OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

2002年SECAD at Dunedin 出席 その2 セント・マーガレット寮 1

2021年07月19日 | 昔の旅行
Meeting of SECAD in New Zealand, 2002. Part 2. St. Margaret’s College. 1.

 12月8日夕刻、学会から指定された場所に入ってみるとロビーに受付があって一安心。ここで学会期間中宿泊する。実はここは大学の寮である。帰ってから辞書で調べてみると、Collegeには大学とか専門学校の他に「学寮」という意味がちゃんと記されていた。この期間、大学は夏休みで学生は帰省していて部屋が空いているのを利用しているのだそうだ。

2-1 St. Margaret’s College 2002.12.8
St. Margaret’s College:Backside

 学会参加登録後部屋を指定され、鍵を受け取って室内へ。贅沢でない部屋でレースのカーテンが破れていたりするが、問題はなさそう。誰か学生さんの居室らしく、少しだけ私物が残っているが隅に片付けられている。

2-2 宿舎の部屋 2002.12.8
St. Margaret’s College:Room.

 廊下や階段は絨毯が敷かれ、悪くない。

2-3 宿舎の廊下 2002.12.12
St. Margaret’s College: Passage.

 裏の方に回ると庭があってバラの花壇が美しい。

2-4 中庭 2002.12.12
St. Margaret’s College: Backyard.

 季節は初夏だから花が美しい。写真はシャクナゲ。

2-5 シャクナゲ 2002.12.12
Rhododendron

Keywords: SECAD Dunedin Otago St.-Margaret’s 二次適応学会 ダニーディン オタゴ大学 セント・マーガレット寮

Abstract. Part 2. St. Margaret’s College. 1
The St. Margaret’s College is a dormitory just beside the Otago University, Dinedin. It was prepared for the attendants of the SECAD Meeting. The room applied for me was narrow but enough to stay for several nights, with a small desk and a bed. The corridor was laid by thick carpet. It was the season of flowers, such as rose and rhododendron.

古い本 その64 Owen 1845他

2021年07月16日 | 化石
古い本 その64 Owen 1845他

 Richard Owen, 1840-1845 (部分的にコピー)「Odontography; or a Treatise on the comparative anatomy of the teeth; their physiological relations, mode of development, and microscopic structure, in the vertebrate animals」(歯牙図説;脊椎動物における歯の比較解剖学、生理学的な関連、顕微鏡的な構造についての論説)というもので、コピーしたのは第2巻の第70図から75図あたりとその解説で、爬虫類の部分にあたる。第2巻が『Plates』となっているから、第1巻は『Text』に違いない。

174 Owen, 1840-1845 内表紙

 内表紙を見ると、表題が10行に分けて書いてあり、二行目「or, a」4行目「om the」などの小さな字や、8行目の「MICROSCOPIC STRUCTURE」が白抜きになっているなど一行ごとにサイズや字体が変えてあることなど、大時代的。何しろ176年も前なのだから。
 全部で168図あるからコピーしたのはほんの一部。70図(Iguanodon, Iguana, Megalosaurus)70AE図(Megalosaurus断面)72図(Leiodon, Polyptychodon)73図(Enaliosaurus)75図(Crocodiles)75A図(Crocodiles)である。現在はネットで読むことができる。

175 Owen, 1840-1845 Plate 70

 手元にコピーしかないから、図版の印刷方法がよく分からない。描画線がはっきりしないからスクライブではなさそう。写真製版は時代的に考えにくいからリトグラフであろうか。Iguanodonは1825年にMegalosaurusは1824年に記載された最初の恐竜で、IguanaIguanodon記載のときに参考にした現生の爬虫類。だから、この図はあちこちで見たことがある。70AE図(Megalosaurus, Leiodon)は、1841年にOwen自身が記載したモササウルス類であるが、Leiodonという属名はサメ(Wood, 1847)やフグ(Hamilton, 1822)もあって、ややこしい。このコピーで出てくるのは、もちろんモササウルス類である。PolyptychodonもOwen(1841)が名付けたモササウルス類。
 このコピーは、おそらく恐竜の歯を調べ始めた頃に入手したと思う。原本は京都大学理学部地質学鉱物学教室の蔵書。江戸時代の本だから参考にするところもなくてちょっと見ただけ。しかし、当時は手元に恐竜の歯の標本もなかった。2000年頃から新館の展示準備が始まって、そういう標本を購入する予算もおりたから、恐竜の主な科の歯を順に購入して行って、新館建設のときには実物の化石を系統樹の中に配置した展示を作ることができた。

