だらだら日記goo編

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木を彫るということ

2005-10-30 23:08:13 | アート・文化
世の中には変わった芸術家もいるもんだ、だから面白い。
はじめ作品を前にしたときは、見事な「絵画」だと思った、しかしそれは「絵画」ではなく木に彫られたものなのだ。
シュテファン・バルケンホールという初めて名前を聞く彫刻家の作品展を東京オペラシティアートギャラリーに観に行く。
パンフレットからは想像もできなかったが、すべての作品が木に彫られているのだ、面白い。
その作品は絵画的要素を持ったものと、丸彫りの立体作品からなる。
前者は「ドレスデン宮廷教会」など宗教的作品やハンブルクの高層住宅を扱ったものがある。
木々は緑で行きかう人も織り込まれており遠くから観ると絵画のようだが、実は木に彫って彩色したものだという。
その計算の高さ、効果の高さに圧倒される。
後者の丸彫りは鑿のあとすらはっきりわかる作品群で、人物やら動物、台座から一本の木から彫りだされるという。
人物も腕組みしたりポケットに手をいれたりいろいろしている。
「三人の女のヌード」などでは、台座の木がすっかり割れているのでいかにも原始性、大地性を感じさせる。
「女の裸体、線のレリーフ」ではくねくねした線が裸体の立体とマッチしてなまめかしい。
しかしその「線」すらもペンで描いたのではなく彫っているのだ!
最後は「ピエタ」だ、しかし芸術家はその背後に「愛し合うカップル」のシルクスクリーンを置き、意識的に宗教性を排除しようとしているかに見える。
そう、おそらく芸術家にとってはすべては意識的であり計算づくであり、既存芸術への挑戦なのだ。
絵画である、彫刻である、木である、すべての前提がこの芸術家の前では揺らぐ。
今までの芸術と違うなにかがおそらくここにはある。
会場を往復しながらふとそんなことを考えた、カタログをゆっくり読もう。
なお作品に用いられた木は「アユース材」が多く用いられていた、が「ヒマラヤ杉」なんかもある。
同時開催の所蔵品相原昌義も何気ない日常生活を描きつつ都会の孤独を表現していて良かった。素敵な展覧会だ。


桜の樹の下にあるものは

2005-10-27 22:54:56 | アート・文化
桜の樹の下には死体が埋まっている、といった人がいる。
桜で有名なこの画家の絵にもいささか不気味なところがある、ただ美しいだけではない。
今回は四点しか展示されていないが「樹霊淡墨桜」などを観るとそんな感じがする。
この人の植物画全体が異様とも思える。
リンゴを二分の一にしたり四分の一にしたりしたのを並べて描いたり、メキシコの手作りおもちゃと花を並べて描いたりする。「ポインセチアと兎」といった具合に。
大して期待しないでいった展覧会日本橋高島屋の中島千波の還暦展、しかしこれに度肝をぬかれた。
度肝を抜かれたのは桜の絵ではない。この人の人物画だ。
たとえば「空*97-8~10-飛-r1r2l1l2」なる作品はどうだ。
四曲の屏風が四つ、全部で何メートルあるのだろう、暗い背景に人が飛び交っている!
「深淵Bゴヤ、人食い」なる作品もある、実際人を食っている。
「白紅」という作品は人の全身に覆いがかかっていて手と足だけ見えるという構図だ。
これをこの画家が若い頃影響を受けたシュールレアリズムのためと評価するのはたやすいが、僕には現代の人間存在そのものの不安とも思える。
ごくさいきんの作品「identity03-9-p」ではありふれた女性たちを描いているようで、右下を見ると人の顔が一人の女性に踏まれている、これは一体なんであるか。
この画家は最近、成田山東京別院深川不動堂に「大日如来蓮池図」を収め、仏教にも近づいた。
そしてこの還暦記念に画家はセザンヌの愛したサント・ヴィクトゥール山を屏風絵に描いた。
この山の崇高な感じとセザンヌの冷たさを屏風に描くとどんなものになるか挑戦したのだ。
そう、まだこの画家は六十歳、これからどんな境地にいたるか楽しみだ。
カタログにはカタログ執筆者の学芸員の顔写真まで載っている、まことに奇妙な展覧会、しかし至極満足。


