だらだら日記goo編

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大往生の人

2006-02-27 22:07:34 | アート・文化

「六十七十ははなたれこぞう」

「今やらねばいつできる、わしがやらねばたれがやる」

なんとも恰幅のいい人である、何しろ上野からこの地に移り住んだのは98のとき、庭には樹齢五百年、直径1.9メートルのくすのきが、これから彫刻をやるために用意されているーご存知平櫛田中である、その記念館を小平は一橋学園というアクセス用意ではないところに訪ねる。

まあ入館料三百円というからたいしたこともないと思っていくが、運営主体の小平市は田中と同じく恰幅がいい、展示館は、一階二階地下とあり、それに田中が住んでいた記念館もあり、そこにもいろいろ展示されている、庭も見事でビデオもあり、資料室まである、これはすべて見るのに半日かかる!

さらに展示は階段にさりげなく荒川豊蔵の茶碗が置かれ、東京藝大の校舎で使用されていた「鬼瓦」がおかれてあるなど贅を尽くしている!

監視員もまったくいない独占状態、都心をちょっと離れるとこうなのかと驚く。

展示作品についても触れたいがウォーナー博士と岡倉天心の胸像が並べられておかれている。

ウォーナーというのはアメリカの東洋美術の研究者で太平洋戦争中京都奈良の文化財を救うべく奔走した人であることをはじめて知る。

五十鈴老母という作品も大変良い。

伊勢のおもち屋の主人で田中はちょこんと座っている表情がかわいらしかったという。

企画展示は「人形の世界」ということで創作人形がいろいろ展示されるが、田中が嫁ぐ次女のために創ったというお雛様が大変良い、長男長女を失っているだけに万感の想いがこもっているのだろう。

お雛様に面して広大な庭が広がる、梅が咲き春はもうすぐだ。

残された田中のノートには「根性、根性」とつづられているが、晩年は悠々自在の境地だったのだろう。

そして心ある人々の手によって田中の住居は今こうして記念館としてきちんと運営されている、田中もあの世で酒を飲みつつ大笑いしているに違いない、展示は田中八十を過ぎた頃から始めた書とかいろいろあってぜひ又訪れたい。


フランス絵画の魅力

2006-02-23 22:12:05 | アート・文化

やはりフランス絵画はいつ観てもよい、心からそう感じた。

たとえばモネの「ルーアン大聖堂」だ、「聖堂」をまるで気体のごとく表現するのには当時は賛否両論あったというが、観ているほうは見飽きない。

今回は遥かベオグラードの所蔵のフランス絵画だ、日本橋三越に観に行く。さほど混んでいないのは助かる。

今回の展示の目玉はドガとルノアールだ。

ドガはイタリア旅行に訪れてギルランダイオの壁画の影響を受けたという「フィレンツェの神殿」とか、踊り子の習作で光や色について書き込みがあるなど興味深い。

ルノアールは最初の裸婦図がここに展示されている、「眠る水浴の女性」というが、陰鬱なロマン的なのはルノアールとしては珍しい。

ルノアール最晩年の「カップ」といった小作品がたくさん展示されているのも眼を引く。

ルドンも良い、眼のモチーフをルドンは用いた、「グラスのなかの卵」など卵に、目がついている。眼はルドンにとって特殊な器官だったという。

西洋美術館で開催間近のロダンとカリエールの作品もある。

カリエールの「ロダンの肖像」は幽霊みたいだ。

そのほかローランサンやユトリロのまばゆいばかりの白の表現、モローの両性具有の顔の表現、ドランの古典主義的な絵画、いろいろ楽しませてくれること請け合いだ。

フランス近代絵画というと年始にポーラ美術館の印象派の展覧会を観たが、こちらのほうが質が高いかもしれない。

全国巡回している展覧会だが、ベオグラードにひっそりと眠る名作に驚いた。

しかも日本橋三越はカタログを購入すると招待券をくれる、無料で入れるというのが良い。

その後立川に出て西武百貨店の無料チケットを、家に帰ると毎日フレンドから相田みつを美術館の招待券が届いている。

ロダンの展覧会も招待券をもらえるだろう、ただで贅沢三昧だ。


知られざる名品に

2006-02-22 23:00:35 | アート・文化

公立の美術館では世田谷美術館、目黒区美術館、府中市美術館などがいい所蔵品を集めているがここも負けてはいない、練馬区立美術館だ、西武線中村橋というアクセスしにくいところにあるためいつもがらがらだが、いつもいい展示をやる。

