だらだら日記goo編

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

アップルストアを抜けると

2010-05-28 23:58:41 | インポート
今日はiPadの発売だった。渋谷のアップルストアにも行列が出来ていた。午後2時頃の話だ。
しかし僕が向かうのはその先だ、たばこと塩の博物館。
300円で特別企画展、阿蘭陀とNIPPONというのをやっている。
狭い展示会場だからさっさと見終わるかと思いきや、一時間半もかかった。
オランダとの関係は、1600に大分に漂着したオランダ船リーフデ号の乗組員を救助したことに始まるというが、商館があった長崎だけではなく、東京駅八重洲からも遺跡が出ている。八重洲という地名は乗組員、ヤンヨーステンの屋敷があったことに由来するのだとか、へえである。
さて1609平戸に世界初の多国籍企業、VOCの商館ができる。
家康の朱印状だ、何か歴史の勉強をしている気になる。
島原の乱で商館は出島に移される。江戸参府というのが義務付けられ、最新の海外事情を幕府に報告する義務があった。
江戸ー出島およそ90日、江戸では長崎屋が宿泊場、北斎も浮世絵を描く。
さて、展示の中心はこれからで交流と影響だ。
まず絵画はレンブラントが出る。
日本の和紙を使っていたのだ、主にドライポイントの作品をするとき使ったらしい。
ヨンストンの動物図説、平賀源内が大金をはたいて購入したとか。
嗜好品とか陶磁器とか服装とかいろんな影響があったのだな。
出島オランダ商館医として1690-92に来日したケンペルは日本誌をあらわす。これをカントやヴォルテールも利用したとははじめて知る。
面白いのはフリーメーソンシンボル入りの文箱と小箱が展示されていること。
日本人初のフリーメーソン会員は西周と津田真道だったとか。
最後はシーボルトと川原慶賀。
川原慶賀を知らなかったが、シーボルト事件に連座したとか。
代表作は、人の一生、このシリーズはいろいろなコレクションに収められているそうだが、今回の展示は近年オランダで発見された新出資料、長崎の博物館の所属だ。
シーボルトには妻に日本人タキがいて、娘にイネがいた。
そのイネは明治3、日本人初の西洋医学式の産婦人科女医として東京で開業、福沢諭吉の推挙により宮中に出仕したという、いや恐れ多い。
お腹いっぱいになる展示、図録もコンパクトながら論考がいい。


タイアップ企画?

2010-05-20 23:26:27 | インポート
朝の四時半に目が覚めて2度寝できずに辛いのだが、庭園美術館へ行く。
朝日主催で、ロトチェンコ&ステパーノワ、ロシア構成主義のまなざしというのをやっているのだ。
なぜか1100円も取る、ドレスコード割引というのもあるが、こちら招待券だから関係ない。
この二人はロシアアヴァンギャルド美術のリーダーで1913に美術学校で出会い、1916から共同生活をおくり、娘ももうけたらしい。
絵画に始まって、グラフィック、建築、デザイン、演劇、印刷、写真と幅広く活躍した。
ロトチェンコのモティーフは線主義だ。1919に線こそが構成の重要なモティーフと宣言したそうだ。
ステパーノワによる、構成者ロトチェンコ 線 という風刺画がよく物語っている。
驚いたのはロトチェンコが麻雀牌までデザインしていたこと。
知識人のあいだで麻雀は盛んに行われていたらしい。
しかしこの展覧会、庭園美術館という会場にふさわしくない。
庭園を眺められるテラスも今回は閉鎖しているし、お馴染み朝香宮低の各部屋の特徴も活かされていない。
ちなみに音声ガイドもビデオもなし。
図録を購入すると7/3より芸大美術館で開催される、シャガール ロシアアヴァンギャルドとの出会い、の百円割引券が着いてくる。
どちらもロシアアヴァンギャルドだからであろう。
この展覧会はプーシキン美術館、シャガールはポンピドーセンターの所蔵品から構成されるとか。
あとどうでもいいが目黒雅叙園の割引券がチラシコーナーに置いてあった。
雅叙園は東京都指定有形文化財、百段階段をどんどん宣伝する戦略のようだ。
平山郁夫に始まって有名芸術家とのコラボを次々とやるが今度は武田双雲ときた。
しかしこれも1500円も取る、なんだかなあ。


