今日も母の病院に行った。
明日またねというと母が「明日も来るの」と訪ねた。
毎日行く僕のことは周りでも話題になっている、けど僕には別に大変という意識もない。
何というか義務というか「行かねばならない」から行っているだけだ。
一般論として「老いた親の面倒を子が見るべき」とはいえよう。けどそこから「毎日欠かさず病院に行かなければならない」は導き出されない。けど僕の中ではこれが結びついてしまうのだ。
なんというか僕の中にはこの「ねばならない」の呪縛が強くある。
今度の日曜は○○美術館に行こうと思う。これは義務以前の趣向の問題だ。
ところが予定を立てると今度はそれが今度の日曜は○○美術館に行かねばならない、に変わってしまう。
人との面会、天気、体調などでそれが実行できないとものすごくいやな気分になる。
予定が変わるなんて当たり前、当たり前とはわかっても我慢できないのだ。
これが美術館ぐらいならいいが人との面会ができないとなると相手に申しわけなくてどうしようもなくなる。
すべてきっちり予定を立ててそれができないとものすごくつらくなる、これをなんとかできないものか。
ある意味で僕のようなタイプは典型的なうつになるタイプといえる。
子どもの頃は学校に行きたくないのに「行かねばならない」と思うから苦しんだ。
フリーターだニートだと時代は変わったが、僕のようなタイプの子どもはやはり苦しんでいるだろう。
西原理恵子さんのように「晴れた日は学校を休んで」といえればどんなに楽だろう。
本を読むとアバウトになれとある、七十パーセントで満足しろと同じようなことが書いてある。
しかしアバウトになれないから苦しむのだ、つらいのだ、これは先天的なものかもしれない。
かくして明日も僕は病院に行くだろう、そしてそれを一番驚いているのはほかならぬ母なのかもしれない。
明日またねというと母が「明日も来るの」と訪ねた。
毎日行く僕のことは周りでも話題になっている、けど僕には別に大変という意識もない。
何というか義務というか「行かねばならない」から行っているだけだ。
一般論として「老いた親の面倒を子が見るべき」とはいえよう。けどそこから「毎日欠かさず病院に行かなければならない」は導き出されない。けど僕の中ではこれが結びついてしまうのだ。
なんというか僕の中にはこの「ねばならない」の呪縛が強くある。
今度の日曜は○○美術館に行こうと思う。これは義務以前の趣向の問題だ。
ところが予定を立てると今度はそれが今度の日曜は○○美術館に行かねばならない、に変わってしまう。
人との面会、天気、体調などでそれが実行できないとものすごくいやな気分になる。
予定が変わるなんて当たり前、当たり前とはわかっても我慢できないのだ。
これが美術館ぐらいならいいが人との面会ができないとなると相手に申しわけなくてどうしようもなくなる。
すべてきっちり予定を立ててそれができないとものすごくつらくなる、これをなんとかできないものか。
ある意味で僕のようなタイプは典型的なうつになるタイプといえる。
子どもの頃は学校に行きたくないのに「行かねばならない」と思うから苦しんだ。
フリーターだニートだと時代は変わったが、僕のようなタイプの子どもはやはり苦しんでいるだろう。
西原理恵子さんのように「晴れた日は学校を休んで」といえればどんなに楽だろう。
本を読むとアバウトになれとある、七十パーセントで満足しろと同じようなことが書いてある。
しかしアバウトになれないから苦しむのだ、つらいのだ、これは先天的なものかもしれない。
かくして明日も僕は病院に行くだろう、そしてそれを一番驚いているのはほかならぬ母なのかもしれない。