だらだら日記goo編

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

美術館失格の美術館

2006-11-29 22:02:52 | アート・文化

ついこの前の日曜日まで町田の国際版画美術館で回顧展が開かれていたが、どうも足を運ぶ気になれなかったー行けばよかったとこの小特集を観て思った。

目黒区美術館で開催中の「素描する人々」に合わせて、小特集飯田善国の展覧会が開かれている、はじめ観たときは数学か何かの記号に思えた。

「クロマトポイエマ」というそうだ、西脇順三郎の詩に絵をつけたものだそうだが、この人はアルファベッドA-Zを二十六の色に分解して表現したのだ。

それだけではない、版画や彫刻、それに町田の噴水も手がけたというーこういう人を亡くなった後に「追悼」という形で知るのは惜しいことだ。

さてさて、目黒区美術館の「素描する人」の展覧会であるが、京都の「聖護院」「関西美術院」の授業としてモデルをデッサンした成果を表した展覧会だ、中学の美術の授業でやっていることとまあ変わりないー同じモデルを同じ方法でデッサンしつつそれぞれの個性が明らかになるという展覧会であるが、不思議なのは受付でパンフレットを渡され、そこには「カタログ刊行予定のテキストから抜粋」と書いてあるのに、そのカタログが会期末ー会期は12/3までの今になってもできていないという事実だ。

カタログというのは購入者の多少にかかわらず、美術館の活動成果を表現するきわめて重要な刊行物と僕は考えている。

それを会期末になっても「刊行予定」などと書いているのは非常識きわまる。

目黒区美術館は、会場写真を入れるためカタログ刊行が遅れることがよくある。

しかし今回は会場写真を入れる必要もない、開催と同時に準備すべきだ。

受付で美術館の指定管理者制度導入のアンケートを配っていたがそれ以前の問題だ。。


須田の魔力

2006-11-26 12:14:09 | アート・文化

めるがっぱさんという人がネットの知人でいる。

須田国太郎に取り付かれて一年以上文章を書いておられる。

http://homepage2.nifty.com/melkappa/

絵を観ながらめるがっぱさんを思い出した、須田の「老松」という作品だ。

屏風形式で墨の黒で描いた作品なのだが引き込まれるような趣がある、須田の深淵を垣間見た気がした。

金曜の夜間開館を利用して、哲学は論理学を専攻されたjennyさんという女性と近代美術館に「揺らぐ近代」の展覧会を観にいった。

キャリアウーマンですごい人かと思っていたらjennyさんは気さくな方だった。

展覧会場はガラガラ、それにしても僕も名前も知らない画家の作品が多いものだとつくづく感じた。

山種が所蔵する小林古径の油彩画とか、川端龍子の「竜巻」という面白い構図の作品もいろいろあるが、須田の作品には参った。

jennyさんは「こんなの家に飾っておきたくない」といっておられたが、須田は観賞用に描いたのだろうか、自分の実存の暗闇を表現したのではないか。

さて絵を眺めた後は四階の休憩コーナーでたっぷりおしゃべり。

監視員に注意されるかと思ったが誰も来ないし五島美術館とは違っておおらかなのだろう。

二階のギャラリー4では「写真の臨界」なる展示をやっていたが意味不明の展示。

わざわざ横浜から僕に会うために近代美術館に来ていただいたjennyさんに心から感謝します。

さてさて読売ウィークリーで応募した川崎市市民ミュージアム「横山光輝の世界展」のチケットが当たりました。

前にも書いたようにこの美術館はアクセスがひどく悪く、応募者も少なかったのでしょう。

どなたかご一緒しませんか、川崎駅からバスで四十分もかかります/笑。


注意すべきか否かそれが問題だ

2006-11-21 22:25:46 | アート・文化

僕にはそのおばさんたちのおしゃべりが特にうるさいとは感じなかった。

けど警備員も何もすることがなくて退屈だったのだろう、「静かに」と注意した。

しばらくしておばさんのうちの一人がきれた「私たちは展示品について話しているのよ、失礼ね」と怒鳴って展示室から出て行った、ほかのおばさんも続いた「そうよ失礼だわ」「わたしたちお金払っているのよ」、警備員も「あそこに書いてあるように展示室ではー」というのが精一杯だった。

こんなことは日常茶飯事であろうか、しかしどこまでのおしゃべりを注意の対象にするのかは難しい問題である。

五島美術館は「鎌倉円覚寺の名宝」の展覧会、この美術館は立派なカタログは作ってもチラシは作らないのだろうか、情報入手がネットと「週刊新潮」の記事だった。

小さな展示室にお寺の展覧会、はてと思って行ってみたが別に仏像とかがきているわけではない、展示の多くは袈裟とか袱紗といった織物が中心の展示だ。

円覚寺は僕も行ったことがあるが、蒙古来襲の殉死者を弔うために建てられたという。

開山は南宋の人で1226-86の無学祖元という。

その坐像も出品されていたが昨年解体修理が終わったもので座っているいすは中世にさかのぼる貴重なものだという。

さてその無学祖元の「開山箪笥」というものがある。この人所用の品々を五つの引き出しに入れてしまっておいたものというが、今回の展示の多くはその箪笥の中に入っていたものだ。

