だらだら日記goo編

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あなたに見せたい絵があります

2012-03-30 22:45:26 | インポート
という妙な名前の展覧会のブロガー内覧会に参加した。
場所はブリヂストン美術館。
普通は月曜休館するが、会期中で月曜の休館は二回だけと力の入った展覧会だ。
内容は石橋財団の所有する絵画から、100点余りを厳選、それをテーマごとに展示する。
例えば、自画像であったり、ヌードであったり、山であったり、川であったりと。
したがって思いもよらない絵画が同じ部屋を飾ることになる。
例えば、第10室の海だ。海をテーマにした作品が並ぶが、モネの、雨のベリール、と、青木繁の、海景、が実によく似ているのだ!
青木繁が、モネの絵を見ていたかどうかはわからないという、しかし偶然の一致だろうか?
今、青木繁を出したが石橋コレクションを作った石橋正次郎は、青木の作品あたりから、収集を始めたようだ。
そして、西洋の印象派へと手を広げた。基本的に明るい絵が好きだったようだ。
今回の展覧会にはセザンヌも三点出ている。
国立新美術館で、セザンヌ展をやっているのに敢えて貸さないのは、この展覧会を重くみている証だ。
所蔵作品展な訳だが、常設展示を大変重くみるのは、この美術館の伝統で、良いところだ。
日本では、なにか、特別展を重要視する傾向にあるがそれは違う。
基本的に展覧会は、美術館の収蔵品の質で、勝負すべきで、収蔵品を持たない、新美術館など愚の骨頂だ。
話がそれたが、セザンヌも何時もかかっている部屋から移って、取り合わせの妙を演じている。
第8室、山のところに、雪舟の四季山水図と、セザンヌのサントヴィクトワール山が、向かい合って展示してあるのだ。
雪舟は福岡の石橋美術館から、雪舟が、明に渡り、帰国した直後に描いた作品。
セザンヌのサントヴィクトワール山は連作となっているが、ブリヂストンのものは、シャトーノワールと組み合わせて描いた珍しい作品で、貸してくれと依頼が、引きも切らないとか。
雪舟とセザンヌの邂逅、なんたる贅沢!
また、この第8室の前には、新収蔵品コーナーがある。
カイユボットの、ピアノを弾く若い男、と、岡鹿之助、セーヌ河畔だ。
厳しい財政事情で、絵を新しく買えない美術館が多いのに、流石はブリヂストンと言いたくなる。
こんな調子で最後の現代美術まで続く。ブリヂストンが最近、現代美術に力を入れていることは知るところだ。
昨年も野見山暁治の展覧会があったが、今回も石橋美術館から、風の便り、が出品されている。
また今回の展覧会は、すべての作品に150字の解説が着いていて、読むだけで時間がかかる。
小学校六年生でもわかる解説を目指したそうで、つまりは、抽象絵画等と言う言葉は使わない。
また展示図録も発売され、コラムがところどころに組み込まれ、読みごたえある。
この展覧会の次は、ドビュッシー、美術館の未来を考える展覧会のようだ。
ブリヂストン美術館から目が離せない。


フェルメールだけの美術館

2012-03-24 22:28:35 | インポート
これを作品のリクリエートというのだそうだが、まあ単純に複製画だ。
銀座の松坂屋の裏の小さなビルの中に出来たのが、フェルメールの複製を集めた、フェルメールセンター銀座。
Takさんの出版記念パーティーのビンゴで招待券もらったので行ってみるが、まあフェルメールが描いた作品を年代順に全部複製しているので、分かりやすいことはわかりやすい。
しかし受付で音声ガイド、二種類あって、作品半分は500円で作品全部は1000円で等と商売も上手い。
作品には解説は一切ついていないので、音声ガイドに頼るしかない。
フェルメールがまず描いたのは、マリアとマルタの家のキリスト、次は二世紀のローマの聖女プラクセデスでまあ絵画の伝統的主題から始めたことがわかる。
フェルメールらしさが出るのは、窓辺で手紙を読む女あたりから、光りの表現がでる。
まあフェルメールと言えば、手紙であり楽器である。
文化村の展覧会も手紙に焦点を充てた展覧会だった。
風景画、デルフト眺望。フェルメールの生きたデルフトは、南北に1,5キロ東西に一キロしかない小さな街だった。
フェルメールはそこで、宿屋と美術商を経営する両親のもとに生まれた。
さて、展示に戻ると、有名な真珠の耳飾りの少女、モデルは家のメイドだそうだ。
題名、少女という作品もある。これはフェルメールの娘を描いたものという。
最後の方は、ヴァージナルの前に座る女とか、ヴァージナルの前にたつ女とかだが、フェルメールは晩年は財政難で、いかにも生気に乏しくなるのが複製画でもわかる。
フェルメール作品と別れると下の階に降りるが、こちらの方が僕は興味深い。
この展覧会を仕掛けたのは美術史家ではなく、分子生物学者の福岡さんという人だが、顕微鏡の父と言われる、レーウェンフックという人に注目する。
この人とフェルメールは同じ年にデルフトで生まれた。
そしてレーウェンフックは、顕微鏡観察のスケッチは画家に頼んだ、と書いている。
福岡さんはこれが、フェルメールではないかと推測するのだ。
実際、分子生物学者がなぜフェルメールにのめり込むのか不思議だったが、図録によると、レーウェンフックを通してフェルメールに出会ったと福岡さんは書いている。
なかなかスリリング、新しい証拠となる文書が待たれる。
まあ一見の価値はある美術館だ。