 同じOwenの著作が、他にもあるので、簡単に記しておこう。いずれも骨質歯鳥に関するもので、芦屋層群から初めて産出した時に参考資料として京都大学の蔵書をコピーしたもの。次の3つの論文。
Owen 1873 Description of the Skull of a Dentigerous Bird (Odontopteryx toliapicus, Ow.) from the London Clay of Sheppey. (シェピー[島]のロンドン・クレイからの歯状構造のある鳥類頭蓋の記載)
Owen 1878 On Argillornis longipennis, Ow., a large Bird of flight, from the Eocene Clay of Sheppey. (シェピーのロンドン・クレイからの巨大な飛行性の鳥類アーギロルニスについて)
Owen 1880 On the Skull of Argillornis longipennis, Ow.  (アーギロルニスの頭蓋について)
というもので、掲載誌はいずれもQuarterly Journal of Geological Society, London である。うち2件は、学会での講演記録。内容は始新世前期のロンドン・クレイから産した骨質歯鳥に関するもの。
 Sheppey というのは、ロンドンから約50km 東のテムズ川河口にある島の名前。
 最初のものは、Odontopteryx toliapicus に関するもの。後に(1876)種小名がtoliapica に変更された。

176 Owen, 1873  Odontopteryx toliapica 頭蓋

177  Odontopteryx toliapica holotype Harrison and Walker, 1976 から

 このコピーにはスケッチがあるが写真はないから、1976年に骨質歯鳥をレビューしたHarrison and Walkerの図版から写真を紹介した。

 2番目の1878年の論文は、Argillornis longipennis について記されている。図が1枚付いていて、ワタリアホウドリとの比較がされている。

178 Owen 1878 図版6 (一部)

 上に示した図のうち、右下のFig. 16とその上の14 はワタリアホウドリの上腕骨。他はArgillornisの化石。注目されるのは、中央の断面図で、骨質歯鳥(の上腕骨)がいかに薄い骨でできているかを示す。

179 芦屋層群産の骨質歯鳥上腕骨の断面

 3番目のArgillornis longipennis 頭骨については、Harrison and Walker(1976)がこの標本をholotypeとして、新属・新種 Macrodontopteryx oweniを創設した。その本に標本写真があるからそれを掲載する。

180  Macrodontopteryx oweniのholotype Harrison and Walker, 1976 から

骨質歯鳥化石は、その後世界の多くの地点から報告され、時代も始新世から鮮新世までと長い。日本でも岩手・福島・埼玉・静岡・岐阜・三重・福岡・佐賀の各県からの産出報告がある。

配線の整理

2021年07月13日 | 今日このごろ
配線の整理

 ちょっと前に、屋内のWifiの契約を変更したために、幾つかの機械が床に置かれて、みっともない。第一ほこりがたまりそうで、とりあえずポリ袋を掛けたが、さらにみっともなくなった。

1 居間の隅のようす 2021.6.27

 ご覧のようにたくさんのものがある。悲しいことに私には何が何だか分からないから、「一旦コンセントや接続プラグを抜いて・・・」という方法を取ると元に戻らなくなるかもしれない。まず、配線の関係をメモする。写真の右上に外から来た光回線の引き込み線がある(縦長の白い箱)。右手前の写真枠外に電源コンセントがある。上に行っている白いケーブルは電話機(Faxあり)につながっている。結局一度も配線を抜くことなくできた。

2 Wifi関連の機器類の関係 2021.7.9

 これだけ全部を入れる箱となると大きくなりそうで、そうすると分厚いプラスチック製の箱が要りそう。二つの変圧器と、幾つかのコードを束ねたものも取り込めるようにする。もちろん電波を出すのだから金属製は使えない。

3 箱サイズの検討 2021.7.9

 大きな箱はやめて、二つに分ける計画を立てた。その方が工作が楽だし、平面が保てそうだから。ここまで考えてから、100円均一の店で各種の箱を比較。結局A4の書類整理箱を二つ購入。本体は330円、蓋が110円だから、全部で880円。比較的しっかりした箱。

4 購入した箱。これを2組。 2021.7.9

 これを上下逆にして使う。まず熱がこもるので、幾つかの空気抜きを開ける。細いドリルでガイド穴を開けた後でちょっと太い穴に広げる。元の状態でそれほどの熱が出ていないことを確認。

