東京都美術館「バベルの塔」展に行ってきた訳だが、要は、どこが、「バベルの塔」の展覧会なのか?
ブリューゲルの、「バベルの塔」を展示している訳だが、小さい作品な事、おびただしく、しかも、「バベルの塔」についての作品は、これしか展示されていない。
あとは、「バベルの塔」とは無関係な作品ばかりだ。
で、展覧会を「バベルの塔」と名付けるのは、あまりにも無理がある。
作品が小さいから、分かって貰うためには、当然、拡大図を展示したり、映像で、何が描かれているのか説明する必要があるとしても、展示会場は、地下一階からはじまり、一階、二階と続くのだが、バベルの塔、に関する展示は、二階だけ。
地下一階は、木彫彫刻から始まり、これは何の展覧会?という風情なのだ。
バベルの塔の物語はいうまでもなく、旧約聖書にある。
要は、天にも届く塔をつくろうとしたので、神様が怒って、言葉をバラバラにした。という話だ。
「バビロンの塔」を下敷きに、この神話は創られたというのが定説だが、当時のバビロンにも、世界中からいろんな人が集まっていたであろう。要は、バラバラな言葉を話す人が集まり、意思疎通が困難だったろう。
で、なんでこんなに言葉がいろいろあるのか?と言う素朴な疑問から、この神話は生まれたのであろう。
神様が、言葉をバラバラにしたからだと。
はじめに説明のつかない現実がある。そして、その疑問を解決しようと聖書の物語はある。
世界が、一つの言葉で覆われていれば、とも思う。そうすれば、宗教もなく、国家もないかもしれない。
ブリューゲル描く、「バベルの塔」の職人達は喜びに満ちて、塔を建てているように見える。
それは、もちろん、全ての職人が言葉が通じ合うからだ。神様が言葉を乱す前だからだ。
しかし、ブリューゲルは、何故か、この塔の背景を、当時のネーデルランド風景にした。つまり、現実の風景だ。
ここで、僕の論理は飛躍する。
もしかしたら、ブリューゲルも、争いのない、人々が協力して、夢に向かって進む世界を夢見ていたのでは、と。
風景は、現実の風景な訳だ。そこに、昔の、建設中のバベルの塔が描かれる。
建設中ということは、皆の言葉が通じる訳だ。ブリューゲルの絵は、奇妙な矛盾を孕みながら、平和への想いを露呈しているように思える。
「バベルの塔」展だから、こんな想像してみることもゆるされるだろう。
ブリューゲルの、「バベルの塔」を展示している訳だが、小さい作品な事、おびただしく、しかも、「バベルの塔」についての作品は、これしか展示されていない。
あとは、「バベルの塔」とは無関係な作品ばかりだ。
で、展覧会を「バベルの塔」と名付けるのは、あまりにも無理がある。
作品が小さいから、分かって貰うためには、当然、拡大図を展示したり、映像で、何が描かれているのか説明する必要があるとしても、展示会場は、地下一階からはじまり、一階、二階と続くのだが、バベルの塔、に関する展示は、二階だけ。
地下一階は、木彫彫刻から始まり、これは何の展覧会?という風情なのだ。
バベルの塔の物語はいうまでもなく、旧約聖書にある。
要は、天にも届く塔をつくろうとしたので、神様が怒って、言葉をバラバラにした。という話だ。
「バビロンの塔」を下敷きに、この神話は創られたというのが定説だが、当時のバビロンにも、世界中からいろんな人が集まっていたであろう。要は、バラバラな言葉を話す人が集まり、意思疎通が困難だったろう。
で、なんでこんなに言葉がいろいろあるのか?と言う素朴な疑問から、この神話は生まれたのであろう。
神様が、言葉をバラバラにしたからだと。
はじめに説明のつかない現実がある。そして、その疑問を解決しようと聖書の物語はある。
世界が、一つの言葉で覆われていれば、とも思う。そうすれば、宗教もなく、国家もないかもしれない。
ブリューゲル描く、「バベルの塔」の職人達は喜びに満ちて、塔を建てているように見える。
それは、もちろん、全ての職人が言葉が通じ合うからだ。神様が言葉を乱す前だからだ。
しかし、ブリューゲルは、何故か、この塔の背景を、当時のネーデルランド風景にした。つまり、現実の風景だ。
ここで、僕の論理は飛躍する。
もしかしたら、ブリューゲルも、争いのない、人々が協力して、夢に向かって進む世界を夢見ていたのでは、と。
風景は、現実の風景な訳だ。そこに、昔の、建設中のバベルの塔が描かれる。
建設中ということは、皆の言葉が通じる訳だ。ブリューゲルの絵は、奇妙な矛盾を孕みながら、平和への想いを露呈しているように思える。
「バベルの塔」展だから、こんな想像してみることもゆるされるだろう。