だらだら日記goo編

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ただの名品展をじっくりと観る

2007-11-29 22:11:18 | アート・文化

展覧会の題名がふるっている。

「名作誕生ー巨匠たちのアトリエ」展だ、だれもがなにか一工夫あると思うだろう。

しかし実際はただの名品展だ、練馬に関係した作家の作品を一挙展示しようというこころみ、むかった先は中村橋の練馬区立美術館。

しかしお客さんが全くいない、おかげでゆっくりと展覧会を鑑賞できた。

展示は一階が工芸、二階が絵画と分かれている、絵画作品を中心に書きたい。

まずは「直観において感得した知の世界」を描きたかったというのは徳岡神泉だ。

その世界はなんでもないごくありふれた世界を描くところにある。

続いて「私のモットーは「半心居」という奥田元宋だ、この人の回顧展は高島屋などで観ているが先日ブログに書いた児玉希望に入門したとは初めて知った。

続くは「自然の透明な美」にふれて「崇高な神をそこにみる」「私は私自身求道者の気持ちになる」と仰々しく述べるのは田崎広助だが、その作品に精神的なものはあまり感じられない、むしろ奥田元宋のほうがこの言葉がぴったりくる。

野見山暁治と小野具定という人で絵画のコーナーは終わるが、これまでの三人がよその美術館からの借り物の作品で構成されていたのと異なり、この二人は完全に練馬の所蔵作品からなる。

野見山は挑発的というか即興的というかそういう作品が多く特に「目にあまる景色」はその象徴作品だ。

小野は変わった人でうらさびれた漁村をモチーフにする。

その根底には「これでいいのだろうか」という憤りの気持ちがあるという。

当然絵は暗く「捨てられた漁場」など確かに怒りに満ちて描いた風情だ。

だいたい一人当たり七作品から八作品が展示される。

工芸もちょっと見ると鹿児島壽蔵という人は面白い。

博多人形を底流に持つ紙塑人形というものを独創で造ったようだがまた歌人でもある。

参考出品の歌集には「歌詠みで終わるな人形作りで終わるなと人の言ふとき頭上げ難し」などと詠んでいる。

斎藤明という人については何も知らないがビデオ上映もあった、「まね」という古来からの道具を使うとあったが「まね」がわからない、ご存じの方ご教示を。

その他、高橋節郎、広川松五郎、西大由という人の作品が出品。

じっくりと作品と向き合える美術展だった。


独立宣言の街から

2007-11-27 22:05:56 | インポート

アメリカ独立宣言が採択された歴史と伝統ある都市、フィラデルフィア、そこの由緒ある美術館から近現代の名作をごっそり借りてくるというのだからいかにも天下の読売新聞らしい。

チラシの文句がまた仰々しい、「あの「バーンズ展」の感動がよみがえる」だの「美のオールスター47作家、奇跡の饗宴」だの。

半信半疑で混雑を心配しつつ向かった先は東京都美術館「フィラデルフィア美術館展」だ。

しかし入館料が高いためか、「大徳川展」に人が流れているためかかなりゆとりを持って展示を眺められる、しかも来ている作品は一級品ばかり、うれしい悲鳴だ!

まず僕たちをお出迎えするのがコローの人物画「泉のそばのジプシー娘」だ。

コローが人物画?、実は死後アトリエから大量に発見されたらしい。

クールベの「スペインの女」も素敵だ、クールベは1854にコレラを患ったという、それを看病した女性を描いたようだ。

ドガのブロンズ「14歳の小さな踊り子」は生涯で唯一展示されたブロンズで本物の人の髪の毛が使われているとか!

ピサロの「夏景色、エラニー」はのどかな風景だが、完成後に左の隅が損傷したという、画家が故意に壊したのか想像するだけで楽しい。

一つ一つ書いていくときりがない、モネは五点、ルノアールは四点出品されている。

はじめて聞いた画家はホアキン・ソローリャ、「幼い両生類」が展示されているが、この画家の1909の個展では16万人も集まったというから僕が知らないだけなのか。

浜辺で遊ぶ子供を描いた作品だが「両生類」の言葉通りどろどろした感覚が伝わる傑作だ。

しかしこの展覧会の本領は20世紀美術にある。

デュシャンも登場する「画家の父の肖像」は、父親への愛情とセザンヌへの崇拝が重なったもの。

ブランクーシの「接吻」はこの美術館の名物のようだ。

シュルレアリスムも出てくる、デ・キリコの「占い師の報酬」という変な題の作品は過去=ギリシア彫刻と、現在=汽車の組み合わせに成功している。

そして最後のコーナーはアメリカ美術だ、メアリー・カサットとしては数少ない父子像とか、オキーフの花に性的な意味合いがあるかどうか問題の作品とか、アメリカを代表するモダニストとして美術界をリードしたハートリーの作品とかが楽しませてくれる。

