だらだら日記goo編

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

医者を変える

2017-05-31 14:53:25 | 日記
今の主治医は、発達障害の専門家ではないから、2014年に、「自閉症スペクトラムの疑いがあるけど、その診断書は書けない」からと、セカンドオピニオンとして紹介された、慈恵医科大学の小野和哉先生に「貴方みたいな症例は珍しいから研究例にしたい。ついては、入院してくれないか。私に任せてくれないか」と言われたのだが、2015年の正月に、また、事件をおこしてしまった訳だ。
その事件が、延々と続いている訳だが、小野先生が、7月から、聖マリアンナ医科大学に移ることになられた。
この大学は、今の主治医と同じ神奈川にあるが、向ヶ丘遊園の近く、と家から近い。
当然、附属病院があるから、入院をまた勧められるだろう。
要は、心理検査で、ロールシャッハテストの認知の歪みが酷い。と。
鑑定医の元でも、ロールシャッハテストはやったが、これまた、統合失調症とも、発達障害とも、とれて、分からないと。
小野氏の元での心理検査では、他に、バウムテストで、木に見えない木が3枚続いた。これは、精神病圏の病と思われる。とあったけど、これまた、解釈が良くなく、急に気を描けと言われ、慌ててしまった。というのが真相で、やった本人としては、発達障害の特性。と受け取る。
で、鑑定では、「墨○クリニックから処方された薬で、抗精神薬は、ドグマチールだけで、これで、統合失調症を発症していたら、もっと速く顕在化していた」とあるが、この、ドグマチールというのは、一応、抗精神薬に分類されるが、もともと、胃薬で、後から、統合失調症にも、うつ病にも効く。と分かった妙な薬で、つまり、胃薬であるから、依存性も、離脱症状もほとんどない。という妙な薬で、つまり、飲んでも飲まなくても、あまり関係ない。というか、統合失調症の患者に服薬させる時は、相当多量処方しなければならない薬で、僕が処方されていた量では、うつ病患者に処方するものとして、前の主治医は処方されていたのだろう。
それは良いけど、要は、統合失調症というより、発達障害、自閉スペクトラム症の中でも、頭の中で生きている。という珍しい部類だろうと。
で、四月から、今の主治医のところは、職員が変わり、どうしようもない低レベルばかり入ってきたから、僕を扱い切れない。もう、ここは、ダメだ。と分かり、更に、小野先生が移る。と聴いて、じゃ、小野先生にかかろうと。
小野先生も、鑑定やったのはわかってるから、鑑定書興味深く読むだろうと。
しかし、条件反射だけは、続けないといけない。これは、高裁裁判長からの「命令」だ。
それは、今のクリニックでやるから、二つ掛け持ちすることになるが、今の主治医も、五月蝿い患者がいなくなると喜んでいるだろうな。

お叱りを受ける

2017-05-25 22:09:18 | 日記
日本科学未来館「ディズニーアート」展へ行った。
1800円も取るが、手帳で全て無料なり。
まあ、現代美術館が、夏に「メアリー ブレア」展とかやっていたが、現代美術館が休館なんで、こっちでやったのだろう。
ストコフスキーとタッグを組んだ「ファンタジア」とか、大ヒットした「アナと雪の女王」とか、あれこれ。
その後、ドームシアターをみて、常設展示を観たが、疲れることおびただしい。
で、常設で、「医療の未来」のコーナーを見ていたら、発達障害のビデオがあった。
今は、発達障害は、全人口の1パーセント、お母さんのお腹の中にいる時に、普通は、母の心拍数と子のそれは一致するのだが、中には、一致しないのもあり、それも影響しているとか、食事や睡眠のリズムも大きい。とか〜。
つまりは、心拍数の問題は先天的なものだからどうしようもないけど、小さいうちから、生活のリズムが整っていれば、改善するという解説のようにも思え、つまり、専門家からお叱りを受ける。
ところで、条件反射制御法の開発者、平井先生が、東京地裁で、証人として呼ばれ〜裁判官の職権かな。裁判所の判断で、証拠が足りないと思えば、裁判官は職権で証拠調べが出来る〜「DSMは間違ってます」と、はっきりおっしゃって、「万引き病は治ります」とおっしゃられた。
つまり、DSMでは、窃盗症の診断基準は、「個人的に用いる為ではなく」とあるので、検察官は、この被告は、個人的に用いる為に盗んだ。つまり、診断基準を満たさない。と必ず、言うのだが、それだと、「窃盗症」の患者は存在しなくなる。簡単なことなんだけど〜。
しかし、平井先生の、条件反射制御法にも、考えれば問題があり、これは、「本能」と「理性」の二元論で、理性でコントロールできないから、本能に訴える。という理論なのだが、理性ではコントロール出来ないと判断するのは、他ならぬ理性であり、更に、理性の定義がわからない。
哲学的には、理性は、「推論」の能力であり、その前に、「知性」があり、例えば、英語の意味はわかっても、それを要約出来ない。とは、「知性」のレベルでは理解していても、「理性」のレベルでは理解出来ない。ということを意味するところ、理性の軽視も甚だしい。
とはいえ、僕の事件の、控訴審の裁判長も、「条件反射制御法は、窃盗の人には効きます」と言われたごとく、裁判所も分かっているのだ。
で、事件から、2年半経つけど、これどうしようもない。
普通は、最高裁で棄却されたらおしまいとなるが、救済措置があるのだ。
刑事訴訟法501条、2年半経てば、世間の理解も変わる。と期待して〜。

絵を「観る」とは?

