財に指定される「板踏絵 キリスト像」だとか、会津地方伝来の「悲しみのマリア像」とか、川上澄生のキリスト教の聖母子像を阿弥陀来迎図の如く表現した「クリスマスカード」などは特筆に値する。

展示替えがあり4/15から後期がはじまる。

もう一回行きたい。


幅広いコレクションに圧倒

2008-03-18 21:57:45 | アート・文化

1952の開館以来、常設展示を中心に活動してきた珍しい美術館だ。

しかし初めの十年間は企画展示も数多く行われ、現代美術に関する展覧会が多かったという。

東京駅から徒歩という立地条件と特に印象派のコレクションで名高い石橋財団ブリヂストン美術館だ。

それがどういう風の吹きまわしか「コレクションの新地平」と題する企画展をやっている。

石橋幹一郎氏の没後十年のオマージュの展覧会の趣で、美術館の一室には幹一郎氏に関する特集コーナーまである。

ご自身写真を撮られていたようで写真集「ヨーロッパ1951年」と「オールド・リスボン」という写真集を作られ、展示室には「ご自由にご覧ください」とある。

さて展覧会は初めの二室が常設展示であとは現代絵画の特別展示になるが、その中でもとりわけ際立っているのがザオ・ウーキーであることは言を待たない。

ザオ・ウーキーというと何か青色の絵画の印象の強い僕だったが、今回改めて眺めてみると緑だの黄いろだのいろいろな色が使われていることに気づく。

それにしてもコレクションの幅の広さよ!

セルジュ・ポリアコフとかショーン・スカリーとかイマンツ・ティラーズとか、きいたこともない画家が続々登場。

藤田嗣治もゲオルグ・グロッスも常設展示に組み込まれて何か過去の人という印象だ。

その常設のほうではジャン=バティスト・パテルの「水浴」という優雅な絵とか、クールベの「石切り場の雪景色」といった珍しい作品が魅せる、ブリヂストンの所蔵は只者ではない。

現代絵画では僕は猪熊弦一郎の作品が面白かった。

幾何学的に描かれた1968の「都市計画」と、どうにも幼稚さを感じさせる1986の「スペース旅行基地」の対比が面白い。

「ぐるっとパス」を持っていないので百円引きの割引券で入ったが大満足だった。


北京五輪を前に

2008-03-16 22:28:35 | スポーツ

おなじみ「前畑がんばれ」を連呼したアナウンサーは都合24回も連呼したとか。

聖火リレーが始まったのもこのベルリン大会だ、3075kmを3075人が走った。

ヒトラーは記録映画として「民族の祭典」「美の祭典」からなる「オリンピア」をつくった。

しかし時代は確実に戦争へ傾いていたー。

昭和館で開催中の「オリンピックー栄光とその影に」を観る。

無料なのに出品目録はあり、ビデオはたくさんありいいことづくめだ。

近代オリンピックの父」といわれたのはメディチ家の伝統を引くクーベルタン男爵だ。

彼をたたえて今でも開会式や閉会式のアナウンスはフランス語が最初だという。

この展覧会はアムステルダム大会から東京大会までを展覧するが、面白いのは1932のロサンゼルス大会だ、東京招致のデモンストレーションを兼ねたこの大会で競泳陣は日本の独檀場だったというが、生の中継が認められずにアナウンサーは「実感中継」をしたという。

競技場から車で15分の放送室で見たままを再現して放送するというのだ、こんなバカなことをやったのは日本だけ。

そしてベルリンを経て戦争のために実現しなかった東京、ロンドンと続く。

日本が復帰したのは1952のヘルシンキだが金メダルは一個だけだったという。

次のメルボルンではサッカーに日本登場だが当時のサッカーは紳士のスポーツで選手の途中交代など認められなかったとか。

そしてローマ大会を経ていよいよ実現した東京オリンピック!

芸術も一役買っていて東京国立博物館では「日本古美術展」など開催される。

おなじみ亀倉雄策の公式ポスターは四種類あったとか。

さてさて2016にまた東京オリンピックをたくらむ人たちがいるがどうなることやらと。