OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

古い本 その158 古典的論文補遺 その9

2023年12月05日 | 化石
古い本 その158 古典的論文補遺 その9

 仙椎の図を探した結果、最近になって次の論文にそれがあるのを知った。
⚪︎ Norman, David Bruce 1980. On the ornithschian dinosaur, Iguanodon bernissartensis of Bernissart (Belgium). Inst. Royal des sciences naturelles de Belgique, Mém. No. 178: 7-83.(ベルギー、Bernissartの鳥脚類恐竜Iguanodon bernissartensisについて)

592 Norman 1980. p. 41, Fig. 44. Iguanodon bernissartensis 仙椎左側面

 1985年に東京で「イグアノドン展」が開催された時に発行された図録に、イグアノドンの各部分の骨のスケッチが掲載されたが、その時に用いられたのがこの論文のスケッチであった。上の図で、仙椎の側面に灰色に塗ったところが骨盤との癒合面である。しかしOwenの図(側面図もある)との比較は分かりにくい。
 David Bruce Norman(1952− )はイギリスの古生物学者で、Cambridge 大学にあるSedgwick Museum に勤め、1991−2011には同館の館長だった。
 Iguanodonの模式種の変更に関して調べてきたが、そもそもこの変更は正当なものだろうか? Iguanodon属の命名に際して標本は脱落した複数の歯であった。たしかにこれらでは不十分であったのだが、それはこの種の認識に関わる問題で、のちの標本の中に、もっといいものを見つけてneotypeを指定すればいいのではないのか?

フランス語論文の著者名表記

 もう一つ補遺として記す。それはこの「古典的恐竜」調査の終わりに近いところで気がついたこと。このころの論文著者名は、例えばMarsh 1899 では、タイトルのうしろに、「by O. C. Marsh」というように、given name やmiddle nameは頭文字だけを記しているものが多い。文献を見つけて、正しい著者名をエクセルの表に転記していったのだが...。
 気づいたのは次の論文。
⚫︎︎ Collini, M. (sic!) 1784. Sur quelques Zoolithes du Cubinet d'Histoire naturelle de S. A. S. E. Palatine & de Baviere, à Mannheim. Historia et Commentationes Academiae Electoralis Simentiarivm et Elegantiorivm Litterarum Theodoro-Palatinae, Volvmen. 5 Physicvm: 71–103, Tab 2-4.
 タイトルページの一部を示す。

593 Collini 1784. Title. 赤線は私が追加した。

 ご覧のように著者名のところは「par M. Collini」となっている。フランス語 par は、おおよそ英語のbyにあたるから、当然M. はColliniのファーストネームの頭文字と思っていた。ところが、ColliniのフルネームはCosimo Alexandro Collini (=Côme Alexandre Collini)(1727-1806:イタリア生まれで、ドイツの博物学者)である。M. はMonsieur ムッシュの略なのだ。したがって、上に書いた文献データの冒頭は次のものが正しい。
⚪︎ Collini, Cosimo Alessandro, 1784. Sur quelques Zoolithes....(以下略)
 なお、この論文を引用した翼竜に関する「古い本 その126. 2022年10月25日掲載」は正しいものが書いてある。その時には、<未入手>としたが、その後めでたくpdfが入手できた。
 このブログを作るにあたって作成した論文pdfリスト中、フランス語著作のある著者は7人。Cuvierのように複数ある人がいるから20件近くある。心配だったのでそれらの名前をチェックした。その例を挙げておく

594 Cuvier 1812. Title.

 Colliniと同じようにPar M. Cuvier としているが、もちろんCuvier の名前はGeorge Cuvier で、図書館(この本原本はスミソニアンの図書館)の司書の鉛筆?の書き込みがうっすらと見える。「Georges」と書いてあるようだ。

595 Cuvier 1824 Title.

 同じCuvier の著作で、1812年の新版だが、今度は「Par M. le Bon. G. Cuvier」となっている。Bon. は、おそらく爵位Baronの略だろう。
 他にも幾つかのスタイルがあるので、著者名の記録を作る時には注意が必要である。知らないことだらけ。ここまでに記したことにも多くの間違いがあるに違いない。