5 熱気抜きを開ける 2021.7.9

 次に、一つを切って少し小さな箱に変更。蓋との合わせ目に、コード・ケーブルを取り込むいくつかのくぼみを作って完成。元々あったくぼみも利用する。

6 小さい方の箱 2021.7.11

7 完成! 2021.7.11

 できあがりが、上の写真。前面の四角の穴は、最初からあったもの。書類を入れて、内容が少し見えるようになっているのか? それとも書棚に立ててあるのを引き出す時に指を入れるのか。その穴はあまり気にならない。まあまあの出来かな? 少なくとも見かけは前より良いし、掃除もしやすそう。

2002年SECAD その1 出発まで

2021年07月10日 | 昔の旅行
2002年SECAD at Dunedin 出席 その1 出発まで
Meeting of SECAD in New Zealand, 2002. Part 1. Departure.
 
 今回から、三度目のニュージーランド旅行(2002年)の記録を記していく。それまで二度(1993年と1998年)の調査で、ダニーディンのオタゴ大学で鯨化石を勉強させていただき、やっと私の手元にある北九州の鯨化石についての検討がまとまったので、開催される学会でそれを報告して少しでもお世話になったお礼の気持ちを表したかった。前回に続いてオタゴ大学のFordyce博士(Dr. R. Ewan Fordyce. NZ)に大変にお世話になった。博士は、この学会の主催者でもある。前回訪問の最終日に送っていただいた空港で、博士から「私を博士とか教授とかをつけてfamily nameで呼ぶのは良くない。3日以上滞在するならgiven name で呼びなさい。」という指導を受けた。それで訪日された時などには「Ewan」とよんでいた。ここでは日本の習慣に従ってFordyce博士と記すことにした。理由は他の研究者もそうするとたいてい誰のことか分からなくなりそうだから。文中でその例も挙げよう。
 私の所属する博物館の新館開館は同年11月4日。その直前にFordyce博士からメールが届いた。「今度の学会にぜひ参加されたい。」というのだ。開館直前の忙しさのため、対応できず、お返事をしたのは11月10日頃だったと思う。幸いに上司の理解があって、出張で会議に参加できることになった。学会の名称は「International Meeting on the Secondary Adaptation of Tetrapods to Life in Water」(略称 SECAD。直訳すれば、四足動物の水中生活への二次適応に関する国際学会)で、ダニーディンの会合は第3回である。世界各地で3年に一回開催され、2017年には第8回がベルリンで開催されたそうだ。私が参加したのはこの時と新宿での第5回の2回。

 急に参加が決まった学会だから切符の手配などに手間取ったが、12月2日に手配が完了した。出発に何とか間に合った。

1-1 往路の航空券
Ticket to NZ

 出発は2002年12月7日。ニュージーランドまでは、1230福岡空港発のシンガポール・エアラインズ(SQ)989便でチャンギ空港1745着。座席は40A。同日の2105発のクライストチャーチ行きSQ297に乗り継いで(38C席)、翌日1200クライストチャーチ着。さらに1435発のニュージーランド航空ダニーディン行きNZ5601便に乗り継いで(33K席)1530着。前のNZ訪問で使ったクライストチャーチからダニーディンへの列車「The Southerner」はこの年2月に運行を止めていた。2021年現在、このコースは高速バスか空路で行くことになる。

1-2 福岡空港 2002.12.7.
Fukuoka Airport.

1-3 ニュージーランドへの径路
Route to New Zealand

 ダニーディン空港から乗り合いタクシーで市街に行く。それぞれの乗客が降りるところを申し出て、順に回る仕組み。私は学会から指定されているSt. Margaret’s College を申し出たが、運転手さんはちょっと首をひねったが「場所は分かる」というので適当におろしてもらう。宿だというのにCollegeという名称なので不安があった。

1-4 St. Margaret’s College, front view 2002.12.8
 
 道路から見上げる建物は蔦の巻いた綺麗なものだが、ホテルには見えない。入ってみるとロビーに学会の受付があって一安心。

Keywords: SECAD Dunedin Otago St.-Margaret’s 二次適応学会 ダニーディン オタゴ大学 セント・マーガレット寮

Abstract. Part 1. Departure.
This is a report of the third trip to New Zealand in 2002. It takes long time for me to study about the cetacean fossils of Kiakyushu Japan. I attended the Meeting of SECAD in New Zealand along the advice of Dr. Fordyce, Otago University.
It was held just after the opening of my new museum, Kitakyushu Museum of Natural History and Human History and I had not enough time to prepare my lecture. The departure from Fukuoka was 7th December 2002, and I arrived the Dunedin Airport in afternoon of 8th. Then I have moved to the St. Margaret’s College, where I stayed during the meeting.

