だらだら日記goo編

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焼き物の魅力

2005-07-30 23:16:18 | アート・文化
出光美術館「中国・磁州窯ー和みと味わい」にいく。
僕はおろかにも磁州なるものがどこにあるのかすらわからなかった、何でも河北省にあるそうだ。
しかし、磁州の焼き物を磁州窯というのではないとか、地図を見ると内モンゴルのほうまでその生産地は広い。
会場解説によると庶民の生活用具として親しまれていたとか、三彩の伝統を保持していたとかある。
で、展示でいきなり「枕」とくる。
何のことかと思ったら、庶民は実際にこの陶器を頭に載せて眠ったとか!
痛くないのかとも思うが、さすがは中国ということか。
やけに花の絵が多いと思っていたら、なんでもボタンは富貴の象徴だったとか。
「壺」とか「皿」とか「碗」とかも展示される。
壺のなかに「至正十一年」の銘の入ったものがあるが、字を読んでいくと「酒詩」とある。
おそらく酒を入れたのであろう、庶民の楽しみはいつの時代も変わらない。
「人形」のコーナーの「小犬」の本当に小さいこと、手のひらに乗るようだ。
一方会場すぐ入ってそばにある特別出品「梅瓶」の龍のすさまじい躍動感には圧倒される。
中国の伝統はあまりに深い。
美術館は三つの部屋からなるが、今回は第一室がメインで第二室は参考展示、第三室はスペースが余ったから所蔵の絵を掲げてごまかそうという魂胆だ。
でその絵は「雪舟末流雲澤筆」など署名がしてありまあ面白い。
この前の茶碗の展示に比べると内容は劣るが僕のような初心者は「やきものに親しむ」と副題がついているように、世界が広がっていい。子供づれが少ないのは夏休みなのにどうしたことか。
この美術館ではサービスの飲み物を飲みつつ皇居のお堀を眺めることができる。
今は満タンの水がお堀にはあった。水不足の心配はないようだ。


文化財を守る

2005-07-29 23:09:17 | アート・文化
展覧会というのは、二年位前から準備するのが普通であろう。
この展覧会の開催は急遽決まったのであろうか、少なくとも「ぐるっとパス」にその予定は載っていない、国立博物館「遣唐使と唐の美術」に夜間開館を利用していく。
「パンフレット」に「おかえり」とあるが、かえってきたのは正体不明の遣唐使、井真成の遺骨とかそういうものではない、この遣唐使の墓誌が見つかり、それがかえってきたという話だ、この名前すら「いのうえ」なのか「ふじい」なのかどう読むか判らないという人の業績など勿論わかってはいない、従って展示に無理がある。
遣唐使船の模型やら唐の文物、特に唐三彩やらで補ってもやはり無理がある。
中国の文物は日本の美術館所蔵ではなく、ほとんどを中国から借りてきたのはよいがまだ展示スペースが余る。
ということで博物館はもうひとつ特別展を企画した「模写模造と日本美術」こちらのほうが断然面白い。
入ると大きな仏像がたくさんお出迎え、古びているから本物かとまごうがこれが模造だという。
大英博物館の依頼とか、大きな仏像が一本のくすのきでできているとか面白い。
横山大観が岡倉天心に言われて「空気の絵」を描いたという作品もある。
大観は不器用で天心を怒らせていたとかまことに面白い。
しかしこの展示の大きな目的は文化財の保護という点だ。
高松塚の古墳壁画は発見から相当たって、今後の保存に問題があるというが、文部科学省の指導で模写をしておいたことが未来へこの壁画を伝えることになる。
善光寺の本尊は「秘仏」だ、どんなものかわからない。
それがおおよそどんなものか推測できるのは、模写模造あってのことだ。
「玉虫厨子」の模造も興味深い。
このプロジェクトはタマムシを集めるので頓挫しかけたが、全国に呼びかけて一万五千ものタマムシが集まった、当時参加した人のエピソードを館長が「週刊新潮」の掲示板で募集している。
しかし一口に模写といってもただ正確に映せばよいというものではないとしみじみ感じる。
こういう地道な努力が文化財を未来に残していくことにつながるのだ。
この模写の展示は特別料金を取らないので平常展の入館料金で入れる、こちらだけ見るのも良いだろう。
「模写だけで展覧会になるとは思わなかったー横山大観だったらそういう」とパンフレットにあるが、うまいフレーズだ。


初心者のための源氏物語

2005-07-27 23:13:40 | アート・文化
今日は多摩美術大学の美術館へ、建築家今井兼次の回顧展。
ここのところ建築の展覧会がやけに多い気がする。
根津美術館やら遠山記念館、そして日本26聖人殉教記念館などを作った人だ。
豊富な資料や写真、ビデオでわかりやすく今井の業績を伝えてくれる展示、わずか三百円だ。
一時間半がアッと過ぎる、母の特養ホームの立川までモノレール一本、なんとも交通もいいしいい一日だった。
しかし収穫はブックオフにあった。
Bunkamuraのザ・ミュージーアムで1989に開催された「源氏物語と紫式部」の図録を安く手に入れる。
この図録は源氏の五十四帖を実に判りやすく解説してくれているのだ。
「愛の賛歌」「秘密の恋」「愛の崩壊」「愛の不毛」で源氏の物語が進む様子を絵やらなんやらで解説してくれる。
日本古典に疎い僕にはうってつけだ。
ブックオフは物の価値を知らない。
今日買ったクラシックでもグールドの若き日のモノラルライブ録音という大変貴重な録音が安く売られている。
それでもってオザワの第九とか、もはや価値のないCDに1650円もつけている。
それはそれとしてこの夏はこの源氏の図録を読みつつ、少し古典に戻りたい。
多摩美大にいったのはもうひとつ目的がある。
ここは美術館の招待券を良く置いてあるのだ。
今日は小田急で開催される「百年前の未来画」の展覧会のチケットをもらう。8/10-22.産経の主催だ。
デパートも中元が終わって催し物会場は夏休み美術展になる。
明日からは大丸東京「古代エジプト」展覧会が始まる、楽しみだ。