陽光のなかへ

2005-10-25 22:57:56 | アート・文化
今年はベルギー美術の当たり年だ。
Bunkamura、世田谷美術館と来て今度は府中市美術館「ベルギー近代の美」展覧会。
どんなものかいってみるが、一番整理されていて美しい展覧会だ。
ベルギーはもともとフランスと国境を接しているため、フランス美術の影響が強いのだろう。
フランス印象派の影響で「光の表現」を模索する「陽光派」なるものもできたというが展覧会はそこからスタート。
まずは、エミール・クラウスという画家、「読書する女」「マーガレット」「藁を積む女」の三点だが、いずれも明るい植物が、画面のほとんどを占め、人間は飾りのようだ、素敵だ。
スミッツという画家の絵は大変異様だ、あまりに分厚いマチエールで画面が盛り上がって見えるのだ。
一方、ファン・レイセルベルヘという人はモネの絵を髣髴とさせる陽光だ、「朝霧のフェーレ」は素晴らしい。
続いてはベルギーにおける展開のコーナー、アンソールやデルヴォー、ファン・デル・ベルヘといった画家。
しかしミンヌの彫刻が素晴らしい。
「ひざまずく男女」はオーク、「聖遺物をになう少年」はブロンズだが、どちらも深い精神性を感じさせる。
デルヴォーの「会話」は骸骨が女性と会話している作品で「謎」はまことになぞめいた作品だが「作品の意味の解釈は無意味」とか言われるとそうかとも思う。
イェスペルスの「都合の良い結婚」も面白い。
頭部を失った女性のえで、頭の位置には船が描かれる。
船で逃避行ということであろうか。
第三部は抽象絵画、「冷たい抽象」といわれるペールという人はすべてを垂直線に還元し、「熱い抽象」のアレシンスキーは日本の書やアクションペインティングに学んだという。
展示数は多くないが、世田谷美術館の展覧会のようにやたらめったら詰め込まないので、すっきり整理されている。
ハインリッヒ・サイモンという人のコレクションで日本初公開という。
カタログもコンパクトで左ページに解説、右ページに図版とわかりやすいのが良い。
帰りの電車で「アエラ」、「ゴッホが愛したちりめん絵ー「タンギー爺さん」最後の浮世絵をめぐる推理」を読む。
南仏アルルの陽光の中で日本を思ったゴッホ、彼にとってのユートピアであるこの美しい日本に住む幸せを思う。


仙人の描く絵

2005-10-23 23:26:16 | アート・文化
仙人は霞を食べて生きるから、アトリエの一室を棲霞軒と名づけ、芸術三昧の日々をおくったそうだ。
しかし仙人気分はいいがその作品はどれも同じ構図で陰影に乏しく深みがない。
女性で始めて文化勲章をもらった上村松園の絵を観た感想だ。
きのう届いたチケットで山種美術館に「松園と美しき女性たち」を観に行く。
ここの美術館は所蔵品は多いが展示数がいつも物足りないので避けていたのだ。
ただなので久しぶりに行って見たがやはりがっかりする。
松園の作品はたとえば「蛍」は「一茶か蕪村の句」に触発されて「天明の少し古いころ」を想定して、「良家の婦人」を描いたというし、「砧」は謡曲「砧」に取材して「徳川時代享保」を想定して「肖像あるいは仏像のような気持ち」を表現したというが、どうも薄っぺらい、精神性に乏しい。
まあどの作品もそんな調子なのだ、僕にはそう思えた。
あとは江戸から現代までの女性を描いた画家たちの作品あれこれ。
一番圧倒されるのは川端龍子の「真珠」だ。
何でも「会場芸術主義」を唱えた作品で大きな屏風に裸の女性たちが波打ち際に横たわっている。
これを観て龍子の作品に俄然と興味がわいた。
奥村土牛の「踊り子」もいい。谷桃子の「白鳥の湖」を取材した作品で絵を描いている間画家もモデルも寡黙だったそうな。
しかしあとはぱっとしない。
橋本明治という人の「舞」という作品は「現代の女性としての激しい感性」や「屈折したもの」が舞うことによって匂い立ってくるというが、やはりこの絵も精神性に乏しい。
現代画家「午後の慈光」という作品は「無償の愛を持った見えない存在」つまりは超越者を予感しながらかかれたようだが、画面が暗すぎ、やはり精神性に物足りないことおびただしい。
そういう意味では加藤登美子というやはり現代画家の作品がこの展覧会を象徴している。
「ニューヨークの彩り 空を飛ぶ」と題された作品。「1990年代末のニューヨーク」「高層アパートメントの部屋から下方を見てのロケーション」そのままを描く、つまりは即物的極まりない。
まあ江戸時代の絵画から時代の勉強にはなるが作品に深みがほしい。
松園の「四季美人図」という作品は15歳のときで英国殿下に買い上げられたというが、この女性画家の作品をもっと観てどんな画家か判断したい、回顧展をどこかでやらないものか。今回は展示数が少なすぎた。


招待券での美術鑑賞

2005-10-22 23:42:14 | アート・文化
今日は今日とて吉祥寺パルコにおいてあった招待券で池袋西武「マリアテレジアとマリーアントワネット」の展覧会に。
その後目の前のジュンク堂書店の美術売り場で新聞社主催のカタログフェアを眺めて、東京に回ってこなかったロダンのカタログを購入。
その後母のホームへ西武鉄道三本乗り継いで池袋から行く、さすがに疲れたので展覧会感想は明日にでも。
帰って来ると加入している毎日フレンドから山種美術館の「松園と美しき女性」の展覧会チケットが届く。
考えてみるとここのところ無料チケットで美術展めぐりしていることが多い。
無料チケットはまだある、新聞社からもらった川端龍子、Juneさんからいただいたドイツの現代写真、どこぞ美術館においてあった新聞博物館の招待券とかー。
なんだか、金払って美術館行くのがバカらしくも思える。
明日は明日で府中市美術館が無料解放だ、競馬があって電車が込むな、行こうか迷う。
さて山種美術館のチケットには「金券ショップ、インターネットオークション、ダフ屋から購入された場合本券は無効です」などとへんてこなことがかいてある。
どうやって見分けるのだろうか。