だらだら日記goo編

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視覚中心主義からの脱却

2008-01-29 21:52:10 | アート・文化

今年のセンター試験の国語の評論文で、近代において視覚を中心として身体感覚の制度化が進み、深みが排除されたという文章があったなとこの展覧会を観ながら思い出した。

画家自身も「週刊新潮」のインタビューで「人を視覚だけでとらえるのは、不遜、暴力だと私は思う」と語っていた。

「複眼リアリスト」の意味するところは「視覚だけでなく多面的に人間をとらえることです」と。

その画家が舞踏家大野一雄に着目したのはまことに必然といってもよかろう。

佐藤美術館で今開催中の「諏訪敦絵画作品展」だ。

今101歳の病床にあるこの舞踏家の皮膚のしわ、髪の毛一本一本に至るまで入念に諏訪は描きつくす。

この舞踏家の息子の大野慶人に支えられる大野一雄の手を描いた作品は人間存在のいつくしみをも感じさせる。

大野の背景を探るべく画家は函館に出向いたというがその函館の風景画も展示される。

ヌードの女性、果ては絡み合う男女の姿を描いてこの画家は人間の肉質感を描き出そうとする。

しかし僕の見るところこの画家が最も人間存在の深奥まで到達していると思うのは、脳しゅようで病院のベッドにいる自分の父親を描いた作品「FATHER」だ!

何故自分の肉親をと思うが、諏訪にとってだけではなく「視覚」だけではとらえられない深みをもった存在とは結局自分の肉親ではないか。

この絵画を観たとき、ああこの画家は本物だなと感じた。

注目すべきこの個展は、デューラーの自画像の模写といった初期作品から「制作中」の「幻肢痛」に至るまで諏訪の全貌が見渡せる個展だと思う。

なお佐藤美術館は新人育成のための美術館だが、年に一度若い芸術家の目標となるよき先輩の展覧会を開催しており、今年が諏訪さんだということです。


ブログ不安定につき

2008-01-28 23:08:33 | アート・文化

現在このブログだけか、OCNのブログ全般かわかりませんが不安定です。

昨日は久しぶりに写真美術館に行き、「スティル/アライブ」と「土田ヒロミのニッポン」を観てきましてその記事を書きたいのですが、反映されない可能性もありますのでしばらく様子を見てからにしたいと思います。


「新たなる伝説へ」とは?

2008-01-23 21:58:51 | インポート

仏教の無我の境地を子供の姿であらわした「無我」から始まるのはこの展覧会も大丸の水野コレクションも同じ、しかし決定的な違いがある。

大丸の展覧会には一点一点仔細な解説がついていたのに対して、この展覧会は全く解説なし!

作品の背景を知りたければどうぞ音声ガイドをお借りくださいといっているようなものだ。

今日から始まった「横山大観ー新たなる伝説へ」の展覧会に行く、雪と寒さのためお客さんすくない。

さてこの展覧会の売りは何なのだろうか?

いくつかみどころらしきものはある。

ひとつは代表作「生々流転」が一挙四十メートル展示されていることだ。

しかし美術愛好家はすでにこの試みには国立近代美術館で出会っていて目新しさはない。

この「生々流転」の中に山梨「昇仙峡」の印象だとか、五浦の「平潟港」の印象が反映されていると説明文にあったのがへえと思うくらいだ。あと大観が大正時代を通じて研究した「片ぼかし」という方法が反映されているというのは興味深いがー。

あるいは岡倉天心と同行してアメリカへわたり、ボストン美術館に所蔵されている作品が里帰りしたというのも企画人の訴えたかったことかもしれないが、その里帰り作品四点とは少なすぎます!