「宝物風いれ」という年一度の行事以外は封印されているものだ。

その染織品の数々に2003-4にかけてポーラ美術振興財団の助成の下調査が入った、今回の展覧会はそのお披露目というわけだ。

結論から言えば禅の寺なのにその修行からは想像もつかない華麗な絹織物の世界が展開された、それは禅を招来した際に中国の様式をそのまま取り入れたからということになろう。

今となっては古くてその華麗さは伝わらないが当時の世界を偲ばせてくれるいい展覧会だ。

ラウンジにはなぜか日経新聞と朝日新聞が置いてあるのでちょっと見てみたり、またここの美術館のお薦めは庭園散策だ、根津美術館が閉鎖中の今都会のオアシスではある。

写真がふんだんに使われたカタログを購入して満足、しかし警備員を怒鳴りつけた女性にはこの美術館は二度と足が向かない美術館になっただろうな。


無料貸し出しはいいのですが

2006-11-15 22:09:42 | アート・文化

会場に入ると音声ガイド無料貸し出しということだ、みんな借りていて僕も借りた、しかしこの音声ガイド普通の品物とは違うのだ。

任天堂DS Liteというそうだが、普通はボタンを押せばすむのに、これはペンのようなものでいちいち画面をタッチしなければならない。

普通の音声ガイドはガイド番号たとえば4を聞いた後に空いているところに行って7を聞き、後戻りして5,6を聞くとできるのだが、この任天堂は順番どおりにしか聞けない、さらに音声ガイドを操作するペンを片手に持ち、機械をもう片手に持つので鉛筆でメモが取りづらいというまことに厄介な代物だった。

何の展覧会かというとBunkamuraザ・ミュージアムの「スーパー・エッシャー」の展覧会だ。

どこが「スーパー」なのかは知らないが音声ガイドがスーパーなのであろうか。

だまし絵で有名なエッシャーの生涯を追った展覧会で、エッシャーは横浜そごうでも観た記憶があるが、この人の発想の原点はイタリア旅行に立ち寄った際のアルハンブラ宮殿のタイルの「正則分割」であることを知る。

それに結晶学が加わっていろいろな発想が生まれたのだという。

面白いのは生き物「でんぐりでんぐり」なるものを発明し、これは神による世界創造の埋め合わせだと述べたりもする。

その一方、「物見の塔」では、ボッスの作品からの引用があったり、「深み」という作品では彼の息子がインドネシアの海で撮った写真からインスピレーションを受けたという。

バッハのフーガを図式化したり、「滝」ではペンローズの幾何学を応用しようと苦心惨憺する。

しかし日本人にとってエッシャーといえばなじみが深いのが「少年マガジン」の「不思議美術館」というコーナーだろう、それらも一挙に展示される。

またオランダ銀行の紙幣デザインを頼まれたりするが「装飾的過ぎる」と実現はしなかったらしい。

カタログも貧相で2500円取られるし、入館料自体1300円もする。

摩訶不思議な音声ガイド付きで「スーパー」の名前はこれいかん。


上野の森でひっそりと

2006-11-09 22:01:08 | アート・文化

今上野はダリだのエルミタージュだの仏像だのミイラだの化け物だと大型企画展でにぎわっているが、お客さんがらがらの展覧会も在る、しかしこれがまた面白いし「ぐるっとパス」ならただで入れる、というわけで芸大美術館の「斉藤佳三の軌跡」の展覧会に行ってみる。

音楽学校と美術学校をりょうほう卒業した人だ、面白くないわけがない。

まずはベルリンに行ってバレエ・リユス、シュトルム運動と関係を持つ。

そんなわけでカンディンスキーの「白樺」なんかも展示される。

まずは舞台芸術と関係を持った人で、関連する図案と写真がいっぱい展示される。

ついでは生活と芸術の統合だ、事業と図案を結びつけて帝展へと出品したりもする。

「食後のお茶の部屋」1928,「想いを助くる部屋」1927などが出てくる。

自邸の図面も出てくるが石神井にあったらしい。

今で言うインテリアデザイナーのはしりのような人だがそれだけでは終わらない。

女性の服装にも話は及び、いわゆる「天平式」を採用したというから面白い。

デザイナーとしてはいろいろな楽譜、ポスター、レコードジャケットにおよび、竹久夢二の「セノオ楽器」の表紙もやっていたとはこれまた面白い。

あとクラシックレコードジャケットいろいろあるがドヴォルザークの「新世界より」は「交響曲第五番」とあるがこれはどういう意味かー。

最後は視聴コーナーまである、三木露風の詩に曲をつけた歌だとかなんだとかー。

総合芸術とはいうが本当に多才な人だ、こんな展覧会がガラガラというのが不可思議ではある。

芸大美術館お隣の奏楽堂では島崎藤村の特別展示もやっている、明治学院だのディートリッヒだのあれこれ、これも「ぐるっとパス」で無料でどうぞ。