だらだら日記goo編

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楽園はないのか

2006-08-18 22:24:57 | アート・文化

展示の最初のセクションは「光あれ」だった、なるほどと思った。

創世記の神の言葉のごとく、近代絵画の幕開けが外光の移ろい行く色彩を表現しようとした印象派であったことを思えばいいネーミングだ。

で冒頭は日本好きのモネが大原美術館に贈った「睡蓮」と、空気を描く方法として朦朧体を考案した菱田春草の比較で始まる、うまい。

大原美術館76年と近代美術館54年の収集の成果を披露する「モダン・パラダイス」の展覧会、しかし神様は「光あれ」といった後だまってしまったようだ。

残りの展示はただの名品展となった。

「光あれ」のコーナーはただの風景絵画写真の集合だ。

セガンティーニのアルプスに又出会えたのはうれしいが、杉本博司のカリブ海の写真の展示とか意味がわからない。

第二章は「まさぐる手、もだえる空間」第三章は「心のかたち」よくわからぬ題名だ。

yukoさんがブログで触れておられた関根正二「信仰の悲しみ」、大原美術館に出会えたのがうれしい、関根は夭折した画家だが、死の直前に本当に幻が見えたのだろうか。

しかしその脇にいきなり堂本右美とか言う現代美術家の作品をおかれると興をそがれることおびただしい、せめてさびしげな表情のこれまた大原のルオー「道化師」を置いてもらいたい。

第四章は「夢かうつつか」、モローの「雅歌」で始まる、これまた大原、夢かうつつかうっとりしているとやなぎみわだの藤田の「決戦ガダルカナル」だのがお出まし、夢から覚める。

第五章は「楽園へ」、東松照明の「光る風・沖縄」はこの写真家が二年も通いつめてカラー写真へとシフトした転回作、しかし写真三点では沖縄の雰囲気は伝わらない、シリーズで見せてくれないとー。

ゴーギャンの「かぐわしき大地」も大原だ、聖書の楽園追放に題材を求めたようだが彼の愛した南国の自然は厳しすぎたようだという。

そんなこんなで消化不良、「モダン・パラダイス」というが楽園は見つからずー。

大原美術館の名品カタログを求めて会場をあとにした。


明日の予定

2006-08-14 22:17:13 | アート・文化

あさって、しあさっては現場実習ー施設実習で朝早く起きなければいけないので明日は帰ってきたらすぐ寝る予定、パソコンにも触らないつもりなので明日の予定を書いておきます。

一部新聞報道でもされていますが、青山ユニマット美術館というのが誕生しまして、シャガールとエコールドパリの展覧会をやっているようなのでそれを観に行く予定。

ちょっと調べたらこの青山ユニマット、新規にオープンしたというより、箱根芦ノ湖美術館が移転したもののよう。

というわけでノウハウはすでに持っているでしょうからどんな展示内容になるのか期待です。

青山のすぐ近くにやはりシャガールを売りにしていたアニヴァサリー表参道というのもありましたが、どうなっているのでしょうか。

開館直後はよく通ったものですがー。


先生、トラックバック失礼します

2006-08-10 22:25:36 | アート・文化

「海は未知なる星だ」

「サメは怖くない、怖いのは潮流だ」という写真家だ。

山岳写真、航空写真に比べて水中写真はおくれてきた、当たり前だが機材の問題だ。

日本を代表する水中写真家中村征夫の展覧会に写真美術館にいく。

海の中のきれいな風景あれこれ、夏休みにいいーとばかり言ってもいられない。

たとえば知床だ、知床が世界遺産に登録されたのは流氷の影響もあることを知る。

普通森の恵が海を育てるといわれるが知床では海の恵の流氷が森も育てるのだ。

それは流氷に含まれる植物性プランクトンによるものという、ここから食物連鎖がはじまる。

流氷の海あればサンゴの海あり、しかし地球温暖化はサンゴの石化という現象ももたらす。30Cの海に三週間いればサンゴは死ぬという。

その石化を食い止めるのが実は台風の役割なのだ、水中の温度を攪拌させるー自然の知恵とは素晴らしい。

しかしサンゴの産卵のピンク色の卵の吹雪はどうだ!

自然は太古から同じ営みを繰り返してきたのだ。

夏休み展覧会ではないわけはもっとある、写真家は水中の写真にはモノクロームが適しているというのだ。

で、モノクローム写真コーナーもあるが地上の風景と錯覚しそうな水中の風景はたまらない。

圧倒されるのはトンガの実物大のザトウクジラの写真だ、まことに大きい!