古い本 その157 古典的論文補遺 その8

2023年11月21日 | 化石

Iguanodonのタイプ変更
 Iguanodonに関する記事は、「古い本 その92(古典的恐竜3)1825年(2022年3月29日掲載)にある。ここで、まとめとして、この属の模式種をIguanodon angulicus Holl, 1843とした。このブログでは調査が行き届かなかった。のちにベルギーのBernissartで完全な骨格がいくつも発見されたことから、ベルギーの種類 I. bernissrtensis が模式種に変更されていた。そのことは国際動物命名委員会の次の文で公告された。
⚪︎ ICZN 2000. Opinion 1947 Iguanodon Mantell, 1825 (Reptilia, Ornithischia): Iguanodon bernissartensis Boulenger in Beneden, 1881 designated as the type species, and a lectotype designated. The Bulletin of Zoological Nomenclature, Vol.57: 61-62.(Iguanodon Mantell, 1825(爬虫類・鳥脚類)についてIguanodon bernissartensis Boulenger in Beneden, 1881を模式種に指定、及び後模式標本の指定)
 そこに以下のIguanodon bernissartensis の原記載が引用されている。
⚫︎︎ Boulenger in Beneden, 1881, Bulletin de l’Academie Royale des Sciences, des Lettres el des Beaux-Arts de Belgique. Classe des Sciences. (3)1(5): 606. =ICNZの引用のまま。このブログの引用形式に直すと次のようになる。
⚪︎ Boulenger, George Albert 1881. [in Beneden] Sur l’arc pelvian chez les Dinosaurien de Bernissart; [par G. –A. Boulenger.] Bulletin de l’Academie Royale des Sciences, des Lettres el des Beaux-Arts de Belgique. Classe des Sciences. Série 3, Tome 1, No. 5: 600-608. (Bernissart の恐竜の腰帯について)
 いろいろと、命名のルールに関わることがある。まず、この論文は、van Beneden がBoulengerの意見を紹介する、という形式をとっている。この場合の命名者は規約ではその意見を表明した人として、Boulenger になりそう。日本でも化石脊椎動物の種類で、私信で記された新種を手紙の差出人の命名としている例もある。差出人が発表に同意したのかとか、気になることも多い。第一、BenedenはBoulengerの手記を紹介しておきながら、いくつか理由を挙げて「掲載に値しない」とまで言っているのだ(それなのに紹介はしている)。上記のICZNのこれに関する論文ではBoulenger in Beneden, 1881という形で記しているが、このブログでは、Boulengerの著作として扱った。
 George Albert Boulenger (1858-1937) はベルギー生まれ、イギリスで活躍した動物学者。2,000種以上の新種(主に魚類・両生類・爬虫類)を記載したという。
 対象となった標本は1878年にベルニサールの炭鉱で発見されたもので、後で述べるように翌年から詳しい記載がされる。Boulengerの論文は骨盤に限ったものである。文中次のように記されている。「(ベルニサールの)Iguanodonではその仙椎は6個からなる。一方大英博物館のものは5個からなる。.... 個体差をも考慮して、Boulenger 氏はベルニサールの種類を未知のものと考え、Iguanodon bernissartensis という名を追加した。」なお、この論文は図版を伴わない。Owenのモノグラフを探してみると次の図がある。

