だらだら日記goo編

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眼を閉じて見えてくる世界

2007-07-30 22:03:27 | アート・文化

この人の代表作「眼をとじて」ではないが、眼をとじて初めて見えてくる世界がある。

内面的な世界、神秘的な世界ーときあたかも印象派と同世代そういう世界を描いた画家がいた。

ルドンだ、その「ルドンの黒」をブンカムラに観に行く。

「ルドンの黒」とは何かといえば画歴前半の木炭画と版画からなる作品をいうそうだ。

画歴後半のルドンは息子の誕生などもあり明るい世界へと向かってゆく。

岐阜県美術館のコレクション二百点が並ぶ壮大な展覧会だが案外ルドンも時代の子で当時の科学に興味があったようだ。

とはいえ神秘的なこの人だ、気球を描くのはまだましで、当時の催眠術やら、地球外生物の存在らしきものを描く。

人間は輪廻転生してほかの星で生まれ変わると考えられていたらしい。

最初の石版画集「夢のなかで」1879は25部しかすられなかったという、これではルドンの知名度は上がらない。

そんなルドンを評価したのはユイスマンスであった。

この「夢のなかで」にはモローの「出現」が影響したものや洗礼者ヨハネの殉教といったいかにもルドンが好みそうな主題が描かれている。

そして時代は流れ1890年代になるとフランスでは神秘主義やオカルト、東洋の宗教への関心が高まる。

かくしてルドンはフランス象徴主義の先達と評価されるのだが面白いことに先に書いたようにそのころのルドンは黒から光へと徐々に姿勢を変化させていた。

作品「光」では窓の向こうから光が差し込むという構図をとる。

しかし神秘思想がなくなったわけではなくデューラーの影響か「聖ヨハネ黙示録」をあらわしたりする。

さて、そこで「これらの事を聞きかつ見し者はわれヨハネなり」といってヨハネの顔が描写されるがルドンはヨハネで誰を想起したのだろうか?

いまの聖書学では福音書の著者ヨハネもヨハネの手紙の著者ヨハネもヨハネの黙示録の著者ヨハネもみな別人であることは常識なのだが、当時はヨハネの福音書の著者がイコール黙示録の著者と考えられていたといえる、ルドンもこれを踏まえていたと考えるのだがこれはなかなかおもしろい。

そして最後はパステルのルドンの花の絵で終わる、カタログにルドンの花は「現実的幻想」と書かれているが、現実と幻想が拮抗しあうところにルドンの到達した境地があると感じた。

会場は小品が多く観るのにかなり時間を要します。


新聞を読もう

2007-07-28 22:15:56 | ブログ

最近はどの新聞社も大型美術展のチケットは出し惜しみしている。

Juneさんにお送りした「ルドンの黒」東京新聞主催も新聞販売店からではなく別のルートで手に入れた。

「今年はブンカムラが狙い目」の記事に書いたようにうちの販売店は四つのチケットのうちひとつを選びファックスで応募する仕組みだ。

今月からその販売店が新しい試みをはじめた。

「長期ご購読者限定チケットプレゼント」で、国立新美術館のフェルメール「牛乳を注ぐ女」」がその対象チケットだ。

不可解なのは「長期ご購読者限定」といいつつその長期がたった一年であることだ!

