だらだら日記goo編

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家は良い

2016-08-29 20:57:01 | 日記
要するに、DSMとICDは、診断基準が異なる訳で、ICD-10の基準に従えば、公判でも述べた、万引きすると1日の終わりには後悔するんですよね、けど翌朝になるとコロッと忘れちゃう、というのがガイドラインに当てはまり、鑑定人も、衝動性と犯罪を研究されておられるだけあって、面接時に、要するに止められないって事ね、っておっしゃる通り分かっておられるのだが、DSMを使った為に反映されないというー。
まぁ、高裁は事実調べする裁判所ではないけど、当然控訴理由に事実誤認というのがあり、事実を誤認していれば新しく証拠調べするので、クリニックの職員が証人として出ても良いと言っているので、証拠調べを請求します。
更に今、障害者福祉手帳を申請しているので障害年金の診断書ー地検の検事が不同意にしたーと合わせ提出するでしょう。
そもそも国が刑罰を課すのに、国が認めた診断書を斟酌しないでどうする?
今度の弁護士はパブリック事務所の人だから障害にも詳しいと。
で、二人の弁護士の先生の話しで、保釈は、一審の弁護士が、控訴申し立ては控訴審の弁護士が書くと。
つまり、まだ控訴を申立てていないのに、保釈が通るー私は今帰ったので、控訴審の弁護士に会っていないーという妙な裁判でー。
しかし立川は、8人の裁判官しかいなくて、それが合議やって単独でやって、去年の12月に入ってきた、接見禁止の人間がまだいたしー接見禁止であるから当然保釈など下りないー時間ばかりかかり異常だ、
さてさて、明日から高島屋で、ガレとドーム展、松屋銀座では、星野道夫展とまた美術に楽しみたい。
これからブログの趣向も変えます、

徹底的に闘う

2016-08-29 18:54:05 | 日記
判決が出まして、懲役8月の実刑。控訴保釈されました。
判決は、被告人の万引きは通常人の万引きと変わらない。などと、鑑定結果さえも歪めた判決で、法廷で、控訴します、と言ったら、裁判官も笑ってましたがねー。
しかし、実刑判決受けると、検察事務官に逮捕されて、また、拘置所に送られるのですね〜。
今度は、刑事専門の弁護士を据えて、高裁に臨みます。

ごくごく普通の世界へ

2016-08-22 22:03:07 | 日記
東日本大震災が起こって、東京五輪の前に、東京は首都直下型地震で潰れると思っていた。
しかし、人間の叡智はこれまでも、破壊的な世界を、壊滅から救ってきた。
どうにもこうにも、一人で悲観する必要もないようだ。
今までは、他人が変な顔をするのは何が原因かわからなかった。
それは、どうも、自閉症スペクトラムの一症状として、あまり清潔な格好をしていないからだと、拘置所に長く居てわかった。
拘置所は暇だから、掃除して、身なりを綺麗にしていれば、時間が経つ。
風呂に入れば、個室だから、次の人のことを考えて、浴槽内を垢取りネットで掃除して出てくるのがルールだ。
言われたことはきちんとやるから、垢取りに時間かけていると、もう良いから、時間だから、と言われるようになる。
外に出て、クリニックの職員さんー心理士だそうだがーその服似合うね、白がいいと言うと、嬉しそうな、恥ずかしそうな顔をされた。
まさか、僕からそんな言葉をかけられるとは思わなかったのだろうが、これが普通の人の世界なのだろう。
清潔にする、女性に声をかける、ごくごく当たり前のことが出来なかった訳だが、別に天才でなくていい。平凡さは、一番の美徳だと思う。
金曜日に判決だが、検事が、こちらの出す証拠を皆不同意にするから、法廷で、こっちの話も聞いて、なんて言ったから、裁判官も手がつけられないと思っているだろう。
懲役刑を出せば、当然控訴するから、高裁の裁判官は、今度は、なんでこんなに一審で時間がかかるのか、という話しになるーこっちは事実は認めており、証人は鑑定人だけーから、本当裁判官どう判決出すか?