古い本 その63 HarlanからOwen

2021年07月07日 | 化石

 ではこれらの標本の発見からの経緯を調べてみよう。それについては、Kellogg, 1936 「A review of the Archaeoceti」にまとめられている。第一の標本(Harlan, 1834)は1932年にJadge H. Bryによって採集された。場所は、アメリカLouisiana州のCaldwell Parish の南西部にある、Monroe の約50マイル(80km)南、Ouachita 川から200ヤード(180m)離れた丘である。Louisiana州は、ミシシッピ川河口のある州で、産地は海岸から北に約150km、ニューオーリンズの180kmほど北西にあたる。発見者BryからHarlanに送られた手紙では、「発見された時に化石は400フィート(120m!)以上にわたる曲線に沿って、間をおいて並んでいた。」という。標本は土地の所有者John G. Creagh などを経て、Academy of Natural Science of Philadelphia に収蔵された。標本は全部ではなく1個の脊椎骨である。長さ14インチ(32.5cm)、幅7インチ(16.3cm)。
 2番目の標本(Harlan, 1835)は、S. B. Buckley によって発掘された。場所はJudge John G. Creagh が所有する農園で、歯を伴う上顎の破片がふくまれていた。後にOwenはこの化石をイギリスで見て、哺乳類のものであることを確信した。
 さらに、1842年にS. B. Buckleyは65フィート(約20m)にも及ぶ脊椎骨の列を発掘した。場所はやはりJudge John G. Creagh が所有する農園であった。標本は、脊椎骨列の他に、吻部の先端(切歯を伴う)、両方の下顎の後端、3個かそれ以上の臼歯、肩甲骨の一部、片方の完全な上腕骨ともう一方の骨頭、橈骨と尺骨、そしていくつかの肋骨の破片。標本は1906年にAmerican Musum of Natural History が購入した。
 3番目の標本は4本の破損した歯を(元の位置に)伴った上顎でで、2番目の標本と同じくBuckleyが発見した。アラバマ州Clark CountyのSuggsvilleから1マイルのところから発見されたという。
 Harlan は、二名法の学名を付けなかった。現在使われている学名Basilosaurus cetoides (Owen, 1839) に対してインターネットではシノニムとして次のようなものが挙げられている(年代順)。Zeuglodon cetoides Owen, 1839. Basilosaurus harlani De Kay, 1842. Zeuglodon harlani De Kay, 1842 Hydrargos sillimanii Koch, 1845. Hydrarchos sillimani Wyman, 1845. Zeuglodon ceti Wyman, 1845. Zeuglodon macrospondylus Müller, 1849.
 これらのうちHydrargosHydrarchos の種小名はYale 大学のBanjamin Silliman 教授に献名されているが、彼は標本をめぐる活動には関与してないらしい。命名者のうち、Koch は、数地点で発見されたここまでに述べた標本とは別の化石骨を集めて、巨大な骨格を作り上げ、長さ35メートルの巨大化石爬虫類」として、1845年にニューヨークで展示会を開催した。彼の日記には、これらの化石が”Zygodon”(Zeuglodonではなく)のものであると記されていて、彼がこれが哺乳類のものであって、すでに他の人(HarlanとOwen)によって研究されたものであることを承知していたことが暗示されるという(ロクストン・プロセロ 著 松浦俊輔 訳:未確認動物UMAを科学する 2016)。Kochが展示会で組み立てた標本の産地やどの部分がどれかということについては標本のほとんどが失われたこともあって明らかではない。いずれにしても、1842年から1849年ごろまでの短い期間にかなりたくさんの標本が別々のところから発見された。これはBasilosaurusが大きな動物であったから注目をひきやすいからだろうか。
 ここから次の論文に入る。その論文は「Observations on the Basilosaurus of Dr. Harlan (Zeuglodon cetoides, Owen)」(Harlan博士のBasilosaurus (Zeuglodon cetoides, Owen) の観察)というもので、Transactions of the Geological Society, London, Ser. 2, vol. 6: 69-79, pls. 7-9.に1839年に掲載された。Basilosaurusを公表したのちに、Harlanは標本の一部をはるばるイギリスに持ち込んだ。イギリスのOwenのところに標本を持参した。
 この論文で、Owenが見た標本がHarlanのどの部分に当たるのか照合してみよう。1ページ目に、「Harlan博士が持ち込んで、今テーブル上にある標本は、上顎の二つの部分であり、Plate 7 に示した3本の歯を含む大きい方と、二つの歯槽のある小さなもの」としている。Pl.7の標本は、確かにHarlan 1835のPl. 22の標本であるが、接続する前方の部分は、Owenの図では一部しか描かれていない。そこには二つの歯槽があるので、Owenの「小さい方」というのは、同じ上顎骨が割れているだけだから、標本としては1つなのだ。

