この人の代表作「眼をとじて」ではないが、眼をとじて初めて見えてくる世界がある。
内面的な世界、神秘的な世界ーときあたかも印象派と同世代そういう世界を描いた画家がいた。
ルドンだ、その「ルドンの黒」をブンカムラに観に行く。
「ルドンの黒」とは何かといえば画歴前半の木炭画と版画からなる作品をいうそうだ。
画歴後半のルドンは息子の誕生などもあり明るい世界へと向かってゆく。
岐阜県美術館のコレクション二百点が並ぶ壮大な展覧会だが案外ルドンも時代の子で当時の科学に興味があったようだ。
とはいえ神秘的なこの人だ、気球を描くのはまだましで、当時の催眠術やら、地球外生物の存在らしきものを描く。
人間は輪廻転生してほかの星で生まれ変わると考えられていたらしい。
最初の石版画集「夢のなかで」1879は25部しかすられなかったという、これではルドンの知名度は上がらない。
そんなルドンを評価したのはユイスマンスであった。
この「夢のなかで」にはモローの「出現」が影響したものや洗礼者ヨハネの殉教といったいかにもルドンが好みそうな主題が描かれている。
そして時代は流れ1890年代になるとフランスでは神秘主義やオカルト、東洋の宗教への関心が高まる。
かくしてルドンはフランス象徴主義の先達と評価されるのだが面白いことに先に書いたようにそのころのルドンは黒から光へと徐々に姿勢を変化させていた。
作品「光」では窓の向こうから光が差し込むという構図をとる。
しかし神秘思想がなくなったわけではなくデューラーの影響か「聖ヨハネ黙示録」をあらわしたりする。
さて、そこで「これらの事を聞きかつ見し者はわれヨハネなり」といってヨハネの顔が描写されるがルドンはヨハネで誰を想起したのだろうか?
いまの聖書学では福音書の著者ヨハネもヨハネの手紙の著者ヨハネもヨハネの黙示録の著者ヨハネもみな別人であることは常識なのだが、当時はヨハネの福音書の著者がイコール黙示録の著者と考えられていたといえる、ルドンもこれを踏まえていたと考えるのだがこれはなかなかおもしろい。
そして最後はパステルのルドンの花の絵で終わる、カタログにルドンの花は「現実的幻想」と書かれているが、現実と幻想が拮抗しあうところにルドンの到達した境地があると感じた。
会場は小品が多く観るのにかなり時間を要します。