だらだら日記goo編

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試行錯誤の人

2007-03-30 21:58:26 | アート・文化

いったいこの夭折の画家をなんと形容すればよいのだろうか。

代表作「眼のある風景」に日本のシュルレアリズムの代表作を見る人もいる。

しかしこの作品はもともと「風景」で具体的なものを描いていたのが、塗ったり削ったりしているうちに抽象的なものになったのだという。

画家の名前は愛光、新聞販売店のチケットでその回顧展を国立近代美術館に観に行く。

初期のころからこの人は「午前の絵と午後の絵では作風が違う」といわれたように模索の時期が続いたようだ。

同じ年に制作された作品もルオー的なものがあり、ゴッホ的なものがある。

1936には上野の動物園でライオンに出会い活路を見出したとあるが、この人の作品の中で一番大きい「シシ」という作品は何かの塊には見えるがライオンにはとてもみえない。

そのうち静物画をやるようになる、昼間でも雨戸を閉め切って電灯の明かりで描くなど尋常ではないが、戦争に突入する時代「生と死」がモチーフになっていることは想像がつく。

死んだ鳥と生い茂る植物を画題にした作品が二点展示されている。

それからこの人は墨を使って日本画の伝統にも優れていることをはじめて知った。

展示80と81「末松一一氏の像」「畠山雅介の像」などそのことをよく示している。

展示は墨を使った作品もたくさん出ている、油絵のように試行錯誤がなく即興的な面もうかがえる。

かくして晩年1943,1944の自画像三点にたどりつく。

これらの作品を時代への「抵抗の画家」と見据える意見もあるがカタログを読むといろいろ議論がでていることがわかる。

実際画家はこれら自画像においても顔の位置を何度も修正したり、X線画像では胸の前に手が置かれていたのを修正したという。

画家はここでも試行錯誤していたのだ!

こうなると愛光という画家は独自の様式にたどり着く前に亡くなってしまったきわめて不幸な画家といわなければなるまい。

この展覧会は普通に入場券を購入したら千三百円もするーはたしてそれだけの価値のある展示内容か疑問に思えた。

なおこの展覧会は宮城と広島に巡回します。


山から美術へ

2007-03-26 21:46:54 | アート・文化

人呼んで「近代登山のパイオニア」、知る人ぞ知る存在なのだろう。

横浜の銀行に勤務する傍ら夜は執筆、休日は登山と休む暇もない生活だっただろう。

小島烏水、そのコレクションの展覧会をはろるどさんからのチケットで横浜美術館に観に行く。

登山に影響したのはラスキンの文章だったようだ、ラスキンの文章は「言語の絵画」だと小島は語っている。

近代登山のパイオニアとはつまりは、参詣とかそういうものではなく純粋に自然美を山に求めることだろう。

小島は山は人間と自然を総合する芸術として本の装丁や口絵に和田三造らの画家を起用する。

ここからが彼の本領発揮だが、まず山との関係から浮世絵版画の風景画に興味を持ったこの人は、浮世絵の価値を日本人が認識していないため優れた作品が外国に流出することを憂いて、浮世絵版画の蒐集をする。

富士山巡礼とかそういうものも多いが、役者絵とかいろいろそろっている。

で、この人が海外転勤になって自身の浮世絵絵画展が催されたとき、傍らにかかっていたレンブラントやデューラーの版画に衝撃を受け、独学で西洋版画の知識を習得して西洋版画の収集にも乗り出す。

バロック絵画から始まって、バルビゾンへ、印象派へと西洋絵画の教科書どおりものすごい収集だ!

これだけにとどまらない、関東大震災で明治期の建物が失われることを嘆く彼は当時は紙くず同然だった明治期の石版画の収集にまで乗り出す、真のエリートはとことんやらなくては気がすまないのだろう。

その石版画「両国之花火」は花火というより血が炸裂している様であり、「あま」はまことにエロティックだ。

この人の収集はまだまだ続く、いわゆる「擦物」だ、今で言うチラシやポスターを集めて当時の風俗やデザインをみようとする。

いやいやたいした人だ、この展覧会を企画した横浜美術館とチケットをくださったはろるどさんにお礼をいいたい。

常設展示室もまことに充実しているがここの売り物であるシュルレアリズムの部屋が作品貸し出し中のため別の展示に変わっていた、秋にシュルレアリズムの企画展示として横浜に戻ってくるようだ期待していよう。


「ほほえみ宣言」

2007-03-22 21:52:07 | アート・文化

展覧会カタログの冒頭に掲げられたあまりにもうすべったい言葉の羅列「ほほえみ宣言」、せっかくだから全部書いて見ましょう。

「私たちの身の回りには

テロや民族浄化、強制収容所、環境破壊などの情報があふれ

政府や国連は何をしているのか

世界はどうなっているのか

不安と焦燥に駆られることもしばしばです。

私一人の力では世界は変えられない。

あなたにとっての世界とはなんですか?

