だらだら日記goo編

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美術館ではお静かに

2006-01-28 22:34:30 | アート・文化

以前世田谷美術館でのお客さんと監視員とのトラブルについて書いた。

今日行った美術館には人件費削減のためか監視員がいなかった、それが不幸だった。

武蔵野市立吉祥寺美術館、今日から始まった中川紀元の展覧会を観に行く、紀元節に誕生したからこの名前がついたそうだ、長野の辰野美術館というところの所蔵作品からだ。

展示室に入るなり大きな話し声が聞こえたのでまずいやになった。

知り合いの会話かと思ったらどうもはじめてあった人同士の会話のようだ「あなたも武蔵野」とか話している。

早く会話が終了することを願って絵を観る、フランスでマティスに師事したというこの人の作品はいかにも荒っぽい、ささっと書きなぐったようだ。

大作「アラベスク」などいかにもマティス風だ、一方「こども」と題される作品はいかにもさびしげだ、何があったろうと思う。

ここいらへんで2人の会話が終了、やっと落ち着いて絵を観られる。

さてさて中川は途中から日本画に関心を持ったようだ、水墨画的油彩画というか、中国の文人画というかなんかそんな感じになる。

ゆっくり観ていると、今度はさっき会話していたおじさん2人の片割れが僕に話しかけてきた、「この書がいいね」とか、はっきり言ってうるさいが適当に相槌をうつ。

いなくなったと思ったら又やってきていう「この人はー」、いい加減にしろ、こちらは絵と対話しているんだ「ここは展示室だ、静かに鑑賞させてください」と怒鳴ってやった。

向こうに行ったがどうも後味が悪い、晩年のこの人の作品は白くなる、人物と背景が融合したような世界を作り出す、その背景に何があったかと想いをはせたいのだが、おしゃべりおじさんのおかげで台無しだ。

前にも相田みつを美術館で展示室ソファーに座って世間話をするおばさんに、誰かが怒っていたことを思い出す。

どうも美術鑑賞のマナーができていないのは老いもわかきも関係ないようだ。

この美術館は入館料百円だから管理が甘いのだろうか、普通は監視員が静かにと注意するところだ。

まあ辰野美術館の珍しい作品を観られたからよしとしようか、けどやはりこれは大声で言いたい、美術館ではお静かに!


純粋な抽象の世界へ

2006-01-25 22:59:12 | アート・文化

「私は絵の中に物語りは入れない」

画家の言葉だ、物語のない絵、色と線だけの絵ー元目黒区美術館の館長がカタログのなかに述べるごとく「完全な純粋抽象であることと、それが独自の白の世界であることの二点において、清川泰次の芸術は日本の、というより世界の現代美術の中で際立っている」

その清川のアトリエのあった成城の町に世田谷美術館の分室として清川泰次ギャラリーがひっそりとある。

まだオープンして二年だ、住宅地に溶け込み、ひっそりと運営されている。

クリニックの薬待ちの時間を利用して行ったのであるが、訪問者は僕一人、完全な独占だ。

ともかくそういう純粋抽象なので画家がどんな意味を込めて絵を描いたのかまったく判らない。面白いといえば面白いし、つまらないといえばつまらない、そんな感じだ。

この画家は模倣を嫌う、「純粋絵画はものの写しごとではない、又何かの抽象ごとでもない。一人の芸術家が自分をまったくの自由の中におき、色と線によって「美」それ自身を表現していくことだ」、画家にとってセザンヌもピカソもモノの写しという意味で「歴史的な存在」であると断じる。

このことの是非は置く、しかしこの画家はお寺の「天上天下唯我独尊」の作品をも「時代を超越したモダーンな直線」で表現しようとした人だ。ある意味時代に抗い、新しい時代を創ろうとした画家ともいえる。