カタログもごたごた書いていないで絵のクローズアップとかとてもよい。

大変満足した展覧会だ。


鑑賞に耐えうる作品を

2007-11-23 22:05:51 | アート・文化

開館40周年記念特別展ということだ。

しかし展示作品は修復が終わったここの所蔵する「十六羅漢図」を除くと、劣化があまりにも目立ち、とても鑑賞に耐えうるとは言えない。

まあ仕方ないことかもしれない、宋や元の時代の絵だ。

中世の鎌倉は建長寺や大仏を建てるために、和賀江島や六浦に港が開かれ、中国との往来が盛んで空前の唐物ブームだったという。

その意味ではここ神奈川県立歴史博物館で「宋元仏画」の展覧会が開かれることは奇異でもなんでもない。

せっかくチケットがあるので予備知識なしに行ってみる。

展示の多くは羅漢図である。「十六羅漢」と「五百羅漢」。

こういう仏画は中国は寧派というところで多く作られたようだ。

鎌倉とこの地を結ぶ船に乗って由来したのだろう。

さて羅漢だが「禅月様」と「張玄様」に大別されることを知る。

後者は羅漢を僧侶の姿で描くもので、こちらのほうがたくさん出品されていた。

また五百羅漢は中国天台山の石橋に住むという羅漢だそうで拡大写真を見ると虎の歯磨きをする羅漢さんとかまあ面白い。

青磁の花瓶や香炉も出品されていた。当時の唐物趣味とはこういうことだろう。

また展示されている文章によれば、唐物受容に茶の湯がかかわっていたとか。

しかしチラシでは約130点をご覧いただきますといいつつ、出品目録には五十点しかないのはどういうわけか?

まあカタログも1300円と妙に安く、常設展示も観られることを考えると文句ばかりいうのはおこがましいかもしれないが。


一筋縄では行かない画家

2007-11-18 21:58:03 | インポート

「印象派と絶縁することは世界美術の通念」と昭和34年の展覧会カタログに書き、「東洋美術の根底にあるものが西洋美術に対してむしろ優位したものを持っている」と昭和33年の滞欧記念展覧会カタログに書いた画家だ。

というわけで墨を使ってたとえば「仏蘭西山水絵巻、山、河、海」など明らかに「生々流転」を意識した作品を作ったりする。

今の時期は「海」が展示されておりマルセイユからコートダジュールまでを描いた作品で墨を使っているせいか日本的趣がある。

しかしこの画家それだけではとどまらないのだ。

児玉希望ー明治31年に生まれ、大正七年に上京、川合玉堂のもとに学び、すぐに頭角を現した画家だ、その回顧展を泉屋博古館分館に観にいく。

さて日本的趣にとどまらないというのは明らかにこの画家が昭和30年頃から抽象絵画の趣を見せるからだ。

鳴門の渦潮をあらわした作品では波を長い描線で表現しているし、写生の「青梅にて」でもたくさんの線が引かれている、木を表現したいのか雨を表現したいのか定かではない。

それでいて画家はこれらは「具象絵画である」と述べるのだから不思議な人だ。

さらに不思議なのは東洋へ回帰したといいつつも油彩の素敵な作品がたくさん残っていることだ。

「富嶽眺望」などまことに素敵だし、昭和32-33年にかけてフランスやイタリアを旅行した際の写生も良い、特に「ヴェネツィア」は濃いタッチで表現されている。

実は画塾入門の最初期に洋画を学び、戦後写生を行う際に油絵具を用いたようだ。

そうして洋画もやってみて結局東洋美術がすぐれているという結論に達したとみるべきだが一筋縄ではいかない人ではある、中にはシュルレアリスム風の作品まである!

狭いこの美術館、一室は比較的大きな作品を飾り、もう一室は写生作品を並べている。

なかなか面白い画家にまたであったという感じだ。


東京曼荼羅or日本曼荼羅

2007-11-16 21:50:56 | インポート

「曼荼羅写真展」というのを最近になって意欲的に開いてきた写真家だ。

「長崎マンダラ」から始まって沖縄、京都、愛知と続いた、その最終作に「東京曼荼羅」を選んだらしい。

1954年の新橋のごみごみした情景から始まっていかにも東京の五十年を期待すると不思議な感覚に陥る。

写真には「奈良の石仏」があらわれ、「宇都宮の大谷石」が現れ、「恐山」が登場する。

これは単なる東京の風景の写真展ではない、東松照明という写真家のこれまでの軌跡をたどる日本曼荼羅と呼ぶのがふさわしい写真展だ。

場所は東京都写真美術館「Tokyo曼荼羅」と展覧会名が英字になっているのもそのことを示唆していよう。

東松が写真をはじめたのは1950年米軍基地に隣接した街中であったという。

当然関心は米軍基地へと向かう。

「チューインガムとチョコレート」シリーズだ、今回は39点も展示されている、山口の岩国だったり横須賀だったり、東京と関係なく展示は進む。

「さくら」シリーズもある、これまた全国各地を映したものだ。

写真家は桜を人工と自然の境界に咲く花とみなしているというーカタログ参照。

その他「プラスチック」シリーズ、「インターフェイス」シリーズ、この写真家はシリーズものに凝っていることがわかる。

しかし一方で1968年には「銀河系」だの「コンピュータ」だの最先端を映した写真家だ。

最近の関心は「ニューワールド」「キャラクターP」といった電子回路と廃墟の問題にあるようにみえる。

この写真家はあまり人物を撮らないようで、展示作品に人物写真は少ない。

しかしアラーキーや森山大道などと並んでフーテンの寅さんにふんしてこの写真家の写真が納まっているのは興味深い。

個人的には東京とは何かと問われれば、それを「乱反射都市」として撮った1981年の写真が核心をついているように思う。

カタログは学芸員の解説は一切なく、写真家の言葉とこの写真家を評した人々の言葉が解説となっておりこれはこれで興味深い。