だらだら日記goo編

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無信仰の信仰

2005-04-23 17:04:52 | 学問
パソコンをいじっていたら、聖書の勧誘とかがきた。
インターホン越しに断る、そんなの相手にしてる暇はない。
前は相手にして相手の言い分を茶化して面白がっていた。
ともかくああいう信仰の人は自分の信仰が絶対と思っているから困る。
神の名を「エホバ」というのでそれは誤りだ、中世の異端だと指摘してもあれこれ根拠を挙げて直そうとはしない。
昨日も書いたがキリスト教が生き残るには「絶対」の誘惑から離れ、多元主義を取る必要があろう。
ヒロシマやアウシュヴィッツ、今のイラクの悲劇を目の前にして神が生きていると信じるほうがおかしい。
量義治という人がいる。
専門はカントだがキリスト教の信者でもある。
この人に「無信仰の信仰」という本がある。
十字架上のイエスに東洋的無を発見した衝撃の書とある。
イエスは死ぬとき「我が神、我が神、なぜわれを見捨てたまいしや」と叫んだ。
イエスは十字架において神に見捨てられた、神がなかったのである。神がない、無信仰とはそういうことだ。
神に見捨てられつつイエスは「我が神」と神に叫んでいる。神はやはりいるのである。
神がいないのにいる、それを量は「無信仰の信仰」と呼ぶ。
この逆説を東洋的西田幾多郎の哲学で止揚しようとするがその是非はおく。
重要なのは十字架のイエスと現代を神のない状態と重ね合わせて思索している点だろう。
神なきニヒリズムの時代において信仰はいかにして可能かということを指摘しているのだ。
昨日書いたニーチェの「神は死んだ」という現実を受けつつ、信仰は如何に可能かを模索しているのだ。
繰り返すがここに東洋的無を取り込む必要は今は置く。
大事なことは現代における信仰の可能性の模索だ。
ほかにもジョン・ヒックの宗教多元主義とかいろいろあろう。
いずれにせよ大事なのはニーチェ以後の神学だ。
それをあいも変わらず聖書至上主義がはびこっているから困る、もう時代遅れなのに。



道徳法則の思想

2005-04-02 23:22:17 | 学問
哲学者カントに「道徳法則」の思想がある。
カントによれば「道徳法則」は「理性の事実」として「与えられている」という。
しかしそんな法則俺は知らないといってしまえばそれまでだ。
おそらくカントは神が「道徳法則」を与えたと考えているのだろう。
法則は「心の中に極めて太い文字で書かれている」とあるところなどみると、その聖書起源は明白ともいえる。
旧約のエレミヤの「新しい契約」の思想に由来するという人もいるが、それは考えすぎだろう。
道徳法則は「何何すべし、すべからず」と端的に命ずるものである。
そして実のところカントにあってはその法則の遵守は最高善の問題と直結している。
つまりわれわれが道徳法則を守り、時に勇敢な行動に出るのは、来世での神の幸福を期待してなのだ、カントにとっては少なくともそうだ。
実はこの思想はカントの第一批判から遺稿の「オプス・ポストヌム」まで一貫している。
遺稿ではより直接に神がいるから定言命法があると語られる。
思想家の思想の変化ということはある。
批判哲学でも第一第二批判のカントの思想は未熟で第三批判に彼の思想は結実したと考える向きも多い。
前に書いたように自分の幸福の追求を認めない立場の人だ。
しかしそれだと第三批判の後に出た「宗教論」でまた自分の幸福を是としているのが説明できなくなるのだ。
単刀直入に、カントは自己の来世での幸福を認めていたと考えたほうが素直な解釈だ。
第二批判ではキリスト教の「神の国」が出てくる、「神の国」は最高善の思想と一致する唯一の思想だと。
これはカントの言い方が変で最高善がまずあって、それが「神の国」の思想とたまたま一致したと読める。
しかし実際はキリスト教の「神の国」の思想にあわせて自らの「最高善」の思想をつくったと読むべきだ。
同じくカントは道徳が宗教にいたるといって「神」は「要請」されるという。
しかし道徳法則を与えたのが神ならば、神は「前提」されていると読むべきだ。
宗教がまずあり、そこから原理だけを抽出した道徳が語られ、そしてそこに整合するように宗教が「要請」されたとみたほうがよい。
こう考えると初期から晩年のカントがすとんと理解できる気がする。
まあややこしいことはやめにして明日は美術館詣でだ、どこ行こう。


