展示の最初のセクションは「光あれ」だった、なるほどと思った。
創世記の神の言葉のごとく、近代絵画の幕開けが外光の移ろい行く色彩を表現しようとした印象派であったことを思えばいいネーミングだ。
で冒頭は日本好きのモネが大原美術館に贈った「睡蓮」と、空気を描く方法として朦朧体を考案した菱田春草の比較で始まる、うまい。
大原美術館76年と近代美術館54年の収集の成果を披露する「モダン・パラダイス」の展覧会、しかし神様は「光あれ」といった後だまってしまったようだ。
残りの展示はただの名品展となった。
「光あれ」のコーナーはただの風景絵画写真の集合だ。
セガンティーニのアルプスに又出会えたのはうれしいが、杉本博司のカリブ海の写真の展示とか意味がわからない。
第二章は「まさぐる手、もだえる空間」第三章は「心のかたち」よくわからぬ題名だ。
yukoさんがブログで触れておられた関根正二「信仰の悲しみ」、大原美術館に出会えたのがうれしい、関根は夭折した画家だが、死の直前に本当に幻が見えたのだろうか。
しかしその脇にいきなり堂本右美とか言う現代美術家の作品をおかれると興をそがれることおびただしい、せめてさびしげな表情のこれまた大原のルオー「道化師」を置いてもらいたい。
第四章は「夢かうつつか」、モローの「雅歌」で始まる、これまた大原、夢かうつつかうっとりしているとやなぎみわだの藤田の「決戦ガダルカナル」だのがお出まし、夢から覚める。
第五章は「楽園へ」、東松照明の「光る風・沖縄」はこの写真家が二年も通いつめてカラー写真へとシフトした転回作、しかし写真三点では沖縄の雰囲気は伝わらない、シリーズで見せてくれないとー。
ゴーギャンの「かぐわしき大地」も大原だ、聖書の楽園追放に題材を求めたようだが彼の愛した南国の自然は厳しすぎたようだという。
そんなこんなで消化不良、「モダン・パラダイス」というが楽園は見つからずー。
大原美術館の名品カタログを求めて会場をあとにした。