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関係代名詞

2005-02-28 16:42:29 | 学問
今日の東京新聞のトップ記事は憲法前文の論点整理の問題だ。
「日本国民が民主主義的手続きによってつくった初の憲法と宣言する」そうだ。
今の憲法がアメリカからの圧しつけかどうかはともかく、今の憲法前文は一文一文が長すぎる。
関係代名詞で次々文をつないでいく外国語をそのまま翻訳したと思われても仕方ない。
関係代名詞というと思い出す。
哲学者カントの文章だ。
カントの一文も長い。関係代名詞でどんどんつないで本の一ページがひとつの文だったりする。
当然関係代名詞が何を受けているかを調べる必要があるが、ドイツ語の名詞は男性、女性、中性とあるのでまあわかりやすい。
しかし「実践理性批判」弁証論の最高善の議論はカント自身にこんがらかっているところがある。
最高善は二義的で「あの世」で神によって達成されるものと、「この世」での実現が「義務」とされるものがまじっている。
これを一義的に理解しようとすると、翻訳者もわけがわからなくなり、関係代名詞がどの名詞を受けているのかを間違えてしまう。
最高善の概念が二義的だというのはつい最近になって確認されたことだ。
それまではおおむね、分析論との整合性から、「この世」での最高善だけ認める傾向があった。
自己の幸福を肯定することはカントの主意にそぐわないとされたのだ。
他人の最高善の促進なら「義務」足りうるが、自己の最高善は認められないというわけだ。
だがカントにキリスト教信仰がもともとあったとしたらどうだ。
神や魂の不死は「要請」される以前にもともと「前提」されていると考えることもできる。
今までの最高善の解釈はどうもしっくりこない。
かといって僕自身の解釈をさらせばもっと恥さらしになるので、このあたりで。