2017-05-22 06:58:29 | 日記
かつて、モネやセザンヌの絵を美術館で観なければならないとは不幸な事だ。と言った人がいた。
美術館以外で展示しろ、と言うのではなく、モネなど印象派は、屋外の光の光景を描いた。
定点観測して、同じ場所を、時間を変えて、光の効果がどう異なるかを描き分けた訳だ。
しかし、美術館で人工の光で観ても、そんなことまで分からない。それが「不幸」ということだ。
つまり、本来なら、屋外で、モネが描いた環境に合わせて、自分も追体験する。と言うのが、絵を観る意味のように思う。
更に、最近は、スマホの普及で、写真撮影可です。と言う美術館も増えてきた。
この前の、「デトロイト美術館」展では、デトロイト美術館では、全て撮影可ですから、という理屈で、写真撮影を許したが、当たり前に、欧米の美術館は、自分のところの所蔵品が誇りだから、撮影可なだけで、他の美術館の作品、借り物を撮影して良い訳はない。
しかし、この国は、撮影可というと、すぐカメラを取り出して、パシャパシャやる。
撮影するのが目的か、絵を観るのが目的か分からないという妙な現象が起こる。

こんなことを考えたのは、土曜日、ちひろ美術館に行ったら、「高畑勲のつくるちひろ」みたいな展示をやっていて、敢えて、作品を低い位置に置く。すると、座らないと観られないから、椅子が、作品の前に置いてある。
で、すわると、作品と目の高さがちょうど合って、つい、作品の中に引き込まれる。という仕組みだ。
絵を観るとはそういうことかもしれない。
絵も語りかける。その言葉を聴くこと。絵と対話すること。
いい体験をした。

幸せは何処にあるか

2017-05-18 00:28:54 | 日記
カール ブッセはうたった。
山の彼方の空遠く、幸い住むと人の言う
ああ我人と求め行きて
涙さしぐみ帰りきぬ。
山の彼方の空遠く、幸い住むと人の言う

つまり、幸せは、何処か遠い所にある、と思って、探したけど、やはり見つからない。
しかし、やはり、幸せは、何処か遠いところにあるような気がする。
という意味だろうけど、幸せは、そういうものだろうか?
ユートピアなる言葉もあるけど、これは、ギリシア語の、否定+トポス=場所、で、要は、「何処にもない場所」だ。
すると、幸せを、「山の彼方」だの、自分の外に求めるのは間違いと言える。
すると、必然的に、幸せは、自分の内にある。という理解になる。
哲学者カントは、徳だけでは「最上善」で、それに「幸福」が加わって「最高善」になると解いたけど、カントの幸福の定義は「全てが自分の思いのままになる状態」を言う訳で、つまり、やはり外の世界に依存する。
するとどうしても、最高善の実現には、「神」と「魂の不死」と言う宗教を「要請」せざるを得なくなり、かくして、道徳は、宗教に移行する。
宗教を要請しなければ達成出来ない「幸福」と言うのも困る。
そうではなく、ごく日常で、自己を肯定することによって、感ぜられる幸福というものがあると思う。
自己肯定、これはなかなか難しい。
つい、他人と比較してしまうし、優越感からの自己肯定は虚しい。
そうではなく、ありのままの自分を認める。苦しかったけど、こうしか生きられなかった。だから、これで良い。そんな肯定もあるように思う。そして、結局、幸福とは、そういうことなのだろうと思う。

美術館の使い方

2017-05-14 22:31:45 | 日記
保釈から一年たっても、美術館に行き、図録を買わないと気がすまないというのは、「儀式化」している。
しかし、その後で、必ず本屋に行って、CDショップに行かなければならない。という「儀式化」からは解放された。まあ、お金を使わないで良いだろう。
しかし、一日中寝ている生活では、体力が落ちて、44キロになった。
これでは出かけるのも億劫極まりなく、障害者手帳で無料になるところを中心に廻っているが、限度がある。
で、雑誌を定期購読していますから、招待券は、手帳で夢裡にならない美術館に限り請求すればいい。
で、
東京ステーションギャラリー「アドルフ ヴェリフリ」
森アーツセンターギャラリー「大エルミタージュ」
世田谷美術館「エリーク カール」
町田市国際版画美術館「横尾忠則」
三菱一号館美術館「オルセーのナビ派」などを戴いた。

しかし、まだ行けていない。
44キロでは、外出して疲れるのは当たり前で、一つの美術館しか行けない。
しかも、僕の場合は、前以て予定していても、その日の気分で、行きたいところを選ぶから、必ずしも、招待券を頂いた美術館を優先して観る。というのではなく、行きたければ、手帳で無料になる美術館を選ぶから、招待券が期限切れになることもしばしば。
招待券をいただくのは簡単で、いただいた招待券のサイトに、しょっちゅう感想を書き込む。
しょっちゅう書いていれば、この人は、真面目に、ウチのサイトを利用している。と判断されて、次も、招待券を優先していただける。
という訳で、そういうサイトに、出光美術館〜これも手帳では有料〜を載せて欲しい。と書いたら、ちゃんと返信が来て、当サイトはあまり知られていないので、出光からは案内が来ない。ついては、今度、出光に行かれたら、当サイトの事をアンケートに書いていただければ〜とあった。
出光としては、あまり知られていないサイトに情報を流しても、無駄だ。という理解だろう。
しかし、図録を必ず買わなければ気がすまないと言う、これまた、自閉スペクトラム症の「儀式化された行動」は治らない。
本屋やCDショップに行くことは辞められたが、そういう所でお金を浪費することは、無くなったが、これまた悩みの種ではある。
あるけど、まあ、これくらいならとも思う。
美術館もどんどん値上がりして、特別展は1600円、三菱一号館は、1700円だ。
手帳、ないしは、招待券で無料で入るから、図録くらい買ってもと思うが、これは、「合理化」で、自分の不可思議な行為を正当化している。とも指摘された。
いろいろ悩みの種は尽きず。