大倉集古館の「夜桜」と足立美術館の「紅葉」が並んで展示されているのは確かに華麗で面白い。

あるいはまた妻のためにデザインした着物だとか、大観の琳派への傾倒ともとれる「秋色」という作品を尾形光琳の屏風絵と並べて展示したのもよい。

大観は絵巻を好んだのだなと思う。

第二の「生々流転」を描きたいと1947年、27mに及ぶ「四時山水」というのを制作して今回それも展示される。

美術学校の卒業制作で落款が「秀麿」になっている「村童観猿翁」も珍しい。

雅邦から出来がよかったら助教授にしてやるといわれたが、学科の成績がだめだったので助教授にはすぐなれなかったというエピソードがある。

こうして一つ一つ観ていくと面白いのだが、全体としてなにをいいたいのかがわからない。

ただの名品の寄せ集めの展覧会に思える。

少なくとも副題の「新たなる伝説へ」が何を意味しているのか僕にはわからない。

カタログは例によって力が入っており読みごたえはある。

音声ガイドとカタログで展示解説のなさを補うより仕方がない。


美術雑誌あれこれ

2008-01-19 22:04:52 | アート・文化

昨日は「宮廷のみやび」展覧会を観にいき、重いカタログを持って平常展示をうろうろし、母の特養ホームまで行ったので疲れ切ってしまった。

この展覧会の感想はいつかかきたいがーたぶんもう一度行くと思うーきょうは美術雑誌の話だ。

僕が定期的に購入しているのは「美術手帖」と「目の眼」の二冊だ。

「美術手帖」は美術雑誌としては老舗だし、書店によってはバックナンバーを常備しているところもあるのでまあ売れているのだろう。

「目の眼」は古美術に対する知識不足を補いたくて半年ほど前から読んでいる。

あとは本屋に行って雑誌のコーナーで気になるのがあると見るのだが、今日「美術の窓」という雑誌を買ってきた、今年の注目展覧会が一挙に載っているからだ!

たとえば10/4-12/14まで国立新美術館とサントリー美術館で「ピカソ展」が同時開催されるとか注目情報が多々載っている。

しかし本屋の美術雑誌のコーナーを見ると実にいろいろなものがある、「月刊美術」だの「月刊ギャラリー」だの「Art it」だの「一枚の絵」だの「芸術新潮」だの「イラストレーション」だのなんだのー。

実際どれだけ売れているのだろうか?

読者プレゼントを掲げる雑誌もあるが、たいていの雑誌は読者をつなぎとめるため「初めて貴誌を購読しました」と書けば当選するが、定期購読優先だろうから二回目からはおそらくそう当たらないだろう。

さらに一般の雑誌も美術の話題を取り上げる。

たとえば「サライ」の最新号は藤田嗣治の特集だ。

さらにくわえてネットが普及して美術サイトも多々ある。

出版不況で週刊誌さえも悪戦苦闘しているーたとえば「サンデー毎日」は八万部、週刊誌としてはやっていけない数字だー中で美術雑誌が売れているとは思えない。

「目の眼」二月号は「遠州の時代」がメインだったが銀座松屋の小堀遠州の展覧会をこの雑誌を読んだことがきっかけで行ったという声は全くきかない。

それどころか「美術手帖」発売前日にまだ先月の「美術手帖」がたくさんジュンク堂新宿店の本棚に並んでいたこともある。

あまりたくさん積まれているので僕などはあす発売される「美術手帖」がもう並んでいるのかと勘違いしたほどだ!

おそらくそのほとんどは返品されるのだろう、頭の痛い話ではある。


日本画の世界に浸る

2008-01-16 21:33:53 | インポート

この前は日本橋三越で山形美術館の素敵なヨーロッパ絵画に出会えたと思ったら、今度は長野から素晴らしい日本画だ。

長野は水野美術館という聞いたこともない美術館、しかし、足立美術館と東京国立博物館に所蔵されている横山大観の同名の作品「無我」をここも所蔵していること、さらには清方の現存する六曲一双の屏風絵七点のうち一つがここにあることを思えばその質の高さがうかがわれよう。

その水野美術館の名品が新装開店した大丸に来ている、流石に招待券は入らないが、千円も出すのも癪なのでフリーパスを買う。

作品も実にいいが誰が誰に影響を与えたという点がなかなか面白い。

たとえば大観と春草は互いの技術向上のために合作を作っていたという、今回展示される「旭日靜波」もその一つ。

山本丘人という雅号は師の松岡映丘から「丘」を拝借したものだとか。

で、その山本丘人が高山辰雄に戦後の荒廃の中ゴーギャンの伝記を勧めたとか。

で高山は「日月星辰」という東洋の天文思想を作品のテーマにしたとか。

堅山南風という人も面白い、「横山大観先生」という絵を描いたが直接見せに行くのは恐れ多くてできずに妻に持って行かせたとか、こういうエピソードが面白い。

人間関係でいえば川合玉堂まで日本美術院創設に参加したとはこれまた面白い。

その玉堂はおなじみ「鵜飼」とかいろいろ出品されている。

はじめて聞く画家は西郷孤月、雅邦の女婿になるが数年で離婚すると放浪の旅に出て、その旅の途中で死んだそうだ。

一方おしどり夫婦もいる、池田蕉園と輝方。

一つ一つ紹介していったらきりがない。

素晴らしい名品ぞろいなのに会場はがらがらなのはいかなることか。

今度は長野で本物の作品と会いたいと思った。