心の中の原風景

2005-07-25 23:20:07 | アート・文化
激しい線描と黒を中心にした原色の多用で知られるビュフェの回顧展が新宿の損保ジャパンで開催されているので昨日行く。静岡のビュヒェ美術館からの借り物だ。
「人物」「風景」「静物」の三部構成だが、まず「人物」冒頭の「父と息子」からして暗い。
母を亡くして、兄は軍隊に取られ、父と2人きりになった悲しみがある。
これくらいならまだいいが、1964の「皮をはがれた人物」など厚塗りで圧倒というより、気味が悪い。
自画像Ⅰ1977なる作品はひげもじゃらでまるで地獄帰りのようで狂気すら漂う。
風景画になってもこの感覚は変わらない。
初期はクールベの影響を受けたようで「波」1946などにそれは現れるが、「マンハッタン」「ニューヨーク」1958なる作品はどこかの倉庫を観るようである。
静物画も同じで「アトリエ」1947は物が乱雑におかれているし、「静物」1955にいたっては、ピストルと手紙でまるで自殺を暗示するかのようだ!
表題の「心の中の原風景」はビュヒェ美術館のポスターにある言葉だが、人間誰しも狂気をうちに抱えているとするなら、まさにこの画家にはふさわしい。
しかしはっとする絵もある。
「ダニエルとヴィルジー」1971は珍しく子どもを描いた絵で、線に丸みがある。
誰を描いたのか会場に解説はないがカタログによるとビュヒェの娘さんを描いたという。
この画家の風景画は1971ごろから明るい色調になるが1974「クーヴェールの城」は淡い色調をかざす。
この画家にしては珍しい。
静物画でもひまわりを描いた1974「花」は落ち着きを感じる。
会場で中年婦人が「この人はナニを描いても暗い」と話していたが、そうとは言い切れないはっとする絵に出会うことも又楽しい。
しかし結局この画家は内なる狂気に身を任すかのように、自殺することになる。
日本をも愛したこの画家の回顧展は今は亡き小田急美術館で観て以来、なかなか味わいがある。
カタログはビュヒェ美術館の鑑賞ガイドだが、コンパクトでよい。
この画家のキリストを描いた一連の作品も観てみたい。


日本人としての誇り

2005-07-18 23:25:49 | ギャンブル
連休最終日は川崎市岡本太郎美術館へ、招待券がある。
おきたのが遅かったので、新聞もろくに読まずにあわてていく。
企画展示は岡本太郎「明日の神話」完成への道の展覧会、見ごたえがある。
まずは岡本の戦争体験から、「眠る兵士」なる戦友を描いた絵はテレビ東京「何でも鑑定団」に出されて真とされたとか面白い。
そして原爆、原爆を描いた「瞬間」という絵は行方不明だとか。
しかしその下絵には「人間、人間、人間」とたくさんの「人間」という言葉が記されている、岡本の思いが伝わってくる。
ヒロシマを訪れた岡本は、自分なら「平和」なんて形式的なお飾りはやめて、何もない空間をつくると語ったという。
そして「安らかに眠ってください」なる碑文は「甘ったれたイヤな文句」ときって捨てる、いかにも岡本らしい。
そして岡本はメキシコに行く、「オテル・デ・メヒコ」に依頼された壁画制作、日本万博のプロデューサーとしてモントリオール万博を見学するために。
僕は見ている時間がなかったが、会場ではそのとき撮影された「もう一つの旅」というビデオも上映されていたし、岡本がとったメキシコの写真も展示されている。
メキシコでは「五大陸」というモニュメントーオリンピックのためにメキシコに集まる人々を象徴したものかーも製作するなど岡本は多忙だ。
そして「明日の神話」だ、「ヒロシマ、ナガサキ」の副題のついた全長三十メートルに及ぶ壁画だ。
「ヒロシマ、ナガサキ」の悲劇を前にでも「明日」を語るのだ。
そこには日本人としての岡本の誇りがあるのだろう。
原爆の被害を受けながらでも不死鳥のように立ち直った日本ー岡本はそういう意味を込めているのだろう。
会場解説にあったようにこの作品は「哄笑」しているのである。
人間はおろかである、けど生き延びていくのである、911のテロがあろうとなかろうとその事実に代わりはない。
岡本敏子さんはこの不穏な時代にもう一度太郎のこの作品を見つめてほしいと修復を決めた。
そしてこの壁画は敏子さんが亡くなるのと時を同じくして日本に運ばれてきた。
この展覧会はかなり専門的な展示もあり、観るのに時間がかかるのも事実だ。
だが岡本太郎、敏子さんの思いを受け継ぐ若い人にぜひ見てもらいたい、入館料は六百円、カタログはわずか五百円だ。
繰り返すが人間はおろかだが生き延びていくのだ。
かつてルターは「明日世界が滅びるともそれでも自分はリンゴを植える」と語った。
おそらく世界は滅びない、ルター以上に未来のためにできることをしなければと思う。