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最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

戸畑渡船場付近を歩いてきました その4

2019年08月13日 | 鉄道
戸畑渡船場付近を歩いてきました その4

 7月31日に、旧引き込み線の現状を見に行ってきた。現在の国土地理院の地形図を見ると、戸畑駅からターンテーブルの位置に向かってそれらしきカーブを描いた地形がある。

15 現在の地図 国土地理院の地形図から作成

 引き込み線は、赤い点線のラインを通っていたはず。それに沿って歩いた。赤い文字記号は右下から反時計回りにS:戸畑駅 T:天籟寺川 I:一文字波止記念碑 C:戸畑製罐工場(現在は撤去済み)。青い記号は写真撮影場所。
 戸畑駅の北口を出て、左に向かうと、すぐに引き込み線の跡の道路が見える。

16 地点A 2019.7.31

 すぐ先でその道は正面の建物で遮られている。その建物の左側奥は斜めのブロック塀で区切られているので、それが引き込み線の左端だったことが明らか。建物の右側を迂回して次の道に行くと、何かの作業場の入り口が、斜めになっていて、線路の方向がわかる。もう一度迂回すると大きな建物の角が不自然に切り取られている。

17 地点B 2019.7.31

 このように、B地点までは、引き込み線跡地が主に北側の土地区画に取り込まれているようだ。B地点から海岸までは道路があるが、実はそのあたりから引き込み線が三線化されていたらしい。現在の道路より北側に線路があった。

18 地点C 2019.7.31

 地点かCら先は工場(戸畑製罐株式会社)の跡地で道路が並行し、工場跡地は現在整地中だった。グーグルアースでは整地された地面にかすかに円形の痕跡があるようにも見える。その直径は20メートル程度で、ターンテーブルとその周りの構造として妥当な大きさであろうか。ちなみに、例えば豊後森の扇形機関庫の前にあるターンテーブルは直径約18メートルである。大きさはよさそうだが、後でこれは違うらしいことになる。
 道路は海岸線手前で左に曲がるが、その岸壁に「一文字波止竣工記念碑」が建っている。

19 地点D 2019.7.31

 一文字波止は、この場所から北の方向に伸びていた防波堤で、当初は陸から離れていたが昭和初期に間の海面を埋めて、魚市場や冷凍・製缶、それに漁船からの陸揚げの施設が配置された。

20 記念碑の文字(強い画像処理をしてある)
 
 南面の文字は「大正十五年三月竣工戸畑市」とある。他の面にも石板がはめ込まれているが、文字は読めない。
 次回は古い航空写真や地形図を調べて、引き込み線の変遷を探ろう。