だらだら日記goo編

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本屋のあり方

2013-10-31 21:58:00 | インポート
便利な時代になったもので、本屋に行かなくてもネットで本を買える時代になった。本だけでなく、何でも買えるが。
しかも、Amazon、e-hon、楽天、等いろいろあるから、雑誌なら、Fujisanもあるし、ポイントとかによって選べる。
最大手のAmazonなんかは、朝頼めば、当日中に配達してくれたりする、つまり、ワンクリックするだけで、雨の日でも風の日でも、余計な苦労をせずに家で待っているだけでその日のうちに届く、何とも便利だ。
こんな時代になって、街の本屋はさぞ苦労しているだろう。
しかし、街の本屋は、ネットに負ける、とかいっているが、本当に努力しているのか?という気もする。
新刊書と、大出版社が、広告している本と、なになに賞を取った本を平積みにするだけ、どこの本屋へ行っても同じ。
こんなことを考えるのは、母が生きていている時よく通った、立川の北にある玉川上水という駅にある光進堂という本屋が実に個性的だからだ。
今いったような従来型の本屋では生き残れない、とポリシーは一貫、要は、店長自ら読んで面白い本を売る、Amazonで6000位の本でも、面白ければ平積みにするという戦略だ。
で、何の本のなにが、面白いかは、店長自ら手書きで、店のウインドウに貼り付ける。
一例をあげると、世の中こんな変な校則がありますよ、という本、男子はブリーフをはいてくるべし。とか、手書きの貼り紙には書いてあり、確かに、どれどれ、どんな本かいな、と、中に入って見てみたくなる。
あと、夏に手帳を売ってないのは変だと思えば、夏でも手帳を売る、まあ面白い本屋なのだ。
勿論、店長の趣味の店ではなく、ベストセラー等もちゃんと置いてある。
要は、世の中で売れている本が欲しい人はよそへ、本当に面白い本が欲しい人はうちへ、という本屋なのだ。
確かに、玉川上水は立川から、モノレールで、10分あまり。立川にはオリオン書房という大手の本屋が北にも南にもある。
本が欲しければ、立川に出ればたいてい間に合う。そんな中で、生き残っていくためには、独自の工夫が必要だろうし、これは全国の本屋に言えることだろうなと。


そして、倫理学

2013-10-29 20:03:10 | インポート
で、哲学科が超エリートのあつまりなら、倫理学は、我々はごみ溜めだ、と自嘲していた。
そもそも、普通は哲学科の一部として倫理学はあるのだろう。学部の進学案内にも、人間について哲学的考察を行う、等と書いてあった。
しかし、倫理学科が哲学科と別にあるのなら、倫理学科は哲学科とは、別の存在意義がなくてはならない。
ここら辺、元々は駒場で、社会思想の助手を長く務めておられた濱井修さんはそう考えていたらしい。
そして、濱井さんは、倫理学科の存在意義を、人間というのを扱う以上、社会学とか、宗教学とか、心理学とか、他の学問との境界領域にあるものとして倫理学を捉えることによって見いだそうと考えていたらしい。
つまり、それまでの、和辻ー金子ー小倉、という、ドイツ観念論偏重の伝統との決別である。
ドイツ観念論偏重とは、つまり、倫理学を哲学科の亜流と見なすことに繋がるのだろう。
だから、僕が本郷行くと時を同じくして、関根清三さんという旧約思想の研究家を助教授に迎え入れ、非常勤講師にも、川本隆さんとか、大庭健さんとか、自分の息のかかった研究家を登用した。
そして、濱井ー関根体制の元で、カントの歴史哲学から、最高善の思想へと進んだことは前に書いた。
結局、僕は倫理学を選んで正しかった、哲学科行っていても、大学院行けたかー。
東大では、学部では、指導教官は置かずに、大学院になって始めて選ぶのだが、僕は大学院行った時、敢えて濱井さんではなく、関根さんに頼んだ。
濱井さんは、僕がカントの宗教哲学やると聞いて、咄嗟に、僕の指導教官は関根さんにする、と決めたらしい。
濱井さんから、関根さんに、okiの指導教官はお前に任せる、と話があったらしい。
ここら辺、無愛想なようでいて、ちゃんと考えておられる濱井さんである。


哲学とは

2013-10-22 21:51:03 | インポート
おのれと世界の存在は、この意味と無意味の交錯の中でのみ、言い換えれば、おのれの偶然を必然たらしめ、おのれの必然のうちに偶然を湛え、こうして、必然である偶然、偶然である必然を、達成成就せしめようという、覚悟と情熱のうちからのみ花開く。