ザトウクジラはトンガから南氷洋まで数千キロの旅をするという、太古からの遺伝子、気の遠くなるような話だ。

この写真家は又ライフワークに東京湾の環境汚染や水俣の問題を取り上げている。

水俣では皮肉にも水銀に強いキサンゴが咲き乱れ、東京湾の自然も回復しつつある、自然とは人間の考えるよりはるかに強いと思う。

この写真家は奥尻島の北海道南西沖地震の大津波でほとんどすべての機材を失ったという、それでもこのような展覧会が開かれるとは人間の力も自然の力に劣らず強いと思う。

カタログを求めると写真家中村先生ご本人が近くにおり、サインをいただいた。

先生のブログにトラックバックを約束したのでこれからしてきます。

いい展覧会でした。


カタログ売ってます

2006-08-07 22:23:28 | アート・文化

会場から出てくる人で、カタログを持っている人が一人としておらずみなうちわを抱えているのが奇妙だった。

月曜日、本来ならば休館日、ミュージアムグッズの販売はしていないのかもしれないなと思いつつ会場へ入った、「ペルシア文明展」、朝日新聞の「アスパラクラブ」の会員限定招待会へ東京都美術館へ行く。

ペルシア文明の展覧会は50年ぶりだそうだがはっきり言って展示構成に問題がある、「黄金の煌き」をテーマに掲げたのは良いが、黄金作品のところはやけにゆっくり鑑賞できるつくりになっているので、逆に言えばほかのところは展示作品を所狭しと並べているため、鑑賞者がゆっくり鑑賞できるスペースと鑑賞できないスペースに分かれてしまっている、作品リストの出品番号と実際展示されている作品の陳列順序もあいまいでメモをとるほうからしてみたらかなり疲れる展示構成だ。

金貨や銀貨を並べたりして何の説明もないのもいただけない。

普通「ボーラーンのドラクマ銀貨」といわれて何のことかわかる人がどれほどいるだろうか。

展示解説もいただけない「ササン朝ペルシアの国際的ヒット商品」なる解説文はいかがか。

招待されて文句ばかりもいけないから、少しはほめよう。

ペルシア帝国の最大領域を確保したのがダレイオス一世だ、当時のペルセポリスには高さ二十メートルの柱が建っていたというが、それを再現したのは面白い。

ライオンは神獣と心得られていたようだ、翼を持つライオンが好まれたという。

アレクサンドロスによってアケメネス朝は滅び、アルケサス朝パルティアが誕生するが、工芸品もいかにもギリシア風になるのが面白い、「グレコ・イラン式」というそうだ。

ササン朝になると東大寺正倉院のガラス碗に影響を与えたという「商品」も登場する、それが先に述べた「ササン朝ペルシアの国際的ヒット商品」だ。

その他、メソポタミアとイランを結ぶ「ラピスラズリの道」やら、いすのミニチュアやら、洞窟遺宝やら面白い人には面白いだろう。

結局最後まで見てカタログも販売していて、カタログ買ったのは見ている限り僕だけ。

無料だからと興味本位で来ている人が多いことがわかった。

でうちわはアスパラクラブの宣伝、暑いからいいやと出口においてあるのを僕も勿論頂戴した。


アラスカに魅せられて

2006-08-03 13:27:11 | アート・文化

「星野道夫ー星のような物語」の展覧会にインターネットミュージアムさんの招待券でいく。

星野道夫については改めて書く必要もないだろう、彼が遺した写真とともに展覧会会場にちりばめられ、カタログに収録された彼の言葉から星野の思想をおってみたい。

「あらゆるものが、どこかでつながっているのさ」

「たとえ親であっても子どもの心の痛みさえ本当に分かち合うことはできないのではないか。ただ一つできることはいつまでも見守ってあげるということだ。

その限界を知ったとき、なぜかたまらなく子どもがいとおしくなってくる」

「眼に見えるものに価値を置く社会と見えないものに価値を置くことができる社会の違いを僕は思った。そしてたまらなく後者の思想に魅かれるのだった」

「太古からの呼び声に人はどこかでそっと耳をすましている」

「人間の歴史は、ブレーキのないまま、ゴールの見えない霧の中を走り続けている。

だがもし人間がこれからも存在し続けて行こうとするのなら、もう一度、そして命がけで、僕たちの神話をつくらなければならないときが来るかもしれない」

「幸福を感じる瞬間とは、ありふれていて華々しさのない、たまゆらのようなものだった」

「いつかある人にこんなことを聞かれたことがあるんだ。たとえばこんな星空や泣けてくるような夕陽を一人で見ていたとするだろ。もし愛する人がいたら、その美しさやそのときの気持ちをどんなふうに伝えるかって?

写真を撮るか、もし絵がうまかったらキャンパスに描いて見せるか、いややっぱり言葉で伝えたらいいのかな。

その人はこういったんだ。自分が変わっていくことだってー。

その夕陽を見て、感動して、自分が変わってゆくことだと思うって」

印象に残った言葉を順不同に引用しました。

大型の写真をずらりと並べたこの展覧会、松屋銀座を皮切りに全国を巡回します。