589 Owen 1854. Monograph Issue 27, Tab. 3. Iguanodon 仙椎腹面

 この標本がBoulengerの比較したものかどうかは分からないが、5個の仙椎が癒合している。前後両側の状態が今ひとつ明瞭ではないが。OwenはIguanodon 属のものとしている。標本の産出地は有名なイギリス南岸のWight島で、Sauli 氏の博物館所蔵。
 ベルニサールの完全骨格の研究はDollo が行った。彼はIguanodonに関して多数の論文があるというが、一番重要なのは1882年から1883年にかけて公表した4つの論文だろう。それらが次のもの。
⚪︎ Dollo, Louis Antoine Marie 1882a. Premiére Note sur les Dinosauriens de Bernissart. Bulletin du Musée Royal d’Histoire Naturelle Bergique.Tome 1: 161-178, Planche 9.
⚪︎ Dollo, Louis Antoine Marie 1882b. Deuxiéme Note sur les Dinosauriens de Bernissart. Bulletin du Musée Royal d’Histoire Naturelle Bergique.Tome 1: 205-211, Planche 12.
⚪︎ Dollo, Louis Antoine Marie 1883a. Troisième Note sur les Dinosauriens de Bernissart. Bulletin du Musée Royal d’Histoire Naturelle Bergique. Tome 2: 85-120, Planche 3-5. 
⚪︎ Dollo, Louis Antoine Marie 1883b. Quatrième Note sur les Dinosauriens de Bernissart. Bulletin du Musée Royal d’Histoire Naturelle Bergique. Tome 2: 223-248, Planche 9. (Bernissartの恐竜に関する第1から第4のノート)
 これらにはそれぞれ図版があるが、合計で6図版と数少なく、文中図はない。文章もそれほど長くはない。いちばん有名な図が、全身の「カンガルー型」復元図である次のもの。

590 Dollo 1883a, Planche 5. Iguanodon bernissartensis. スケールは書き直した。

 他にも、頭骨のスケッチは美しい。

591  Dollo 1883b, Planche 9(一部).  上Iguanodon bernissartensis 頭骨左側面. 下 同左下顎舌側 一部を取り出して並べ直した。

 この論文には仙椎の図は含まれない。しかし、Dolloは、彼はそれまでに発表された幾つかの種類のIguanodonを3種類にまとめた。仙椎が4個の脊椎からなるIguanodon Prestwichii、 5個の仙椎を持つIguanodon Mantelli、それに6個の脊椎を持つIguanodon Bernissartensis である。つまりこの論文の分類はすぐ前の年のBoulengerの骨盤の研究にかなりの重要性を認めて頼っている。それなら、Boulengerの書いた図(Benedenにより、出版物に採用されなかった)などそこに関する図がありそうなものだ。Dolloの多くの論文のどこかに仙椎のスケッチがある可能性があるが、探せなかった。

古い本 その156 古典的論文補遺 その7

2023年11月13日 | 化石

 Owen 1881の文中で、ひとつ気になることがある。文頭の83ページの見出しにIchthyosaurus属の提唱者としてKönigをあげていることである。このブログの「その133」では、Ichthyosaurus属の命名はDe la Beche and Conybeare, 1821とした。それ以前に大英博物館展示解説書(1818年。この著者がKönigである。)にその名前が出てくるが、記載を伴わないのと、正式な刊行物ではないと判定した。Owen 1881の提唱者に記号が付してあって、それに対応する脚注には「Icones Fossilium Sectiles, fol., pl. xix, fig. 250.」と書いてある。その文献が次のもの。
⚪︎ König, Charles Dietrich Eberhard 1820-1825. Icones fossilium sectiles. 1-4, plates 1-19. (化石の画像)
 ついに出ました!!ラテン語論文。「古典的恐竜」の最初から引用してきた古い論文は、英語・ドイツ語・フランス語がほとんどで、他に中国語1件(ただし未入手)、ロシア語2件(どちらも英語翻訳が出版されていて、それを見た)、それに南米の恐竜記載が英語とスペイン語の併記だった。発行年月日に幅があるのは,はっきりと記入がないため。命名規約の先取に関してはこのような時は最後の年が命名年とみなされる。この論文は、19枚の画像に250の化石スケッチが系統的でなく並んでいるもの。スケッチははっきり言って稚拙。Fig. 250というのはその最後の一枚である。解説が4ページのテキストとして添えられているのだが、なぜか100番までしかない。それより後は図版の下に番号と種名が列記してあるだけ。「250. Ichthyosaurus latifrons.」と書いてある。