170 Harlan, 1835(上)とOwen, 1839 (下)の標本比較

 Owen 1839には3枚の図版(pls.7-9)があって、pl. 7がこの上顎部の図である。

171 Owen, 1839 Pl. 7

 Pl. 8には歯根と肋骨の断面図(+比較のためのジュゴンの歯根)と脊椎骨の1個が示されている。歯根断面図は、臼歯が二根であることを示すための図で、Owenがこの動物を哺乳類と鑑定する大きな根拠としたのが、この二つに別れた歯根と、口蓋側から見た雁行型の臼歯のならびである。

 下の脊椎骨の大きさがよくわからないが、脊椎骨の図上の長さ15センチ3ミリだがやや斜めからみた図である。本文76ページに脊椎骨に関する記述があって、そこにHarlan 1834 に掲載されている発見者Judge Bree (Harlan 1834ではBry)の記述が書いてあるから、最初に発見された脊椎骨なのだろう。そうするとそのサイズは長さ14インチ(32.5cm)、幅7インチ(16.3cm)だから、この図はほぼ実物の二分の一で描かれていることになる。これが本当なら、これこそがBasilosaurus(Harlan)のホロタイプなのか?手元のコピーがPDFからとったもので、サイズがオリジナルと同じである保証がないから問題があるし、属のタイプ標本というものはない。

172 Owen, 1839 Pl. 8

 Pl. 9 は2方向から見たほぼ完全な上腕骨で、Harlan 1834のpl. 22 の下部に示してある標本(反対側の面である)だろう。折れてくっつけたところも合う。図の長さは約20cmで、「Half the Natural Size」となっている。Kellogg 1936 に幾つかのBasilosaurus上腕骨の計測値が掲載されていて、420mmから510mm (3点)となっているからそれらよりやや小さい。

173 Owen, 1839 Pl. 9

 前にも触れた種名の命名に関するところを記す。Harlan, 1834で、Basilosaurus という属名だけが提唱された。Harlan は1835年の論文でも二名法を使っていない。ところがHarlanは同じ雑誌の一つ前の論文では大型のナマケモノの寛骨を記載する際にMegalonyx laqueatus という二名の学名を使っているのだからそうすればよかったのに。(Harlan, R. 1835. Notice of the Illium of the Megalonyx laqueatus, from Big Bone Cave, White County, Tennessee. インターネットから取得済)Owenは観察したことからこれが鯨であると確信して新属・新種名Zeuglodon cetoides を記載した(1839)。…となっているのだが、Harlanはこの論文で二名法を適用していないので属の模式種は規定されていない。Owen 1939(彼は同じ年にProc. Geol. Soc., London に講演記録を同じような題材で掲載している。)では表題にZeuglodon cetoides が出てくるのに、どこにも新属・新種を提唱するという宣言はないし、本文にも二名法の記述がなさそう。ただし図版のキャプションには出てくる。結局1939のKellogg「A Review of the Archaeoceti」の扱い、つまりBasilosaurus cetoides (Owen) というのが、現在の取り扱いになっている。現在の命名規約では少しおかしいと思うのだが、何か勧告などがあるのかもしれない。
 古い論文だから、記載や命名の様式が異なるから読むのが面倒。読み間違いもあるかもしれないのでご指摘を。なお、このあたりを詳しく(正しく)知りたい方はKellogg「A Review of the Archaeoceti」1939 に大量の情報があるから読んでいただきたい。この本は古本で購入したから以前のこのブログで紹介した(2020年6月10日 古い本 その11)。Basilosaurusの復元骨格も掲載してある。