だらだら日記goo編

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パリがもえていたころ

2008-04-27 22:06:32 | アート・文化

階段を上がるとユゴーの展示があって思わずにやりとした。

この新聞社は池田○作の東京富士美術館でユゴー展をやって「週刊新潮」に揶揄されたことがあるが、よほどユゴーが好きと見える。

東京都美術館で開催中の「芸術都市パリの100年展」、毎日新聞主催に昨日行ってきたがゴールデンウィーク初日というのにがらがらだ!

しかし展示は絵画、写真、彫刻、版画、ビデオとものすごく刺激的だ。

展示はパリがナポレオン三世の命によってオスマンによる大改造ー城壁の取り壊し、橋の架け替えなどーが行われたころから始まる。

ジャン・テクシエの「カルーゼル橋の再建」のように変わりゆくパリをみることができる。

ウジェーヌ・シセリの「モンマルトルのムーラン・ド・ラ・ギャレット」を観るとBALの名前は掲げてあるがただの風車だ!

しかしパリの象徴はやはりエッフェル塔だ。

パリの美観を損なうとして20年で取り壊される予定だったというエッフェル塔ができていく様子を当時の写真でゆっくり拝見できるのはうれしい。

さらにオノレ・ドーミエの版画がいろいろと展示される。

しかし特筆すべきは版画の手前のレオナール・フジタの作品だ。

「無題」だが黒髪の日本的少女が描かれている、まっすぐ正面を向く姿が印象的だ。

ここで階段を上がってユゴーと対面、みづから3500枚以上の淡彩画を描いたというが「嵐の古城」が展示。そしてユゴーのお雇い画家ルイ・ブーラジェというひとがユゴー作品から描いた作品など。

そしてここからロダン、マイヨール、プールデルの三人の彫刻家の作品もいろいろ展示される。それと並んでルノワール、セザンヌ、モロー、ヴァラドン絵画作品も展示される。

モローはモロー美術館からキチンと五点拝借している。

ヴァラドンの「自画像」はユトリロの母となった18歳の時のもの、いかにも気が強そう。

ナダール、ドガ、ゾラの写真も展示。

また階段を上がる、そろそろ疲れてくる。

今度はドラクロワやドニの天井画だ。

ドラクロワのパリ市庁舎の天井画習作、完成作はパリ・コミューンによって失われたとか。

ドニのプティ・パレ美術館天井画下絵は「フランス美術の歴史」だ。

マネの「笛を吹く少年」とかロダンの「考える人」とかすぐに見出すことができる。

最後はアンリ・ルソーやボーシャンの絵で締めくくり、実にいろいろなフランスの美術館から借り出してきてよく考えられた展覧会だった。


「ぐるっとパス」さまさま

2008-04-21 23:02:24 | アート・文化

お茶に縁がない僕でも途中からこの展覧会面白いと思えてきた。

何といっても三井高福だ。

「唐物竹組大茶籠」の中には茶道具とお香の道具約四十点がぎっしりと詰め込まれていたというのだ!

中には一休筆の掛け軸もある。

幕末の動乱期にこれだけあつめたのだから、流石は京都の豪商の余裕というべきか。

三井記念美術館は「数寄の玉手箱ー三井家の茶箱と茶籠」を昨日観てきた。

「ぐるっとパス」でただで入れるのが大きいというかただで入れなければ僕なんか行かない展覧会だ。

導入として展示室1では茶道具が、展示室2では重要文化財に指定された能面が展示される。

そして展示室4,5,7で三井家所蔵の茶箱と茶籠の展示だ。

展示室6は「古写真にみる三井高棟の建築数寄」となっている。

高棟は今のべた大茶籠で箱根で実際に茶会を行ったそうだし、欧米の視察に一閑張でできた軽い茶箱を持って出かけたという。

しかしやはり高福だ、三井家中興の祖といわれるだけある。

金閣寺の古材で茶箱を作ったり、抹茶道具と煎茶道具を一つの茶籠に一緒に入れたりする。

高福とその子息子女の合作というのもある、心ときめく。

展示品は北三井家のものがほとんどだ、新町三井家は明治以降茶の湯がご法度になったそうで一つしか伝わらないし、室町三井家伝来の茶具箪笥には、櫛がいろいろはめ込まれており、さらにやはり抹茶と煎茶の道具が混在するなどここでも高福の関与をみることができる。

