世の中には変わった芸術家もいるもんだ、だから面白い。
はじめ作品を前にしたときは、見事な「絵画」だと思った、しかしそれは「絵画」ではなく木に彫られたものなのだ。
シュテファン・バルケンホールという初めて名前を聞く彫刻家の作品展を東京オペラシティアートギャラリーに観に行く。
パンフレットからは想像もできなかったが、すべての作品が木に彫られているのだ、面白い。
その作品は絵画的要素を持ったものと、丸彫りの立体作品からなる。
前者は「ドレスデン宮廷教会」など宗教的作品やハンブルクの高層住宅を扱ったものがある。
木々は緑で行きかう人も織り込まれており遠くから観ると絵画のようだが、実は木に彫って彩色したものだという。
その計算の高さ、効果の高さに圧倒される。
後者の丸彫りは鑿のあとすらはっきりわかる作品群で、人物やら動物、台座から一本の木から彫りだされるという。
人物も腕組みしたりポケットに手をいれたりいろいろしている。
「三人の女のヌード」などでは、台座の木がすっかり割れているのでいかにも原始性、大地性を感じさせる。
「女の裸体、線のレリーフ」ではくねくねした線が裸体の立体とマッチしてなまめかしい。
しかしその「線」すらもペンで描いたのではなく彫っているのだ!
最後は「ピエタ」だ、しかし芸術家はその背後に「愛し合うカップル」のシルクスクリーンを置き、意識的に宗教性を排除しようとしているかに見える。
そう、おそらく芸術家にとってはすべては意識的であり計算づくであり、既存芸術への挑戦なのだ。
絵画である、彫刻である、木である、すべての前提がこの芸術家の前では揺らぐ。
今までの芸術と違うなにかがおそらくここにはある。
会場を往復しながらふとそんなことを考えた、カタログをゆっくり読もう。
なお作品に用いられた木は「アユース材」が多く用いられていた、が「ヒマラヤ杉」なんかもある。
同時開催の所蔵品相原昌義も何気ない日常生活を描きつつ都会の孤独を表現していて良かった。素敵な展覧会だ。
はじめ作品を前にしたときは、見事な「絵画」だと思った、しかしそれは「絵画」ではなく木に彫られたものなのだ。
シュテファン・バルケンホールという初めて名前を聞く彫刻家の作品展を東京オペラシティアートギャラリーに観に行く。
パンフレットからは想像もできなかったが、すべての作品が木に彫られているのだ、面白い。
その作品は絵画的要素を持ったものと、丸彫りの立体作品からなる。
前者は「ドレスデン宮廷教会」など宗教的作品やハンブルクの高層住宅を扱ったものがある。
木々は緑で行きかう人も織り込まれており遠くから観ると絵画のようだが、実は木に彫って彩色したものだという。
その計算の高さ、効果の高さに圧倒される。
後者の丸彫りは鑿のあとすらはっきりわかる作品群で、人物やら動物、台座から一本の木から彫りだされるという。
人物も腕組みしたりポケットに手をいれたりいろいろしている。
「三人の女のヌード」などでは、台座の木がすっかり割れているのでいかにも原始性、大地性を感じさせる。
「女の裸体、線のレリーフ」ではくねくねした線が裸体の立体とマッチしてなまめかしい。
しかしその「線」すらもペンで描いたのではなく彫っているのだ!
最後は「ピエタ」だ、しかし芸術家はその背後に「愛し合うカップル」のシルクスクリーンを置き、意識的に宗教性を排除しようとしているかに見える。
そう、おそらく芸術家にとってはすべては意識的であり計算づくであり、既存芸術への挑戦なのだ。
絵画である、彫刻である、木である、すべての前提がこの芸術家の前では揺らぐ。
今までの芸術と違うなにかがおそらくここにはある。
会場を往復しながらふとそんなことを考えた、カタログをゆっくり読もう。
なお作品に用いられた木は「アユース材」が多く用いられていた、が「ヒマラヤ杉」なんかもある。
同時開催の所蔵品相原昌義も何気ない日常生活を描きつつ都会の孤独を表現していて良かった。素敵な展覧会だ。