586 König 1825, Plate 19. Fig. 250(橙の線の左)

 図は上から4個の連続した脊椎骨の側面、脊椎骨の前後面、それにかなり揃った脊椎骨列と頭骨である。大英博物館図録でKönigが扱った完全な頭骨ではない。Ichthyosaurus latifrons を調べると、Owenが1840年に記載したというGoogle関連の資料が出てくる。その文献は前に出てきたもので、Owenの著作の中でもかなり古いもののひとつ。
⚪︎ Owen, Richard 1840. Report on British Fossil Reptiles. Report of the Ninth Meeting of the British Association for the Advancement of Science, Reports on the Researches in Science: 43-126. (英国の化石爬虫類の報告)
 その126ページにIchthyosaurus latifrons がリストアップされている。その命名者はKœnigとなっている。従って、1840年命名という資料は誤り。どうやらI. latifronsの命名がKönigのラテン語図録のようだ。それには記載もないし命名の体裁は整っていない。FossilworksではLeptopterygius latifrons (属をのちに移動)を1825年のKönigの命名としている。
 Königの示した標本のスケッチには産地などのデータがない。この標本の頭骨がQwen 1881に掲載されている。

587 Ichthyosaurus latifrons 頭骨. Owen 1881, Plate. 27.

 頭骨だけをKönig 1825と並べてみよう。

588 左:König 1825、右:Owen 1881

 Owenは「Königの標本を示す」とし,「標本はLyme Regisから得られたとされる。」としてかなり詳しい形態の記載をしている。

 なお、当時イギリスの中生代の地層の呼称は、おおざっぱに言って古い方からRaetic(三畳紀後期)・Liassic(ジュラ紀前期)・Great Oolite(またはStonefield:ジュラ紀中期)・Kimmeridgian(ジュラ紀後期)・Purbeck(ジュラ紀後期)・Wealden(白亜紀前期)・Gault(白亜紀前期)・Transylvanian(白亜紀後期)である。Owenの著作はこの時代区分に従って書かれている。カッコ内は現在使われている地質時代名であるが、当時時代名が確立していたのではない。他の用語も含めていくつか現在のものと異なる用法がある。例えば「cretaceous」が小文字の場合には時代を言っているのではなく、岩質を言っているかもしれない。また、イギリスから見た外国の地層名にこれらの名称が出てくる時には、対比が正確ではなく、岩層が似ている場合に名前を転用しているかもしれない。原典に書いてある地層名から時代を機械的に記してきたので、近年の再区分や変更で時代が異なるものがあることはお許しいただきたい。地層の対比について基礎を作ったSmithの「Map of Strata」が発行されたのは1815年である。「化石による地層対比」を用いて書かれた地質図であるが、当初の社会は当初これを土木・農業の情報ととらえ、地質学界では重要視していなかったと言われている。おもしろいことに彼の採集したIguanodonの化石骨は、のちに最も古い採集記録であると推定されている。

 Owenのモノグラフの特徴は、出てきた標本を丁寧に分類。列記したものであること。標本は豊富だがかなり部分的な(そのために分かりにくい)化石も提示している。多数の図があって、興味が尽きないがこのあたりで、次の話題に移る。

古い本 その155 古典的論文補遺 その6

2023年11月05日 | 化石
 Owenのモノグラフ 2

581 Scellidosaurus Harrisonii 頭蓋側面 Issue 56. Tab. 4. Dorsetshire産 大英博物館所蔵

⚪︎ Owen, Richard 1861 Monograph of the British Fossil Reptilia from the Oolitic Formations. Part. 1. Scelidosaurus Harrisonii and Pliosaurus grandis  Palaeontological Society, London. Monograph. Vol. 13, Issue 56: 1-14, Tabs. 1-7(ウーライト層の化石爬虫類モノグラフ。第1部:Scelidosaurus Harrisonii Pliosaurus grandis
 Scelidosaurusは、鳥脚類の恐竜で、ステゴサウルスやアンキロサウルス類のようなグループの祖先に当たる。この属・種はここで命名された。現在も同じ学名で扱われている。ただし種小名は規約に大文字から小文字に変更されている。

582 Scellidosaurus Harrisonii 右後肢側面 Issue 60. Tab. 11. Dorsetshire産 大英博物館所蔵

⚪︎ Owen, Richard 1863 Monograph on the Fossil Reptilia from the Oolitic Formations. Part. 2. Scelidosaurus Harrisonii and Pliosaurus grandis.  Palaeontological Society, London. Monograph. Vol. 14, Issue 60: 1-21, Tabs. 1-10.(ウーライト層の化石爬虫類モノグラフ。第2部:Scelidosaurus HarrisoniiPliosaurus grandis

