だらだら日記goo編

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人の声?

2005-05-08 22:58:24 | 音楽
今日は中古CDショップでの話し。
クラシックコーナーを見ていたら、若い女性が店員に「ここで買ったんですけど、人の声のようなものが入っているんですがー」といかにも気味悪そうに相談。店員も知識がないようで困っているので僕がちょっとアドバイスしてあげた。
別にCDなりレコードなりに人の声が収録されているのは不思議ではない。
たとえばグレン・グールドなるピアニストは演奏中に感極まって歌いだしたりした、それがそのまま収録されている。
ほかにもライブ録音では指揮者のえいやっと言うような声やウーという声が収録されていることは不思議ではない。
現代の演奏家でもライブ録音を好むものは多い。
今はなきバーンスタインもそうだったが、レコード技術の進歩でライブの傷のようなものはほとんど修正されている。
人の声などは無論、聴衆がいることすらもわからない、最後に拍手が収められているのでライブとわかる次第だ。
しかしそんな現代でも人の声を敢えて修正しない指揮者もいる。
炎のコバケンとか言われる人だ。
情熱的なのは良いが、ものすごいうなり声がおさめられている。いつもそうだ。
これを良しとみるかどうかは人さまざまだが僕は賛成できない。
冒頭の若い女性の持っているCDもこの人のだった。
初心者には何が起こったのか、霊の仕業かと不気味になるのもしようがない。
話は変わるが今日は府中市美術館へ行ってきた。
「ぐるっとパス」でわずか40円で入館できたのは良い。
しかし今日は府中で競馬が開催されていたため電車が行きも帰りも大混雑。
競馬新聞を手にした人が、座席をかなり占領していた。
これからあちらに行くときは競馬が開催されているか調べないといけないと思った。
展示は木版画の世界だがやはり棟方志功の作品が素晴らしかった。
棟方もベートーヴェン、特に第九を愛したという。
ものすごい意志の人だから意志の音楽がやはりあっている。


指揮者のテンポ

2005-03-25 23:39:49 | 音楽
前から書こうと思っていて忘れていたことがある。
それは指揮者のテンポについてだ。
「偉大」と形容される指揮者はおおむね晩年になるとテンポが遅くなる。
ベーム、ショルティ、バーンスタイン、チュリビダッゲみなそうだ。
バーンスタインなどことにそうで、壮年期のはつらつとしたテンポの録音と聴き比べるとその変化は驚くばかりだ。
マーラー、チャイコフスキー、彼は敬愛する作曲家をたびたび録音したが晩年のそれには僕はついていけない。
チャイコフスキーの「悲槍」の最終楽章など晩年の録音は二十分以上かかっているのだ。
これを「思い入れたっぷり」とか「円熟」とか形容する人もいるが、音楽が流れないのだ。
僕の好きなベートーヴェンの第九でも第一楽章にこれらの巨匠は十八分以上かけている。
こうなってくると緊張感の問題になってしまう。
カラヤンは自分の第九が一枚に納まるようにとCD開発の際要望したというが、これらの巨匠の第九は全体で八十分、CDぎりぎりである。
そこでカラヤンだ。
僕がカラヤンを偉いと思うのはその音楽性、政治性はともかく晩年になってもテンポが弛緩しないことだ。
言い換えれば彼はごく早い時期に自身の音楽美学を作り上げて、それを晩年まで一貫させたといってよい。
彼の第九は壮年期でも晩年でも日本でのライブでもテンポもスタイルもほとんど変わらない。
変わるのと変わらないのとどちらがいいかは人さまざまだが、カラヤンの場合はスタジオ録音を好んだということもあろう。
バーンスタインは反対に晩年はほとんどライブだった、だから彼の音楽美学というよりそのときの心境がストレートに反映されたのだろう。
最近の指揮者は古楽器の演奏の影響を受けている。
アバドなどいい例で、そのため第九の演奏も以前よりテンポがはやくなっている。
そろそろ円熟期を迎える指揮者のテンポが速まっているとは面白い。
彼らが本当に自分の内面を吐露したい時期を迎えたら、テンポはどうなるか、興味深い話ではある。


