だらだら日記goo編

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まとめて更新

2008-11-29 22:50:34 | アート・文化
ここのところ、多忙でブログ更新していないので、観た展覧会についてまとめて更新します。

「レオナールフジタ」上野の森美術館
これは大作未公開作品「争闘」「構図」とか、例の乳白色フジタカラーをゆっくりみていると、後が大変、この展覧会の目玉はむしろ最終章、藤田が、フジタになったとき以降のキリスト教についての展示にあるといっても過言ではない。
展示は第二会場?へと続き、ビデオもやっているので、後半にかなり時間が必要です。
総じてフランス人フジタを正面から捉えたいい展覧会で、カタログの論考も充実。

「山口薫」世田谷美術館
東京ステーションギャラリーでの展示でも感じたことだが、この人の絶筆「おぼろ月に輪舞する子供達」をみると、こ
の画家が彼岸からの目線で、絵を描く境地に達したことがわかる。
晩年は酒におぼれたというが、「美しいものにふれると僕は悲しくなるー人間の美への祈りがあるからだろうか」と
画家自ら語るごとく、悲しみが山口薫のキーワードだろう。
人の顔を真っ黒に、あるいは真っ白に塗りつぶしたり、尋常でないものが、この画家にはある。
それでも代表作「花の像」はコラージュがつかわれるなど実験的試みもしたようだ。
初期から晩年まで振り返れる待望の回顧展。

「丸紅コレクション」損保ジャパン
京都でやったのとは、違う展覧会のようだ。
衣装コレクションがすこししか出ていないが、「ふしみ殿御あつらへ」が出てくるところがすごい。
豊臣秀吉の側室淀君ではないかというのだ。
さすがすごいものをお持ち。
すごいものといえば、日本で唯一のボッティチェリ「シモネッタ」もある。
このシモネッタ、どうもこの画家の「春」にも影響を及しているようで、登場人物の何人かは、シモネッタを意識して描かれたという。
その他、日本洋画、西洋絵画、衣装図案に有名画家を起用するなど、とても充実。

さて12月になるが、大きなところでは、文化村のワイエス、横浜のセザンヌ主義があり、小さいところでは、板橋の
新人画展、目黒の石内都などもある。
体の許す限り動きたい。


日常という迷宮

2008-11-20 23:16:55 | インポート
駅のプラットフォームに佇む孤独な人々ーだれもが知っている相笠昌義の描く絵だ。
なぜこんな場面を描くのか?
画家はしかしこんなことをいう。
「日常とは百鬼夜行の空恐ろしいものーそれをアートにしたい」と。
または、「一番切実なもの」それが日常だと。
山に感動して山を描く画家はいるが、それなら山を見にいけばいいだけの話でなんら切実ではないと。
そんな画家の多摩美大の定年退官を記念した個展が多摩センターの多摩美術大学美術館で開かれている、まず無料と謂うのがよい。
中学から絵を描き、芸大では小磯良平教室に学んだという。
しかし美術公募展に落選を重ね、描けなくなったという。
そこで取り組んだのがコラージュ、文明嫌悪症だ。
それが評価されまた描く意欲が出てきたというが、当時を振り返って「妄想をつくっていた」と画家はいう。
1970に結婚して色彩を取り戻し、スペインに一年留学し、その成果が安井賞となってこの人の評価を決定づけたという。
日常を描くーその究極の存在として相笠がえがきだすのは由美子夫人だ。
そこにはデフォルメされた都会の駅の人間とはまったく違って愛にあふれている。
例えば展示されている「秋のけはい」など超一流の洋画といえる。
こうみてくるとこの画家には「都会生活は見ると待つだけでなりたつ」と語るが如く、人間への愛情と嫌悪のアンビバレンツが存在しているようだ。
会場にはオペラシティアートギャラリーや町田の版画美術館所属の作品のほか、原爆ドームを描いた作品は、信濃
デッサン館が所属し、窪島誠一郎さんの言葉もあった。
ビデオも上映されておりなかなか楽しい時をすごさせてもらった。


どうした朝日新聞!