展示品が小さいので、あとは絵画作品を展示するがやはり円山応挙の作品は特筆に値する。

なかでも応挙33歳のまだ「仙嶺」と署名していたころのたたきつけるような激しい墨の「破墨山水図」は心に残る。

三井家の格式をよく示した展覧会だった。

二時間くらいかけてゆっくりとみたい展覧会だ。


誰もいない大美術館で

2008-04-18 22:17:05 | インポート

今日は確かに天候が悪かった、美術館に出かけた人も少なかっただろう。

僕は医者に行く都合があるので、時間調整に美術館によったが、展示室内誰もお客様がいないのだ!

僕のあとに入ってきた人はいるかもしれない、しかし僕は広い展示室内で誰とも出会わなかった!

天下の国立新美術館は「アーティストファイル2008」という催しである。

会場に置いてあった小冊子から「「アーティストファイル」それは、現代のアートの世界で活躍するアーティストたちを紹介する展覧会です。今回国立新美術館が選んだのは8人のアーティスト」「さあ、アーティストたちがつくり上げた、8つの新しい世界に出かけましょう。体で、心で、感じてください。あなたの世界を見る目が、日常を感じる心が、きっと変わるはずです」

もっともらしいことを言うが僕には何も感じるところがなかった。

カタログも買わず、あまり印象の薄い人はもう記憶からはずれてしまった!

1番最初は竹村京、1975年生まれの人だ。何を訴えたいのか分からない作品だった。

2番目は白井美穂、ビデオが三本流れている。

「注文の多い料理店」の現代版とか、マルセル・デュシャンのテキストを用いた作品とかーこれまた何を訴えたいのか分からない。

続いてはエリナ・ブロテルスという人の写真だが何か地平線に興味があって作品を作っているようだ。

次は佐伯洋江、1978年生まれとこれまた若い。

実に細かくシャープペンシルで描いたものだ。

祐成政徳、7年前に千葉の美術館に展示するために作ったというばかでかいバルーンが展示室にある。こういうものは屋外に置くのが普通ではないか。

ポリクセニ・パパペトルー、子供時代の遊びを再現したようだ。

さわひらき、暗い部屋で六つの映像が同時に流れている。

てんで勝手な方向を向いて六つの映像が流れるから全部を一気に見渡せる場所を見つけるのが大変。

六つの映像はそれぞれ無関係なようで、ちょっとは関係していると気づく。

最後は市川武史、これが一番頂けない。

「浮遊」という作品で「こっちへユラリ、あっちへフワリ」とあるから文字通り浮遊しているのかと思えば全然動いていない、何のための展示か。

現代美術に詳しいはろるどさんなら一家言あると思うが僕はだめだ、時間の無駄だ。

当然こんな展覧会は招待券がなければ行かない。

現代美術は袋小路に陥ってしまっている。


南へのあこがれ

2008-04-13 22:57:37 | アート・文化

展覧会カタログによると、この企画展は歴史に埋もれた杉浦佐助という芸術家を紹介すべく、「南洋群島」で結ばれた、土方久功、杉浦佐助、儀間比呂志と続く師弟関係を一方の軸に構成されたようだ。

しかし話を「南への憧れ」という普遍的なテーマとすると、どこまでが南なのかといった問題が生じるし、自発的に南を訪れたこの三人と違っていわゆる「従軍画家」の問題も出てくる。