訳語の難しさ

2005-03-28 22:58:28 | 学問
哲学にはへんてこりんな訳語が多い。
understandingは理解力ということだが、哲学では「悟性」と訳す。
ドイツ語の「悟性」はVerstandだが、これは動詞のverstehen,やはり「理解する」から来ている。
カントのEinbildungskraftは「構想力」と訳す。
英語で言えばイマジネーションだが、「想像力」とは訳せない。
というのもカントの「構想力」はハイデガーも指摘しているように、感性と悟性を媒介するものという意味があるからだ。
「想像力」ではその意味はつかめない。
ついでに、カントのtranszendentalの問題もある。
以前は「先験的」と訳されたが、やはり意味的に「超越論的」と訳すのが今の常識だ。
でカントの重要な用語にtranszendental Apperzeptionがある。
これは「超越論的統覚」と訳す。
言葉は難しいが、意味は簡単で「私は考える」ということだ。
しかし日本語で「構想力」やら「超越論的統覚」やら言われても何のことかわかる人は少ないだろう。
こんな変な用語を使って議論するから哲学が一般大衆から離れる。
また哲学専門の中にはこういう用語を好んで使い、さも自分が知的エリートになった気になるものがいる。
「ハイデガーのダーザインがさあ」とか言っているやつだ。そんな言葉で話している人を昔研究室でみかけた。
けど昨日書いたように西田幾多郎が言うごとく「人生の悲哀」から哲学がスタートすべきなら、そんな難しい用語は願い下げだ。
ソクラテスが対話編で示したような世界、「無知の知」こそが哲学の出発点になるべきだろう。
まあ「無知の知」というと無知といいつつ、無知であることは「知っている」というアポリアがあるので、モンテーニュのように「私は何を知ろうか」といったほうがよい。
ともかく専門用語なしで哲学を語りたい。
しかし過去の哲学史との対決なしでは哲学ははじまらないことも事実で、そうすると哲学史批判には専門用語がいることになる。
欧米の哲学をむやみと受け入れてきた日本人にはなかなか難しいものがある。


哲学へのいざない

2005-03-08 22:26:03 | 学問
僕が哲学書というものをはじめて読んだのは高校生時代、ニーチェの「ツァラトゥストラ」だった。
ニーチェはドイツ文学者も研究の対象にしているように純粋な「哲学」とはいいがたい。
けどそれでよかったんだと思う。
はじめからカントだヘーゲルだというのもどうかと思う。
カントやヘーゲルは体系の哲学者だ。
たとえばカントの「純粋理性批判」のモチーフは二律背反の議論にあったようだが、実際の書ではそんなことはわからない。
感性、悟性、理性と体系になって論じられており、二律背反の議論は後ろのほうだ。
つまりカントの思考を追体験することはできない。
そういう意味で哲学へのいざないとして最も良いのはデカルトだ。
それも「方法序説」より「省察」のほうがよい。
「省察」は六つの「省察」からなっているが一日にひとつの「省察」をしたという体裁がとられている。
実際はそんなことはない。
しかし読むほうはデカルトの思考をあたかも追体験できるような仕組みなのだ。
デカルトといえば「方法的懐疑」だがでは「方法的懐疑」とはなにかとなるとわかりにくい。
あらゆるものをすべて疑うこととか教科書にはあるがこれだけではどうも。
「方法的懐疑」とは要するに確実性百パーセントに達しないものはすべて同一視することだといえよう。
「火星に人がいる」という確実性ゼロに近い命題も、「ここにチョークがある」という確実性百パーセントに近い命題も同一視してしまうことだといってよい。
確実性一パーセントも九十九パーセントもどちらも百パーセントではないから同時に却下する方法といえる。
ある意味では非常識な懐疑ともいえよう。
そういうデカルトの思考が読むものに伝わってくるーそこがいい。
ニーチェもツァラトゥストラが山から下りていろいろ体験する散文詩だ。
ニーチェの思考をあたかも追体験するようにこの本を読んだー忘れがたい経験だ。


カントを斜めから読む

2005-03-07 23:19:53 | 学問
佐藤康邦「カント「判断力批判」と現代」を買ってくる。
この人は「ヘーゲルと目的論」や美術の本も書いている。
非常勤でこられていたとき、僕との雑談でカントの最高善の思想はもっともカントで弱いところというようなことをおっしゃられたので、僕とは解釈が合わないなと感じたものだ。
「判断力批判」はすでにアーレントなどが取り上げ、その公共哲学への広がりは近年めざましいものがある。
佐藤さんは目的論を主軸にしているようだが、カントの場合、「自然法則」というもの自体が目的論的にとらえられている。
そういう意味で目的論は「判断力批判」で出てきた思想でもない。
ゆっくりこの本を読もうと思うがさてさて新しい発見があるかどうか。
僕が卒業論文のテーマにカントを取り上げたいとおずおずと尋ねたのは、当時の主任教授浜井修さんにだった。
カントをやりたいというのではなく、カントぐらいしかやれるものがなかったのだ。
そしたら浜井教授は「それなら歴史哲学が面白い」とおっしゃった。
カントの歴史哲学は「人類史の憶測的起源」とかつまりは小品だ。
で読んでみて、では何でカントがこんなものを書いたのかと考え込んだものだ。
三批判書の世界ーといっても僕は当時三批判書さえもロクに読んでいなかったーとはまるで違う。
いわば僕はカントに斜めから入っていった。
しかし何でこんなものを書いたのかと考えるのは謎解きのように楽しい作業だった。
で、行き当たったのが「最高善」の思想だった。
卒論では最高善の思想までは踏み込めず「物足りない」と評された。
浜井教授はカントを通して僕が社会哲学の道へ進むことをのぞんでいたんだと思う。
けど僕は最高善の思想を研究するうち宗教思想へと入っていった。
浜井先生には申し訳ないが、学問の楽しさを教えてくれた浜井先生は確かに恩師である。
父が死んだとき先生から送ってきた一万円は今でも仏壇にある。