それは、思っているより狭いもので

自分と家族、友人

職場、学校で触れ合う人

通勤、通学途中ですれ違う人

コンビニやレストラン、スーパーで声を交わす人

これがあなたにとっての真の世界なのです。

この展覧会にはほほえみがあふれています。

特に文化が独自に発展を見せた時代と地域に。

それは文化創造には

さまざまな他者がかかわっていたからでしょう。

やがて権威主義がはびこり

ほほえみは消えていきます。

それでも、ほほえみは復活するのです。

世界は一人の力で変えられるのです。

ほほえみ宣言。

自分の本当の世界を見つめなおすこと

ただそれだけで。」

カタログ巻末のキリスト教について同じ人が述べたところも理解が乏しすぎる。

「唯一の神は人間を罪ある存在として糾弾することはあっても、慈顔をみせることはまれなのではないでしょうか?」

そうではなくキリスト教の神は裁きと赦しの神であり、赦しが先行しているのである。

「はじめに赦しありき」、お前のことは何でも私にはわかっているよといつもニコニコ「ほほえみ宣言」をしているのはむしろキリスト教の神様なのです。

こういう理解のない人が構成した展覧会ですから、会場は微笑んでいるのかいないのかわけのわからない表情の人物像ばかり。

古代オリエント博物館は「ほほえみの考古学」、円空仏だけがよかった。

受付では新年度の「ぐるっとパス」が届いてその整理をしていました。

ここも無料になるのでした、興味のある方はどうぞ。


「心眼で描く」人

2007-03-21 22:04:54 | アート・文化

たとえば昭和20年に描かれた「早乙女」という作品をとりあげよう。

田植えをしている五人の女性をやや上空から描いた何の変哲もない絵だ。

しかしこれは実在の風景を写生したのかと問われれば答えは難しい。

肉眼でものを見るが描くときは心眼で描くとのべる人だ。

この人の特徴はゆったりと広がる空間に穏やかな風景が特徴だ、しかしそれは現実の風景なのか一種の理想郷なのか?

紀元2600年の祝典の当日に文化勲章をもらい奥多摩に暮らした画家、川合玉堂の回顧展を日本橋高島屋に観に行く。

初めのこの人は円山・四条派の影響を受けていた、展示冒頭の「老松図」は墨の濃淡で立体感を表出しようとした作品だ。

しかしそれから東京の狩野派の影響もうけ、両者を融合させようとしたという。

その結果として何気ない風景の中の誰もが感じる美しさを表現するようになったのだろうが、「妙高」とか「中仙道之春」とかこの展覧会初出品の作品もある、埋もれているところには埋もれているのだ。

しかしこの展覧会の大きな特徴は「画賛」をしたためた作品がだいぶ出ていることだ。

自画自賛で歌を先に書きそれにあわせた絵を描きいれるというのが特徴という。

その結果画と賛が融和して独特の味わいがある。

短歌もあるが長歌もある。

空襲や敗戦にまつわる話題もある。

画はのっていなかったが、会場には「川端龍子君の古希を祝ひて」なる歌もパネルで示されていた。

絶筆となったのは「出船」だ、荒波に向かって一艘の小船が漕ぎ出そうとする場面を描いたもので病気療養中だったので、それに負けまいとする決意がこめられているのを感じた。

「心眼」で描くにしろ、日本の素朴な美しさを描く画家が少なくなった、奥多摩にある玉堂美術館を一度訪ねてみたい。


愛すべき畜生たち

2007-03-17 21:57:13 | アート・文化

江戸時代犬は迷惑な存在とされていたという。

しかし応挙の描く子犬のかわいらしいことといったら!

それを引き継いだ長澤芦雪の「一笑図」も犬と戯れる子供を描いてほほえましい。

犬があれば猫だ、猫好きな歌川国芳だ。

東海道五十三次をしゃれた絵を描いたり、猫を擬人化して面白い。

しかしこの展覧会は犬猫の展覧会ではない。

江戸時代の動物絵画を展覧する「動物絵画の100年」、府中市美術館だ、ひょんなことから招待券が入ったので初日に行く。

なぜ江戸かという疑問もあるが、科学の進歩、外国画の影響、画家自体が狩野派的な模写から個性の発揮という時代の転換期にあると捉えて間違えあるまい。

まず展示冒頭は葛飾北斎「瑞亀図」からはじまる。

老人が亀をなでている絵だ、こういうものもいい。

菅井梅関という人の「象図」は画面いっぱいの象だ、画面をはみだしそうだ!

おなじみ仙涯さんもある、犬と虎だ、出光で見慣れている画風だが、福岡市美術館のもの。

岡本秋きという人の絵はぎょっとなる、満月の元鹿が川を渡っているように見えるのだ。

しかしカタログによると鹿は泳ぐのが得意な動物だそうだ、幻想的な絵だ。

障壁画もいろいろ来ている、長澤芦雪の重要文化財になっている和歌山の寺院のために描いた障壁画三つがいい。

「蛙図屏風」にみられるように、左端に蛙二匹を描き後は空白にする。

余白の妙をうまく出した作品だ。

そのほか若冲は若いころと最盛期の二点が展示されているし、名前の知らない画家もたくさん出ている。

常設展示に赴くと風景画だ、しかもバルビゾンがでている。

レオン・リシュとかセザール・ド・コックとか府中はよくこんなものまで集めたなという感じだ。

お金と時間をかけて鑑賞する価値のある展覧会だ。