そうこう調べていると1940年に「南洋群島」を訪れた美術家によって「南洋美術協会」が結成されていたことがわかったという。

隠して展覧会は三人の師弟関係を一方の軸に、「南洋美術協会」の画家をもう一方の軸に据えて構成することが決まったという。

町田市立国際版画美術館で昨日から開幕し、このあと高知と沖縄に巡回する「美術家たちの南洋群島」の展覧会だ。

土方については昨年世田谷美術館で回顧展があったから多くを要さないだろう。

問題の杉浦佐助とは土方から美術を学んだ木彫の作家で高村光太郎に「恐るべき芸術的な巨弾である」と絶賛されたらしい、確かにその作品は土方の木彫と比べてもすばらしい。

儀間という人は版画家で今も生きている、沖縄の人でこの展覧会に合わせて絵本「南洋いくさ物語、テニアンの瞳」を作っている、当たり前だが沖縄会場での出品が多く、町田では余り展示されない。

第二部の南洋へ渡った画家を眺めるとまあたくさんいる!

なかでも川端龍子の存在は大きい。

龍子記念館からの「椰子の篝火」はヤップ島に取材したというが223cmX735cmの大作だ。

「メキシコルネサンス」の壁画運動で知られる北川民次もその一人だし、ポール・ジャクレーもその一人だ。

まあ名前も知らない画家がいろいろ出るが、赤松俊子は特筆に値しよう。1943丸木位里と結婚して「原爆の図」を制作したことはあまりにも有名だ。

彼女は土方と親交があったようだが現地の人をそのままの目線で描く。

当然南への憧れといえばゴーギャンを思い出す。

ここでは「和製ゴーギャン」と呼ばれた上野山清貢をあげたい、彼の絵には確かにゴーギャン的なものがある。

展覧会初日と開館記念日4/19は無料で入館できます、面白い展覧会でした。


磁器の魅力

2008-04-10 22:02:20 | アート・文化

渋谷は松濤に戸栗美術館という磁器専門の美術館がある。

磁器に興味がないのでここ何年か全く行っていないがふと訪れたくなった、そんな思いにさせてくれる展覧会だ。

出光美術館で開催中の「柿右衛門と鍋島」、「ぐるっとパス」で無料入場だが17-8Cの肥前磁器にスポットをあてたいい展覧会だ。

17C中ほどの中国景徳鎮窯の技術を導入した技術革新が柿右衛門と鍋島という世界に誇る肥前磁器を誕生させたという。

話は赤絵の創成に心砕いた初代柿右衛門からはじまる。

僕は知らなかったが1650年ごろには海外輸出に対応するため、有田地域の赤絵付け職人が一か所に集められ「赤絵町」なるものが存在したそうだ。プレ柿右衛門様式の誕生だ。

その中には野々村仁清の装飾スタイルに影響を受けた磁器や、上半分が柿右衛門様式、下半分が古来の古九谷様式という、いかにも過渡的な磁器が展示される。

そして17C半ば磁器は和様になる。

柿右衛門様式を特徴づけるのは余白の美だ。

西欧の王侯貴族はこれらに取りつかれた。

ドイツはマイセンで、イギリスはチェルシーで、フランスはシャンティで、柿右衛門をモデルにした磁器が生産された。

僕たちのよく知るところはザクセンはアウグスト強王であろう。

はるかかなたの日本を夢見たヨーロッパたちを思う。

一方、鍋島は徳川将軍家などへの献上品として存在した。

鍋島様式は17C半ば伊万里市大川内山に確立したスタイルを言い、その明快で刺激的な構図は寛文スタイルにも似るという。

そのほか赤と金の二彩を使用した新たなる時代の古伊万里や、柿右衛門の人形などいろいろ展示され見あきることはない。

重要文化財は鍋島三点、柿右衛門一点出ている。

では鍋島と柿右衛門の関係はというとカタログ巻末の論文に詳しいのでご参照ください。