この禅問答のような言葉は、渡辺二郎、ニヒリズムー内面性の現象学、から引いた。
この度、この本が、東京大学出版会から復刻されたのだ。
当時、渡辺は40歳、助教授だった。
ゼミではハイデガーのSein und Zeit,をずっと読み続けた人だ。
僕が本郷に行った時は哲学科主任だった。
哲学概論を受け持ち、確か、僕が三年生の時はヘーゲルとフッサールを講義していたが、なぜか僕は取らなかった。
渡辺二郎は、大学院の入試にとても厳しく、哲学科は大学院に入るために浪人する人も沢山いた。
なにしろ、問題が、ギリシャ語、ラテン語、ドイツ語、フランス語、英語の文章を説明せよ、と言った問題で、学部生には歯がたたない。
英語の問題も

The meaning of word is a value of valiable

を説明せよ、とそもそも訳せない。
で、あるから、哲学科の大学院生というのは物凄いエリートなのだ。
渡辺は、東大を定年退官してから放送大学に移った。
年をとるとは才気より、円熟味が増すことで、美と詩の哲学、芸術の哲学、自己を見つめる、現代人のための哲学、放送大学教材でもいろいろ出したが、総じて、論述は平面になり、また、著しく宗教的になり、恵みとしての幸福という境地に行き着いた。
それは信仰の問題であり、哲学の問題ではないとも言えるが、この大哲学者が至った境地を明かしている。
ニヒリズム、は、なにしろ40の時の著作だが、その迸るような情熱は凄まじい、自分はとても及ばない、おそらく哲学というものの真の姿が溢れている。
解説は渡辺の愛弟子で、今や東大教授にある、榊原さんが書いている。


坂を登って行くと

2013-10-20 21:13:40 | インポート
世田谷区の二子玉川辺りは面白い。
木曜に、静嘉堂文庫美術館に行ったのだが、早く見終わったので、ブラブラしていたら、坂道がある。この門は4時15分に閉じます、と書いてある。
門が閉じるということは、坂の上に何かあるのだ。公園だろうと思ったがまあ、登ってみる。
登ってみると、お屋敷がある。
こりゃなんだ、と思っていると、いらっしゃいませ、等と言われる。
何ですか、ここは?
と聞くと、旧小坂邸です。ご自由におはいりください、説明もします。という。
政治家の小坂順造という人の別邸で、世田谷区に寄贈されたものだという。
で、府中の方からいらした奥さんと説明を受ける。
お茶をたしなんでおられたそうで、茶室がある。
書斎です。トイレです。寝室です。倉です。と案内は続く。
世田谷区に寄贈されたわけだから、世田谷区の職員か何かが説明されているのだろう、こちらは、あんな坂道の上にこんなお屋敷があるとはびっくりしている。
ちょうど、13夜ということで、何時もは4時半に閉まるというこの施設も、八時頃まで開館して、講演会もあるそうだ。
こういうことは、区の広報に載るらしいが、こちらは、二子玉川なんて縁がないので見ない。
探せばいろんな施設や情報を得られるのだろう、町歩きというか、なかなか面白かった。


地下にもぐる都会人

2013-10-13 21:31:18 | インポート
今日は、横浜美術館、横山大観に。
しかし、こんな連休の中日に出かけるものではない、人だらけだ。
僕の家からは、横浜美術館には、小田急で下北沢→京王井の頭線で渋谷→東急東横とみなとみらい線でみなとみらい、と行くのが速いわけだが、乗り換えに時間かかることおびただしく、却って時間とられる。
まず、小田急下北沢が地下に潜った。空かずの踏切解消の為と言うが、まだ、地下化は半ばで、急行が停車する地下三階にホームがある。
井の頭線は地上の駅で、かなりうえのほうにあるから、地下三階からエスカレーターと階段で井の頭線ホームに行く。
渋谷の東急東横も副都心線との直通運転のため、地下に潜った。
井の頭線の渋谷駅から、遠路はるばる同じ渋谷でも歩いてまたエスカレーターで降りないといけない。
下北沢も渋谷も警備員だらけだ。
そんな金どこから出ている?
で、東横線はすぐ地上に出るが、横浜駅からみなとみらい線に入るとまた地下にもぐる。
みなとみらい駅は地下四階という。
またエスカレーターの乗り継ぎだ。
で、なんか新しい商業施設が出来てごった返している。
なぜたかが美術館行くために、こんなに昇ったり降りたりしなければいけないのか?
で、たかが横浜駅のちょっと先なのだが、一時間半以上かかる。
行くだけで疲れる。
で、観ればもっと疲れる。
悪いが帰りは、混雑で、とても座れる状態ではない、場合によれば、渋谷まで立たなければならないので、反対方向の電車で、中華街のある終点まで行って戻ってきた。
時間の浪費甚だしい。
なぜ都心の電車はこんなに地下にもぐるようになったのか?
お年寄りなんて、上がったり下がったりたまったものではないだろう。
つまり、利用する乗客のことを考えずに、再開発がすすむ、ゆゆしきことだ。