だらだら日記goo編

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時代に抗って

2007-09-28 21:54:22 | インポート

チラシには「女性ならではの視点」「やさしいまなざし」で描いたとあるがこれには語弊がある。

かなり荒々しく濃いタッチでで厚塗り、激しさが勝るといってよい。

会場に「二十世紀抽象表現主義を先取りしたかのよう」とあるがこちらの表現のほうが正しい。

そこには僕には男性優位社会への抗いが感じられた。

何しろ、女性は私設の絵画教室で学ばなければならず、裸体モデルによる教育は受けられなかった時代だ。

そんな中紅一点第一回印象派展に参加したのだから男社会で力まずにいられないということだろう。

画家の名前はベルト・モリゾ、その回顧展を損保ジャパン美術館に観にゆく。

1879の「淡いグレーの服を着た若い女性」などグレーの殴り書きみたいな趣があり、印象派展が解散したあと、ベルギーの前衛グループレ・ヴァン展に招かれたのもむべなるかなだ。

この女性はかなり裕福な家庭だったらしく、またマネの実の弟と結婚したエリート女性で家はころころ買うわうらやましいほどだ。

中でもブーローニュの森はお気に入りだったという。

彫刻もやるがロダンやドガの助言を受けられる、繰り返すが本当にエリートだ。

しかしそんな彼女も晩年になると、流麗なタッチへと変化していく。

1889の「マンドリン」なんか流麗で美しい。

その他水彩画もやる、版画もやるとマルチ人間のようではある。

マラルメも高い評価をしたというし、晩年のモネもモリゾを思わせるタッチを使ったという。

解説も丁寧だし是非お勧めしたい展覧会だ、10/1は無料観覧日なので狙い目かも。


二時間三十分をどう使うか

2007-09-24 22:09:06 | アート・文化

日本人は本当に礼儀正しい民族だと改めて感じた。

展覧会入場まで二時間三十分!

列は美術館の外まで続き、高齢の方もおみうけする。

しかし皆さん不平不満をいうことなく黙って整然と並んでいる。

東京都現代美術館のジブリの職人の展覧会だ。

もちろん僕はそれを観に来たのではない、同時開催の磯辺行久の個展をみにきたのだ。

こちらは閑古鳥が鳴いている、天下の朝日との共催なのにいささかさびしい。

しかしこの人のスケールの大きさはよくわかった。

‘everyday is earthday,と最近は環境に興味を示すこの人の活動はおおよそ三期にわけられる。

まずは瑛九たちとのデモクラート美術家協会の時代、一番の特色はワッペンを反復させた壁画、いわゆる「ワッペン」で何を表現したいのか知らないが同じような作品が延々と展示される。

続いてはニューヨークに移った時代、空気を利用した造形への興味からパラシュートや熱気球に取り組んだ時代、アースデイにちなんでエア・ドームを制作したがそれが復元されていた。

最後は日本に戻り越後妻有アートトリエンナーレに参加した2000年からの営み。

初めの「川はどこへ行った」では信濃川に注目し、その流路の変化をマークしたもの、次の「天空に浮かぶ信濃川の航跡」ではかつての信濃川の水面位置を年代を追ってマークしたもの。

カタログにあるようにこの三つの仕事はまるで別人の手掛けた仕事という印象も受ける。

しかし磯辺が次にどんな仕事に着手するかまことに興味がある。

この展覧会とこれまたがらがらの常設展示を観て大体二時間半、ジブリの二時間半待ちとこの渋い展覧会ならあなたはどちらを選びますか。


巡礼者としての生

2007-09-17 23:54:14 | アート・文化

イギリスと日本をたびたび行き来したこの人にとって晩年のキーワード「巡礼者」こそが象徴としてふさわしい。

はじめはエッチング作家としてエッチングを指導していたという。

しかし来日から二年目、偶然楽焼を目にしたことからこの人にとって陶芸が主要なモチーフとなる。

イギリスに帰ってからは「リーチ・ポタリー」をセントアイヴスに構え、地元の素材を重視した風土がはぐくむ美にこだわったという。

イギリスではスリップ手法であり、ガレナ釉がそれにあたる。

いわずと知れたバーナード・リーチ、その回顧展を松下電工汐留ミュージアムにみる。

日本民藝館からの出品だ。

リーチは1934年と1953年にまた日本に来る。

前者の訪問では濱田庄司の益子などをたずね、後者の訪問では大分の小鹿田などをたずねる。

小鹿田で学んだのは「飛金」と「打ち刷毛目」だという。

さて1934の訪日では高島屋の展覧会で書斎をつくる。

リーチは空間の床を三十センチほど高くしてそこに座布団を置くという手法をとった!

