だらだら日記goo編

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家の中と外

2005-03-18 22:50:23 | 悩み
用事があって外出することが多い。
僕は家の外にいると極度に緊張する、緊張するという言い方が変なら気が張っている。
つまりだらしない格好ができないのだ。
別に視線恐怖ではないが、ほかの人から見られているという意識がある。
だからちゃんとした格好でいたいのだ、疲れていても元気なふりをする。
電車の中で寝ている人がよくいるが僕にはそんなまねはとうていできない。
僕を良く知る人から見ると、昔はもっとだらしなかったという。
薬のせいか体調が安定しているので格好のことも気になるのだろう。
精神力でもっているようなものだから、家に帰るとぐたっとなる。
荷物などそこいらにほおりだして、ねっころがってしまう。
このごろはパソコンもロクにやらずに夜中の十二時には就寝、つかれきっているから眠り薬もロクに飲まずに寝てしまう。
朝起きればなんやかんやで忙しく整理している暇もない。
というわけで家の中は収拾がつかない状態だ。
外の僕を見ている人には家の中がこんなになっているとは到底思うまい。
きよう大型の収納箱が届いたので少し整理したがまだまだだ。
二三日はかかるだろう。
明日は一日がかりで整理するつもりだったが、電車の中で銀座松坂屋の「ロートレックとモンマルトル」をやっていることに気づき行きたくなる。
日曜はニューオータニのバルビゾンを見たい、月曜の休日は墓参りだ。
ということで整理している暇がない、困ったことだ。
美しいものを見ているときが一番心が休まる。
神は死んだという、宗教は人をもはや救済しないだろう。
では美は人を救済するだろうか、そんなことを最近考える。



「ねばならない」の呪縛

2005-02-17 23:07:38 | 悩み
今日も母の病院に行った。
明日またねというと母が「明日も来るの」と訪ねた。
毎日行く僕のことは周りでも話題になっている、けど僕には別に大変という意識もない。
何というか義務というか「行かねばならない」から行っているだけだ。
一般論として「老いた親の面倒を子が見るべき」とはいえよう。けどそこから「毎日欠かさず病院に行かなければならない」は導き出されない。けど僕の中ではこれが結びついてしまうのだ。
なんというか僕の中にはこの「ねばならない」の呪縛が強くある。
今度の日曜は○○美術館に行こうと思う。これは義務以前の趣向の問題だ。
ところが予定を立てると今度はそれが今度の日曜は○○美術館に行かねばならない、に変わってしまう。
人との面会、天気、体調などでそれが実行できないとものすごくいやな気分になる。
予定が変わるなんて当たり前、当たり前とはわかっても我慢できないのだ。
これが美術館ぐらいならいいが人との面会ができないとなると相手に申しわけなくてどうしようもなくなる。
すべてきっちり予定を立ててそれができないとものすごくつらくなる、これをなんとかできないものか。
ある意味で僕のようなタイプは典型的なうつになるタイプといえる。
子どもの頃は学校に行きたくないのに「行かねばならない」と思うから苦しんだ。
フリーターだニートだと時代は変わったが、僕のようなタイプの子どもはやはり苦しんでいるだろう。
西原理恵子さんのように「晴れた日は学校を休んで」といえればどんなに楽だろう。
本を読むとアバウトになれとある、七十パーセントで満足しろと同じようなことが書いてある。
しかしアバウトになれないから苦しむのだ、つらいのだ、これは先天的なものかもしれない。
かくして明日も僕は病院に行くだろう、そしてそれを一番驚いているのはほかならぬ母なのかもしれない。


認知の枠組み

2004-12-03 22:38:09 | 悩み
母が病院で「帰りたい」と騒ぎ、親戚の名前を連呼したそうだ。いよいよ妄想がはじまったようだ。
介護が必要だ。
こういうとき、人はこれからのことを思い「ああ大変だ」と思うのだろう。
僕はうつで学んだから「自分がまだ若くて一人身で動けてよかった」と思う。
こういうのを「認知の枠組み」をかえるという、って強がりにすぎないけど。


お金がー

2004-12-03 13:48:36 | 悩み
これから母の入院保証金五万円を払いに行く。
昨日、おとといとお金はほとんど使ってないが、懐が軽くなったようなー。
街には誘惑があふれている。
やれポイント二倍だの本日限りだの会員様限定だのー。
ついついものを買ってしまい、家の中にあふれる。
「捨てる技術」というものがほしい。