100歳の詩人

2012-03-14 22:20:31 | インポート
柴田トヨと言うのだそうだ。
産経新聞に連載しているというが、産経新聞は趣味じゃないから見ない。
で、知らなかったが、今日西武ギャラリーの櫻、桜、さくら、展に行くと次回展覧会招待券をくれ、それが柴田さんなので、俄然興味が出てきた。
100歳ということは関東大震災も第二次世界大戦も体験されているわけだ。若い人はその知恵に学ぶべきこと多いだろうが、若い人はそんな話を聞かない。うるさい、煩わしいというわけだ。もったいない。こうして体験は断然する。
さて、池袋行ったのでついでにジュンク堂書店に。西武ギャラリーの目の前だ。さすがに在庫が多い。
今ちひろ美術館でやっている企画展、ちひろと香月泰男の図録が一般書籍になっているので購入。
香月はシベリアに抑留された体験をもつ。
うちの父親もシベリアに抑留された。
シベリアとはどんなところかー一言で夜何事もなく眠りについた人が朝になると冷たくなっている、そんな世界だと父親は話していた。
生きている間にシベリアを再訪したがっていたがかなわなかった。
シベリア体験というのも後世に伝えねば、と思っているが、さて。


喉元過ぎれば熱さを忘れる

2012-03-11 22:32:42 | インポート
ということわざがある。
震災から今日で一年、しかし都会の人は変わらない。
大災害等なかったように生活している。
大晦日の社説で、人間、その素晴らしさ。と題して、助け合うことの誇りをうたった東京新聞が今日の社説では、私たちは変わったか?という社説を掲載した。同じ新聞と思えないほどだ。

あの頃残っていた希望とは、日本人が日本人を見直したことです。私たちにはできるのです。
それでも、一年を経て状況の本質が変わらないとすれば、私たち自身が実は変わっていないのではないかという問いかけが必要になります。

昨年の今日は、未来への真剣な考察を私たちに重く課したのです。恐るべきほど多くの犠牲のうえに。
それに報わずして何としましょう。被災地の人は変わったけれど、そうでない人々は変わらないという事態を恐れます。

恐らくこの通りなのだ。
石原都知事は、震災後、我欲を津波が洗いさったと発言して物議をかもしたが、半分は当たっている。
都会の人間の我欲こそ問題に去れなければならない。
何となく静かな怒りのようなものが僕の中に渦巻いている。
昔は良かったとは言わない。しかし広島でも長崎でも、原爆の廃墟の中から人々は立ち直った。
うちの父親もシベリアから帰ってきて無から初め財をなした。
その敗戦に匹敵いや、それ以上の震災を前にして都会の人は元に戻った。
ボランティアは激減、都心にも直下型地震が襲うと言われているなか、一年前のことを考えようとしない。
朝日の報道写真展に行って、あまりの人数の少なさに驚いたことを書いたが、もう都心の人間はダメかもしれないという思いがある。
最近、美術展の感想をほとんど書かなくなったが、そんなことが馬鹿らしくなったからだ。
さてあと一年経ったらどんな思いになるかな。


自分さえ良ければという発想

2012-03-09 21:51:03 | インポート
少し前に、東横線横浜駅から乗車して、都心へ向かう人が、座席に座ろうと、みなとみらい線の逆方向へ乗車して、まだ混んでない駅で上り電車に乗り換えて、座席に座って通勤するのが問題となった。
つまりはみなとみらい線の料金を支払っていないというわけだ。
これは別会社だから問題となった訳で実はそんな例は枚挙にいとまが無い。
僕も新御茶ノ水駅20:14唐木田行きの多摩急行で帰って来ることが良くあるが、必ずいるのだ、電車を待っていると、反対の電車から降りて、多摩急行に乗ろうとする輩が、かなり沢山。
つまりは新御茶ノ水の前は大手町駅で、人が沢山乗って座れない恐れがあるから、一駅反対の電車に乗って確実に座ろうと考えているのだろう。
こういう輩は常習と言える。
前に母の特養ホームに通っていた時もいた。
中央特快はお茶の水だともう座れない。
で、東京駅まで乗車して折り返しの電車に乗る輩だ。
こういう自分勝手な人を見るとまことに気分が悪い。
こういう輩は途中駅で、老人や身体障害者が乗って来ても絶対立たないだろう。
311の大震災から一年がたつ。
震災が教えてくれたことは、助け合い、支え合う社会の創出ではなかったか?
震災一年にもう一度考えたい。