今回はその収蔵品の名作百点を展示した展覧会にいく。

1876の「十六羅漢図」から1997の「秋の気韻」まで百年の名品がずらりと時代順に並んでいる。

展示作品で一番数の多いのは大沢昌助の作品だ、三点いや五点、と数えていったら全部で六点もあった。

次に多いのは野見山暁治の作品だ、しかしもっと有名な人の作品もいろいろある。

おなじみ川端龍子も展示されている、「飛行天」という作品だ、仏の顔が一つの体からいくつも描かれており、足元には龍が天には天女が舞っている。

白髪一雄も所蔵されている、「文覚 滝の行」だ、例によって絵具をこね、足で一気に描いたのであろう、圧倒されること請け合いだ。

高松次郎まで所蔵してあったとは驚きだ、「美は愛媛に」という展覧会の出品作でどういう経緯でここの所蔵となったのか。

あまり知られていないというか僕の知らない画家は中村宏という人に注目だ。

二点出品される、「似而非機械」というおどろおどろしい名前の作品と「蜂起せよ少女」なるアジテーターな名前の作品だ。

美術館のパソコンで調べたらこの人は米軍の基地など社会問題を主題にしたという。

杢田たけをと言う人も注目だ。この人は板や布、金属を直接画面に貼り付ける手法をとるという、今回展示されていたのは木材を貼り付けた作品だ。

深沢紅子という人の「踊る」もよい。

子どもをみつめる母の愛情が素直に伝わってくる。

油彩画一点から始まったこの美術館の作品ももう千四百点になるという。

展示されている作品も決して国立近代美術館の常設展示に勝るとも劣らない。

地味ではあるがこの美術館の今後に期待したい。


天は二物を与えず

2006-02-16 22:34:26 | インポート

天は二物を与えず、昔の人はうまいことをいったものだ。

さしずめこの人なんかはその典型であろうか、若くして詩人として活躍し、大学では建築を専攻した人ー立原道造だ、その記念館を本郷にたずねた。

天才を具現したような人だったのだろう、名門の家に生まれ、何周年という行事には皇族をいつも迎えるという小学校、府立三中ー現在の両国高校から東大の建築学科へ。

卒業制作は浅間山麓に位置する芸術家コロニーだったという。

しかしご存知のように卒業まもなく、夭折した人だ。天は二物を与えずー健康に弱かった人だ。

今回はパステル画を中心にした展示との事で、立原が絵画も習得していたとは驚く。

驚くのはそれだけではない、この人は緑が好きで、ルフランのパステルを二百種類も緑だけで所有していたという事実だ。

立原の絵もまた天才肌だ、小学四年の作品でもう陰影表現がある。

展示されている避暑に毎年訪れた御岳を描いた絵など一流だ。

修身の時間に「私はへつらいしたくない」と書き、三中では、エスペラントも学んだというこの人は大天才であることは疑いない。

しかし現代感覚からすると立原の詩は凡庸とも思える。

「幾つもの悲しみの後で 僕は知ってゐる 日曜日のあとには 月曜がくるのだと」

などは現代感覚から見れば薄っぺらいことこの上もない。

もしこの人が長生きをしたらーと考える。

詩作の上ではもとより、建築の分野でどんな発想をしたろうかと思う。

この人が発想した「風信子荘」という建築は自分ひとりのために発想されたが、恋人との共同生活を考えたためにプラン変更、結局完成しなかったという。

しかし熱心な人もいるもので、JR埼京線の中浦和の近くの沼のほとりに2004/11にそれが当初のプランどおりに復元されたという。

しかし別に見に行きたいとも思わない、立原の大いなるファンである駆出者さんには申し訳ないが、立原はクラシックのラインスドルフという指揮者同様、時代に先駆けて生きてしまったゆえ、現代では凡庸としか思われないのだ。


知らないことは知らないといおう

2006-02-10 23:01:31 | アート・文化

まずもって自分の無知蒙昧さをさらけ出すことからはじめたい。

速水御舟の「びなんかずらにるり図」というのはどこをどう区切って読むのが正しいのか。

国宝に指定されている「法語」という作品は大してうまい字でもないのに国宝に値するものなのか。

やはり国宝を所有しているアルカンシェール美術財団というのは一体どこにあるのか。

いやそもそも今回の展覧会を主催した東京美術倶楽部というものの存在すら知らない僕である!

その美術倶楽部の創立百周年を記念した「美の伝統」の展覧会に金曜夜間開館を利用していく。

1400円も取られて割引券もないし、倶楽部の場所すら良く判らないのでいくかどうか迷ったがとりあえず行ってみる、行って正解、知らないものが多すぎた。

確かに国立近代美術館で見慣れている作品もある、しかし「馬の博物館」やら「鹿児島県歴史資料センター」やら「イセ文化基金」やら文字通り名前すら知らないところから出品されている、日本美術の教科書的展示を期待すると肩透かしにあう。

ざっと観て近代絵画は富士山を描いた作品が多い、しかし林武の「富士」は赤富士だ、梅原龍三郎の「富士」とか横山操の富士とか見比べるのも面白い。

気になった作品をいくつか、藤田嗣治の「私の夢」、戦後直後の作品だが、裸婦を猫たちとか犬や鳥が取り囲んでいて面白い。

国吉康男の「待つ」は画面女性が強烈に存在を主張している。

中川一政の「箱根駒ケ岳」はすごい、昭和の末の作だが大画面に分厚いマチエールで圧倒される。

その隣に展示してある海老原喜之助の「男の顔」もびっくりするような顔が大きく自己主張している。

工芸作品は高村光太郎の作品「うそ鳥」など二点、光雲の小さな「不動明王」が良い。

その隣では平櫛田中の僧侶が大笑いしている木彫りの大作がうならせる。

古美術品もいいのがそろっている、高麗時代の青磁が五点、磁州窯の作品多数、国内では鍋島、古九谷その他もろもろ、屏風もある、江戸時代の作者不明の屏風などよく伝わったものだ。

国宝もいろいろ展示されているがこんな僕だから書かないほうがいいだろう。

帰り道路に迷いながら、いい展覧会だった、日本には知られていないものもたくさんある、そして僕は知らないことは知らないと素直に言おうと決めたのだ。