アルコールの魔力

2010-05-14 23:32:01 | インポート
僕は下戸だが、アルコールには果てしない力があるのだろう。
今損保ジャパン東郷青児美術館で開催中のユトリロ展をみて改めて思った。
ユトリロの展覧会は幾つも開かれているが、やはりその波乱万丈の人生がみるものの共感をさそうといってよかろう。
今回の展覧会は全作品日本初公開と銘打っているが、何のことはない、個人コレクションのお披露目だ。
まぁ特に目新しいことはない、いつもみるユトリロがそこにはいる。
何しろ10代でアルコール依存症になったユトリロではある。
その治療として絵画をはじめたこともよく知られている。
はじめはモンマニーという地で制作する。最初の義父が館を建てたからだ。
モンマニー時代は色彩感覚や厚塗りに特徴があるようだ。
で、白の時代を経て色彩の時代へ。
その間に母ヴァラドンの男関係は凄まじく、いろいろ義父が変わる。
法律上の父親も当然いて、スペイン人の画家だそうだ。
ユトリロ8歳の時認知して、で、ユトリロを名乗ったわけだ。
しかしユトリロの画家仲間で、ユトリロより3歳下のユッテルという人とも結婚したヴァラドンは凄まじい。
そしてそんな母をジャンヌダルクとともに聖女としていたユトリロ、母は強しだ。
1938に母が死んだ時はユトリロは礼拝堂にこもり一日祈っていたという。
まことにユトリロの後半生のテーマは祈りだ。
ユトリロは1933に洗礼を受けたという。
そういえばユトリロの作品には教会を描いたものが多い。
母の教えで洗礼は禁止されていたそうだが、ユトリロにとって宗教の存在は大きかろう。
酒を飲んで警察に捕まったり、精神病院に入れられたり、周りの人間はユトリロをよくマネージメントしてくれる、ってつまりは金づるだ、本当にすがりたいものがあったに違いない。
ユトリロは絵はがきを見て風景を描いた、エッフェル塔なども描いた作品があるが絵はがきを見なければ描けなかっただろう。
マキという地をよく描いてもいたらしい。
貧困街だ、モディリアーニも一時住んでいたとか。
結局ユトリロの視線は、あのイエスの貧しき者は幸いなりという言葉からそう遠くないところにあるように思った。


私は驢馬に乗ってー

2010-05-02 23:46:08 | インポート
女性の下着は白が当たり前の時代にそれに異議を唱えた女性がいた。
鴨居羊子という、今河口湖美術館で展覧会が開かれている鴨居玲のお姉さんだ。
鴨居はジャーナリストから下着屋に転身して下着のショーを開くなど斬新な方法で世の中にうってでた。
その鴨居を振り返る展覧会が今川崎市岡本太郎美術館で開かれている。
なぜに岡本太郎かというと岡本と鴨居は面識があり、岡本は鴨居の写真を撮っているばかりではなく、鴨居は岡本太郎に宛てて手紙を出していたという。
なんという個性のぶつかり合いか!
それどころか鴨居の戦略は凄い、ヨーロッパに出かけてから、人形を次々と制作するが、それらを、英江さんにお任せします、と細江英公のところに持ち込み撮影してもらう。
そもそも下着会社を設立するとき、今東光や司馬遼太郎に役員になってもらったり、女は下着でつくられる、という映画作品の監督までするというからどんな女性かと思ってしまう。
1925生まれの女性だ、女は良妻賢母であるべきという思想が支配していた時代でもある。いかにも突飛な女性を想像するが、彼女もごく普通の女性でもある。
彼女の描く絵には大体犬や猫が登場する。彼女はいう。
ライオンはいないから、とりあえずそのころは道で行きかうのら犬やのら猫が私の唯一の友だちとなった。
彼女の描く絵の中にはキャットガールなる頭に猫を乗せた不思議な人物も登場する。
下着革命とはいうものの時代の中で理解してくれる人も少なく内面は孤独だったのだろう。
さて今日は劇団唐ゼミ☆によるイベントもあり楽しんだ。
したぎと中世ーわたしは驢馬になって下着をうりにゆきたい。
鴨居がデザインした下着をはいた劇団員たちが、30分会場内を練り歩く。
展覧会チラシには15分と書いてあるが、30分だ。
しかし思う、今はミセパンなどといってわざと下着を見せるのが若い女性の間で流行っているが、鴨居のような存在があればこそだ。まさに時代の前衛、岡本太郎とも共通するなと。
図録には鴨居の、下着ぶんか論1958が全て収録されている、良い展覧会をみた。