いまの人は一年以内に新聞社をころころ変えるのであろうか、それとも新聞など読まないのであろうか。

大前研一さんのように情報はネットでとのたまう人がいるが残念ながらネットで人が探す情報は自分に関心のあるテーマだけだ。

その結果たとえば野球については驚くほど詳しく知っていてもサッカーについてはチーム名すら知らないといういびつな人間ができることになる。

やはり新聞は大事なのだ、「長期ご購読者限定チケット」のおまけもついてくるしー。


上野の山でシュラシュシュシュ

2007-07-24 22:07:24 | アート・文化

金比羅山へは二度行った。

中学時代の家族旅行と大学になってからだ。

ともに観光が目的で急な石段を上がるのが大変だったので美術どころではなく上に上った満足感で絶景かな、とはるかかなたをカメラに収めていた。

その書院の障壁画の世界や高橋由一の油絵を多く所蔵していることなど知る由もなかった。

それがどういうわけか金比羅の障壁画が東京に来ている、藝大美術館だ。

どんなものか行ってみる。

表書院と奥書院の障壁画が複製展示も交えて再現されている、美術館で観る代物ではないとわかりつつも惹きこまれる。

「鶴の間」「虎の間」「山水の間」などを描いたのはおなじみ円山応挙だ。

特に「虎の間」の今描かれたごとく墨がまざまざと迫ってくるのには驚いた。

奥書院は岸岱という人とおなじみ若冲が描いた。

若冲は201点もの花をあれこれ描き、岸岱は二ヶ月足らずで三つの障壁画を完成させたという、どちらかというと柔らかい絵だ。

カタログを読んではじめて知ったのだがこういう障壁画は新しく障壁画を描くにあたってはすでにあった画題を踏襲するという伝統が受け継がれてきたそうだ。

応挙や若冲の障壁画もそれを守っているということだ。

さて場所を地下に移すと絵馬だとか江戸時代の例祭の屏風とかが掲げられている。

江戸時代には航海安全の神となった金比羅さんだから「海難絵馬」などがことさら眼を引く。

そして展示最後にある「こんぴら狗」のかわいらしいことよ!

つまりはおまいりにこられない人の代参犬ということらしい。

僕はこの人形でも買おうかと思ったがうっていない。

それにしても一階から入って三階へ上って地下二階へ降りて出口は二階という展示会場のすさまじいことよ、杖突ながら本物の金比羅様をお参りしたほうがどれだけ値打ちがあることか。


サーカスに魅せられて

2007-07-15 21:59:51 | アート・文化

ピカソ、マティス、ルオー、シャガール、ビュフェ、安井曽太郎、東郷青児、瑛九ー誰でも知っている海外作家九名と国内作家十八名の名作の饗宴はとても楽しい。

主題は「サーカス」、サーカスに魅せられた彼らの作品を損保ジャパンで観る、楽しいの一言に尽きる。

まずはピカソだ、「サンタンバンク・シリーズ」が出るが、「貧しき食事」は他人が使用した亜鉛版を用いているので背景の木々はピカソのものではないという。

ルオーは「小さな家族」という大作品に驚く、出光所蔵だが212X119cmもある!

ローランサンの「アルルキーヌ」のなんと夢見心地で幻想的な顔のことか。

ビュヒェの「私のサーカス」は限定120部、一週間で売り切れたという、展示作品には65/120となっている。

「モビール」の発明者アレクサンダー・カルダー「アザラシの曲芸」もある。

日本に目を移すと長谷川潔もいる、長谷川はルドンを敬愛していたそうだ。

東郷清児の「ピエロ」はパリに渡ってピカソに惹かれながらもピカソの影響から脱却しようと模索していた時期のもの。

長谷川利行は描きたい対象が目の前にないと描けない性質だったそうで作品「ハーゲンベックのサーカス」はどのサーカス団を描いたか不明とか。

しかしこの展覧会のハイライトは神戸生まれで「サーカスの川西」と呼ばれた川西英と写真「日本のサーカス」を著した丹野章の二人にあるといっても過言ではなかろう。

川西はサーカスが好きで好きでたまらなかったのだろう、「曲馬帖」「曲芸集」とか版画集もいろいろあるそうだ。

丹野の写真もいっぱい展示されるがほんとに現場のスリルが伝わってくる。

肩こらずにいつまでも眺めていたいいい展覧会だ。


二大美術館の競演

2007-07-13 21:53:23 | アート・文化

そうそう、ルオーはステンドグラスの絵付け職人もしていたのであった。

出光が所蔵する「三人の裸婦」という堂々とした陶器のつぼを観て息をのんだ。

それは青みがかっており、幻想的でさらに言えばロマンティックだ。

この作品を観ただけでもきた価値がある。

ルオーに定評のある出光と、開館以来ルオーを収集している松下電工汐留ミュージアムからの出品で「ルオーとグロテスク」を松下電工のほうに観に行く。

グロテスク云々はあまり気にしないほうがいい。

カタログでは美学史を振り返って、ルオーのグロテスクは中世の概念に近づいていると書いているが専門家に任せておけばよい。

僕らが改めて認識すべきなのは、裁判官も道化師も裸婦もイエス・キリストも、傲慢なユビュ親父も等しく裸にして同じように愛することがルオーの生涯だったと言うことだろう。

冒頭の陶器の解説に「水浴の女たち」の主題はセザンヌへのオマージュだったとかー実際「水浴の女」の絵もかなり展示されるー「ミセレーレ」は当初は「ミセレーレと戦争」で1~33までがミセレーレ、34~58が戦争だったとか興味深い話もある。

興味深いといえば1953/10/1-11/10まで上野の国立博物館の表慶館で読売後援のルオーの展覧会が開かれたそうでその絵葉書が展示されている。

ルオーは日本人の魂にふれるところがある。