展覧会の題名がふるっている。
「名作誕生ー巨匠たちのアトリエ」展だ、だれもがなにか一工夫あると思うだろう。
しかし実際はただの名品展だ、練馬に関係した作家の作品を一挙展示しようというこころみ、むかった先は中村橋の練馬区立美術館。
しかしお客さんが全くいない、おかげでゆっくりと展覧会を鑑賞できた。
展示は一階が工芸、二階が絵画と分かれている、絵画作品を中心に書きたい。
まずは「直観において感得した知の世界」を描きたかったというのは徳岡神泉だ。
その世界はなんでもないごくありふれた世界を描くところにある。
続いて「私のモットーは「半心居」という奥田元宋だ、この人の回顧展は高島屋などで観ているが先日ブログに書いた児玉希望に入門したとは初めて知った。
続くは「自然の透明な美」にふれて「崇高な神をそこにみる」「私は私自身求道者の気持ちになる」と仰々しく述べるのは田崎広助だが、その作品に精神的なものはあまり感じられない、むしろ奥田元宋のほうがこの言葉がぴったりくる。
野見山暁治と小野具定という人で絵画のコーナーは終わるが、これまでの三人がよその美術館からの借り物の作品で構成されていたのと異なり、この二人は完全に練馬の所蔵作品からなる。
野見山は挑発的というか即興的というかそういう作品が多く特に「目にあまる景色」はその象徴作品だ。
小野は変わった人でうらさびれた漁村をモチーフにする。
その根底には「これでいいのだろうか」という憤りの気持ちがあるという。
当然絵は暗く「捨てられた漁場」など確かに怒りに満ちて描いた風情だ。
だいたい一人当たり七作品から八作品が展示される。
工芸もちょっと見ると鹿児島壽蔵という人は面白い。
博多人形を底流に持つ紙塑人形というものを独創で造ったようだがまた歌人でもある。
参考出品の歌集には「歌詠みで終わるな人形作りで終わるなと人の言ふとき頭上げ難し」などと詠んでいる。
斎藤明という人については何も知らないがビデオ上映もあった、「まね」という古来からの道具を使うとあったが「まね」がわからない、ご存じの方ご教示を。
その他、高橋節郎、広川松五郎、西大由という人の作品が出品。
じっくりと作品と向き合える美術展だった。