それによっていすに座るものと座布団に座るものとの視線を近づけようとしたのであろう、なんとも小憎らしい。

1965にも来日するが、そのときは大阪ロイヤルホテルのバーの室内装飾を任される。

ホテルの経営者が「ロイヤルホテルの中に昔の「三国荘」をつくる」としたという。

で、リーチのデザインにしたがって吉田五十八が設計をしたという。

こうちょくちょく日本とイギリスを往復したリーチだ、「東と西の結婚」という独自の哲学、そして冒頭の「巡礼者」という言葉はまことにふさわしいといえよう。

そのリーチの「リーチ・ポタリー」が2002年にはすっかり荒廃して存亡の危機に陥ったというが悲しいことだ。

それにしてもこの内容で五百円、松下電工はいつもいい展覧会をやる。


日展100年があるなら

2007-09-11 22:39:19 | アート・文化

新国立美術館で「日展100年」が開かれている。

日展があるなら、官展に対抗して組織された「創造美術」から現在の「創画会」へと続く在野団体の展覧会があってもいい。

でそれが実際日本橋高島屋で開かれている「創画会60年展ー創造美術からの流れ」

創造美術というのはその発足を井上靖が毎日新聞でスクープして話題になったらしい。

大作70点あまりが展示されるが祭壇画風の上野泰郎「裁きのとき」など実に面白い。

疲れているので一点一点紹介はやめるが、型にはまらずみな自由に描いているというかんじだ。

情報をひとつ、「アーティクル」というサイト会員になると得だ。

年間千円でいろいろな美術館の招待券が無料会員より優遇してもらえる。

僕はブンカムラ「ヴェネツィア絵画のきらめき」をここでもらった。

リンクしますのでぜひチェックを。

http://www.art-icle.jp/


生きよー生き残ったものの倫理

2007-09-07 22:22:01 | アート・文化

会場最後の壁に画家の言葉が掲げられていた。

「私自身の芸術と人生もある意味では戦争で死んでいった人々への供養である」

被爆した画家が原爆と向き合い「広島生変図」を描いたのは戦後三十年もたってから。

赤々と燃える広島に画家はこう記す「しかし空には、はるか天空には必ず「救い」の手が差し伸べられていなければならない」

しかしその「救い」は阿弥陀仏でも観音様でもない、不動明王だ。

画家にとってそれは「怒りと哀しみをこえて人々に「生きよ!」と叫ぶ不動尊の姿」でなければならなかった。

生き残ったものの倫理ー死者を前にどう生きるべきかがこの画家の根底にはある。

画家の名前は言うまでもなく平山郁夫、その回顧展を近代美術館に観に行く。

平山の画家としての本当のスタートは1959「仏教伝来」にもとめられよう。

玄奘三蔵のオアシスに憩う姿に被爆の苦しみからの平安を求めたという。

そこから仏教の道、シルクロードはごく自然な流れだったのだろう。

シルクロードには四十年間で140回も通ったという。

「ポタラ宮」の白は新鮮だし、アレクサンダー率いる軍団によって滅ぼされた「ペルセポリス炎上」は鮮烈だ。

法相宗の大本山薬師寺に「大唐西域壁画」を収めてこの仕事は一段落したと見てよいだろうか。

平山は日本へと戻る、日本を描く。

三越で開かれた展覧会も記憶に新しい「平成の洛中洛外図」「平成洛中洛外図」などをあらわす。

前者は京都御所、後者は二条城が描かれている、並べてみるとまた面白い。

そして「西陣山口翁99歳」などもあらわす。その一方サラエボの廃墟の中の子供を描き、タリバンのバーミヤン大仏破壊に抗議をしたりもする。

それは伝統の継承ということであろう、失ってはならないもの、忘れてはいけないものーその中には言うまでもなく原爆の記憶も含まれるに違いないと思う。