パラドックス

2016-08-21 00:01:14 | 日記
昨日、トーハク、で古代ギリシア展を観てきた。
夜間開館に行ったので、空いていたが、BC6000年のギリシアから、ヘレニズム時代のギリシアまで、実に多量な展示物で、終わるとフラフラになった。
で、クレタ島という島があるが、これは、ギリシアの最南端に位置するという。
クレタというと、クレタ人のパラドックスというのがある。

クレタ人が言った。クレタ人は皆嘘つきだ。

すると、この言明からして、このクレタ人は本当のことを言っているのかという話になる。
実に馬鹿馬鹿しい議論だが、この嘘つきのパラドックスは長い間、哲学者を悩ませてきた。
これを解いたのが、ご存知、ラッセルだ。
クレタ人は皆嘘つきだ、はいいとして、全てのクレタ人が全ての事実命題について、ウソを吐いているということは考えられない。
例えば、あるクレタ人が、私は金持ちだ。という命題に対して、ウソを吐いていることはあり得るが、私はクレタ人だ。という命題に対してはウソは吐いていないだろう。
かくして、このパラドックスは、ラッセルによれば、階層理論を適用して解ける。
ウサギと亀のパラドックスというのもある。
亀が先を走る?歩く?として、亀がA地点を通過して、先に行く。亀がB地点に着いたところで、ウサギがA地点に着く。で、ウサギがB地点に着く間に時間があるから、亀はC地点まで行く。ウサギがC地点に行くまでにまた時間があるから、亀はD地点に及び、結局、ウサギは亀に追いつけない。というパラドックスだ。
いかにも尤もらしく思えるが、時間を分解するのと同じ要領で、空間を分解するのがオカシイのだ。
かくして哲学は言葉遊びになる。
デカルトという哲学者も変な哲学者で、Cogito,ergo,sum.と言って、悪霊が自分を騙して、この世界は存在しない、本当は夢幻かもしれないけど、考える自我だけは存在すると言ったけど、普通に考えて、デカルトという哲学者は、外に出かけて、買い物して、他人と話して暮らしていた訳で、まさか、悪霊が自分を騙し続けている、などと考えて、暮らしていた訳ではあるまい。
デカルトでも、カントでもいいが、心という物が自分の中に独立してあって、それが、外界をどう認識するか、と考えるから妙な事になる。普通の人は、心云々以前に、外界に事物が存在することを疑わないし、他人が存在することも疑わない。
哲学というパラドックスー。


終戦の日

2016-08-15 22:03:38 | 日記
体調が相変わらず悪いが、また終戦の日だ。
去年は、安倍首相が、戦後70年談話を発表してあれこれ話題になった。
安倍さんは、談話に、侵略戦争への反省、というキーワードを盛り込んだが、これは読売新聞の要求だったという。
しかし、安倍さんが、あの長い談話で強調したかったのは、当然後半部の、戦争の責めを後世にまで残してはならないという部分であることは確実で、この主張には概ね頷ける。
戦争を経験していない世代に、知らない戦争について謝罪しろ、というのは無理がある。
その意味で、安倍さんが昨年末、慰安婦問題で合意したことは高く評価したい。
日本には、昔から、どうも、左翼的な風潮を良しとするところがあり、例えば、青木理等という人は、サンデー毎日、に、抵抗の拠点から、なんて連載をしていて、何でも、抵抗してりゃいい、とはっきり言っているが、それは無責任極まりない。
政府の言うことに抵抗ばかりしていれば、一番かわいそうなのは、例えば、集団的自衛権の問題で言えば、現地に派遣される自衛隊員である。
かくの如く、賢明な若者は、きちんと分かっているから、先の選挙でも、自民公明両党に支持が集まったのだろう。
カントに、永遠平和のために、という小著があって、それが日本国憲法9条の地下水脈になっている。と話す人もいる。
しかし、カントが想定していたのは、当時の公用語ラテン語を話す人々が作る共和制国家であり、日本のような、島国民主主義とは全く違う。というべきであり、また、カントは、常備軍については、廃止されるべきというが、これは、自衛軍は含まないと解するのが自然である。
つまり、カントを日本の立場と比べるのがおかしいのだ。
憲法改正が叫ばれる。時代に合わない文言はどんどん改正すべきだろう。
全ては未来の世代の為に、というべきだろう。