2008-11-15 23:15:22 | インポート
今東京で、更紗に関する展覧会が二つ開かれている。
大倉集古館の「インドネシア更紗のすべて」朝日新聞主催、と五島美術館「古渡り更紗」だ。
同じテーマでやると展示品の奪い合いになる事が多いが、今回の展覧会は両方の美術館が連絡しあい、いわば協同事業
なのがよい。
しかし両方の展覧会を見比べて印象はまったく異なる。
僕はインドネシア更紗を先に観たが、展示構成もまったく考えられておらず、最低の説明もなく、そもそも更紗とは何ぞやというレベルの僕には理解しがたかった。
というわけで、五島美術館にも期待しないで行ったのだが、これが目からウロコなのである!
まずは彦根更紗といわれる彦根藩主井伊家に伝わった450枚もの更紗の一部がずらりと展示。
「古渡り」とは時代区分であり、そもそも今泉雄作による名物裂の渡来時期の区分であることを知る。
更紗はインド産の木綿布のことであり、南蛮船が運び、江戸の人々を魅了したという。
それはたとえば、山鹿素行が所用した陣羽織に、あるいは小堀遠州の茶道具を包む風呂敷にと転用される。
あまりの人気に更紗製作の指南書もでき、和更紗もうまれる。
インド更紗はヨーロッパにおいてもブームとなり、東インド会社が、日本むけ輸出品としてインド更紗を模倣するほ
どだったという。
初期風俗画にえがかれる小袖にはインド更紗もあったようだ。
江戸の人々を魅了したインドの世界に想いを馳せる。
その他八代桂文楽コレクション更紗たばこ入れ、中田実コレクション、ミニチュア裂手鏡など珍しいものがきちんと解説つきで狭い展示室に存分だ!
こうなると天下の朝日のインドネシア更紗はなんだったのか?


カタログ二百円也!

2008-11-09 22:53:49 | インポート
まあのんびりするにはいいかもしれない。
ブルーノムナーリの展覧会で行って酷評した記事を書いた川崎市市民ミュージアム、開館20年というが何もかわっていない。
今回は濱田庄司の展覧会だ、読売新聞が関わっているから、大原美術館とか濱田のいいものを展示するが、相変らず
お客がいない、日曜の午後だというのに展示室には僕とあと二三人、監視員が感じ悪いのも前と同様。
繰り返すが展示はいいのだ。
たとえば濱田はルノアールの言葉で工芸家になることにしたとか、スリップウエアをイギリスから持ち帰って柳と河井寛次郎を結びつけ、民藝運動の役割をしたとか、梅原龍三郎旧蔵の陶器も出ていたが、梅原とは同じ飛行機に乗り合せ、一緒に外国の美術館巡りしたとかなかなかに面白い。
作品で惹かれたのは鮮やかな青色の作品だ。
1955頃から塩柚というドイツの伝統的な技法を益子の土とスペインの塩を使って再現した作品はすばらしい!
展覧会は充実しているのにお客がこないのはいかなることか?
ここは常設展は無料にしたが、やはりお客はいない。
でもってビデオが誰もいないところに延々とながされているのは考えものだ。
驚くべきことに開館20年を記念してか「モンパルナスの大冒険」というこの美術館開館の企画展のカタログが二百円で
販売されている、これはホームページにも書いてあることだ。
それでもお客はこない、美術愛好家にもはや見放されてしまったこのミュージアム、20年前の夢は跡形もなくきえさった。


一つの雑誌が終わるとき

2008-11-06 23:38:16 | インポート
下に書いた「アートトップ」からメールがきた。
プレゼントに小金沢健人の展覧会招待券を申し込んだの
だが、実は小金沢には招待券とカタログのプレゼントの二つがあり
どちらなのか確認したいということだった。
僕はプレゼント応募に、小金沢健人としか書かなかったため、確認を求めてきたのだ。
明らかにこちらの不具合だ、プレゼント応募する人はたくさんいるだろうから、僕を対象から
外しても構わないのにメールをいただいたことはなぜだろうか?
考えられるのは僕が前から葉書をだしつづけ、いわば常連の愛読者なので優先してくれたとしか思いつかない。
そして今日チケットがきた。
なかにはチケットとともに、これまでの愛読を感謝する旨の自筆の編集者の手紙も入っていた。
アートなど人間が生きていく上でなくてもなんら差し障りの無い物だ。
普通の人はまず日々の生活に追われている。
日々の生活が整って、さて娯楽だといっても、娯楽はあまたありアートなど選ぶ人はごくわずかだ。
しかしアートというデーモンに運悪く取り付かれてしまうともうどうしようもないのだ。
僅かに余ったお金を展覧会チケットに交通費にカタログにと費やし、時間さえあれば美術館巡りとなる。
ではなぜアートを選ぶのか?と聞かれても僕は答えられない。
美の女神はわれわれを「襲う」のだ、だからアートを選んだことに根拠はないとしかいえない。
これを哲学的に考察もできようがここでは触れない。
同じく美の女神に取り付かれてしまった雑誌編集者の手紙を前になんとなく感慨にふけっている。
アートトップ、この雑誌のことはしばらく忘れられそうにない。