Clavesというレーベル

2005-03-03 23:05:58 | 音楽
今日タワーレコードから予約しておいたフルトヴェングラー大全集が届いた。
CD50枚にいろいろな特典がついて126000円、高いか安いかは見る人によるだろう。
キングレコードから出ている。ということは当然グラモフォンやEMIなどで販売されている録音ではないということだ。
キングレコードというと以前スイスのレーベルClavesを発売していた。
なかなかポリシーのあるレーベルで、スイスの作曲家とかあまり知られていない作曲家も良く取り上げていた。
メジャーな作曲家の録音も良いものが多い。
特にモーツァルト。
ルーカス=グラーフのフルートの作品やトーマス・フリードリヒのクラリネット協奏曲など素敵の一言だ。
ゴリツキという人の指揮したベートーヴェン1,4番の交響曲もよかった。
きびきびしたテンポで爽快に初期ベートーヴェンをうたいあげていた。
ブラームスのドッペルコンチェルトも無名の演奏家が力の限りを振り絞り、重厚な音楽になっていた。
歴史的なものでは、アンセルメがストラヴィンスキー「兵士の物語」を1952年に実況録音したものとか、ティボール・ヴァルガのヴァイオリンもよかった。
売れる売れないに関係なく良いものは良いとして出しているレーベルだ。
しかしこのところキングからはClavesのものは発売されていない。
タワーレコードなどでこのレーベルの音楽は見かけるので、もう輸入版オンリーということなのだろう。
最近「レコード芸術」を読んでいないのでクラシックの動向はよくわからない。
しかし商業主義の波は確実に押し寄せている。
フルトヴェングラーの録音が次々出てくるが、中には評価できないものもある。
それでもフルトヴェングラーとか、カラヤンとか、名前だけが一人歩きしている。


第九の魔力

2005-03-02 23:26:06 | 音楽
元気になりたいときよくベートーヴェンの第九を聴く。
第九は不思議な音楽だ。
ヨーロッパではめったに演奏されない神聖な音楽だから、指揮者の力量や音楽観がまともにでてしまう。
それも第一楽章を聴いただけでだいたいのことがわかる。
素人の僕なんかでも評価できるのは、フルトヴェングラー、ミュンシュ、イッセルシュテット、ジュリーニくらいだ。
あとはどうも物足りない。
評判のいいハイティンクなんか、軽々しくてどこがいいかわからない。
先日テンシュテットのベートーヴェン全集を買った。
全集といっても指揮者が意図してつくったものではない、ライヴ録音の寄せあつめだ。
で、第九を聴いたがこれにはたまげた。
ものすごい鋭角的な音楽だ、ティンパニーは強打というか、乱打されてすさまじさの限り。
この指揮者に何が起こったのか、呆然としてしまった。
第九となると指揮者も人が変わったような音楽をつくるものだ。
あのラインスドルフも全集を作ったが、おとなしい演奏が並ぶ中で、第九だけは自己主張している。
今聴きたいのはマルティノン、ミュンシュの来日公演の第九だ。
マルティノンはドイツ音楽ではマーラーがよい。
N饗に客演した1953年に第九を振っている。
ミュンシュは情熱的な指揮者だが、来日公演はどうか。
実はこの第九は以前学研から販売されたが、バリトンの抗議ですぐ回収されたという経緯がある。
今では超レアもので、市場に出回ってもいくらするだろうか。
バリトンの正式な許可を得て再発売を期待したい。
第九の音楽はティンパニーの使い方がどうも気にかかる。
もし僕が音楽できたら、ティンパニーをたたいてみたい。


カスリーン・フェリアーの芸術

2005-01-01 00:23:30 | 音楽
年が明けた。
昨夜は某CDショップのカウントダウンセールスにいった。
そこで手にしたのが14枚組みのこのCD
クレンペラーとのマーラー「復活」やマタイ受難曲、ワルターとの競演などが納められている。
かすかな希望だが僕自身も世界もどん底からの「復活」の年になってほしい。