確かにアブストラクトな作品はわからない、「物語」のある作品に人々が集まるのも無理はない。

しかし時代に挑戦したこの画家をもう少し知りたいと独占状態の会場で思った。

世田谷というのは小さな美術館がいっぱいある。

宮本三郎記念館、向井潤吉アトリエ館、佐藤記念館、福沢一郎記念館などなどー。

宣伝の激しい大きな美術館もいいが小さな美術館でゆっくり過すのもいい。

帰りに庭に出ると小さな花にいちいち名前が書いてあった、これらの花が咲くのももうすぐだ、何か満ち足りた気持ちでギャラリーを後にした。


白昼に神を見た人

2006-01-23 22:37:56 | アート・文化

なんとも神秘的な芸術家だ、その著作は「白昼に神を見る」というのだ。

その意味するところは明らかだ、突然一本の樹木に話しかけられたというのだ。

「不意に一本の樹木が燦然たる光を放って私に話しかけてきた、ボンジュールと」

「そのとき以来私の絵は変わった」、そう画家は記す。

「一本一草をつかもうとすると必ず神に突き当たる」そうも画家は記す。

画家の名前は長谷川潔、横浜に生まれパリに渡り、ヨーロッパでも廃れてしまったマニエール・ノワール」の技法をよみがえらせた画家だ。

もともと神秘的な思考の持ち主だったのだろう、横浜の港をみつめては「遠い大きなものが自分を呼ぶ」と感じていたそうだ。

その産まれ故郷横浜の横浜美術館でこの画家の回顧展を観に行く、なかなか面白い。

初期のこの画家はまことにバロック的だ、展示30の「海の星」などはボッティチェルリのヴィーナスを想起させる。

しかし「一本の木」おそらく展示81の「ニレの木」のことだろうが1941年にこの木に「話しかけられ」てからこの画家の絵は変わっていく。

人物画や風景画よりも自然、宇宙を貫く法則を意識して黒い背景のマニエール・ノワールの技法で静物画や、草木を描くのだ。展示156には「宇宙方程式」なる言葉もある。

したがってこの画家の背景を知らないものにとってはこの画家の作品はどこがいいのかということになるし、背景を知ると描かれているもの相互の関係に興味がわくということになる。

又この画家は、マニエール・ノワールだけをやったわけでもない。

木版もやるし水彩も油絵もやる。

特に油絵、展示197の「白い花瓶にさしたコクリコその他」の鮮やかさは特筆されて良い。

しかし晩年になると神秘思想を深め1958年の「アトミック時代と平和」のクリスマスカードでは天球みたいなものまで現れる。

その他フランス語訳の「竹取物語」の挿絵はビュランで描いて貴重とか。

三鷹市美術ギャラリーでも回顧展があったが、今回の横浜美術館の展覧会はこの画家の全貌が見渡せる、図録は書店で一般販売されているので御覧になることをお薦めです。


そこは紛れもなく戦場だった

2006-01-19 22:41:31 | アート・文化

奇妙な光景の写真の前で立ち止まった。

女性が路の真ん中を歩いている、すると戦闘がやむという。

路の端っこを歩くと不審者として撃たれる、だから真ん中を歩く知恵とはー。

誰も好き好んで戦争をしたかったのではない、同じ民族だ。

撤退を前にした兵士たちの晴れやかな顔がそれをよく物語っている。

この前ステーションギャラリーで「ベトナム近代美術展」を観たがそれを思い出して今日は写真美術館に「発掘された不滅の記録ーベトナム」の写真展を観に行く。

この展覧会はベトナム戦争に北ベトナムの写真家の写真があるのが大きな特徴だ。

たとえば「ホーチミンルート」の写真、隣国ラオスを通る17000キロの物資や人々を運んだ路があった。

断崖絶壁に作られた階段、象をも使って補給品を運ぶ写真ー。言葉に言い表せない。

言葉に詰まるといえば公開銃殺刑の写真もある。

1965/1/28,わずか二十歳の青年が処刑されたのだ。

明らかにそこは戦場だった。

有名なピュリッツアー賞を受賞した沢田教一の写真や、同じ賞を受賞したヒュン・コン・ウットの写真もある。ベトナム戦争は写真家たちにとっての一大事でもあったことを知る。

米軍が撤退しても戦争は終わらない、解放戦線が組織され、北ベトナムの人民軍と戦う。

オイルショックが起こり物価が高騰するとこの国から脱出しようと脱出機にしがみつく人、

すし詰めの船に乗り込み、船の中で死ぬ人、これが現実かと思う。

サイゴンが陥落し、1986ドイモイ政策がしかれ、この国は落ち着いたかに見える。

しかし家族を失った人々の心を癒すための施設があるという。

ベトナム戦争は本当に終わったのか、まだ終わっていないのではないかという問いをわれわれに突きつける卓越した展覧会、2/19まで恵比寿の写真美術館にて開催中。


多数の応募?

2006-01-14 22:56:50 | インポート

もう一つのブログでも書いたが毎日新聞は存在感なき新聞社だ。

で「毎日フレンド」というのを三月で打ち切って「まいまいクラブ」というのを発足させた。

プレゼントに東京藝大美術館の「世界遺産からのSOS」の展覧会チケットを要求したら、早速当たった、「全国からお寄せいただいた多数の応募の中から厳正な抽選」をしたと書いてあるがどうだかななあと言う感じだ。

今まで「毎日フレンド」で応募した展覧会のチケットも必ずといっていいほど当選した。

加入者が少ない、ましてや美術の展覧会に応募する人は限られていると思う。

ありがたく早速明日上野に行ってきましょう。

チケットがもう一枚ありますので、興味のある方は申し出てください、ただで差し上げます。

世界遺産の展覧会は2/5までです。