583 Iguanodon Mantelli 左前肢足裏側 Beckles 氏のコレクション Sussex州のWealden 粘土層産

⚪︎ Owen, Richard 1872 Monograph of the Wealden Formation. Supplement No, 4. Iguanodon. Palaeontological Society, London. Monograph. Vol. 25, Issue 114: 1-15, Tabs. 1-3.(Wealden層の化石爬虫類モノグラフ。追補4:Iguanodon
 Iguanodonの前脚で、右下に突き出しているのは親指側にある突起の骨。初期の復元で、サイのような鼻先の角とされた骨である。

584 Owen 1875. Tab. 19. Omosaurus armatus Owen ジュラ紀

⚪︎ Owen, Richard 1875. Monographs on the British Fossil Reptilia of the Mesozoic Formations. Part 2. Genera Bothriospondylus, Cetiosaurus, Omosaurus). Palaeontographical Society Monographs. Vol. 28: 15-93, Tabs. 3-22.
 Omosaurusは、ステゴサウルスに近い恐竜で、属名はワニのような体型のArchosaur の一種に先取されていたので、のちにDacentrurusという属名に置き換えられた。従って、現在の名称はDacentrurus armatus (Owen, 1875) となる。属名Omosaurusを先に名付けたのは次の論文。
⚪︎ Leidy, Joseph 1856. Notices of Remains of Extinct Vertebrated Animals discovered by Professor E. Emvions. Proceedings of the Academy of Natural Sciences of Philadelphia vol. 3: 255-257, (Emvirons 教授が発見した絶滅動物の化石に関する通知)
 Owenの論文には直線的なトゲ状の骨があって、背中の後方の棘と考えられている。上のスケッチの標本には骨盤などが一緒に含まれていて興味深い。

585 Ichthyosaurus. Issue 166, Tab. 28.

⚪︎ Owen, Richard 1881. A Monograph of the Fossil Reptilia of the Liassic Formations. Part 3. Ichthyopterigia. Palaeontographical Society Monographs. Vol. 35, Issue 166: 83-134, Tabs. 21-33.
 図は一番上が Ichthyosaurus communis の復元図で、まだこの時代には尾びれの部分の脊椎の下方への屈曲は知られていなかった。他の標本でこの屈曲が(現在の知識を持って見ると)分かるものはいくつかあるが、ドイツのホルツマーデンのように側方を見せている標本がイギリスでは少ないようだ。2段目の左は I. acutirostris 頭蓋の側面、右側は I. communisの肩帯と上腕骨、三段目は I. longorostrisの頭蓋側面、下は I. communisかと思われる個体の後肢(ヒレ)で、軟体部が保存されている興味深い標本である。次回このモノグラフの主題である魚竜について少し追跡してみよう。

古い本 その154 古典的論文補遺 その5

2023年10月21日 | 化石

 Owenのモノグラフ 1
 このジャーナルに掲載されたOwenのモノグラフは、全部で31論文。そのうち2件は始新世の亀に関するもの、1件は中生代哺乳類、1件は更新世の鯨類に関する論文で、残りの31論文が今回のテーマである中生代の爬虫類化石を主題とする。このリストを作るのは結構大変であった。Palaeontological Society が作成した全モノグラフのリストがあったので、それに基づいて作ることができたが、Owenの論文は後からの訂正があって、複雑な構成になっている。地層別に見たいのだがそいう構成になっていない。発行順に近いIssueナンバーを基準に幾つかの図版を紹介する。31件は、1851年から1889年までの38年間に発行され、Issue 11 (1851) からIssue 203 (1889) のものである。各論文はいくつかの地層別のシリーズに分かれているが、順次作成されたためか、細かいところで多くのバリエーションがあって全容を理解するのは困難。さらにこの混乱を改めるために「製本者への指示」というような注文が添えられて、一層判りにくい。諸図書館は、発行順に製本し、この指示通りに順序を変えて製本をすることはなかったようだ。それは学名の先取関係などを重視する命名規約上の理由に基づいているのだろう。
 Owenのモノグラフから、美しいものや興味深い図版を紹介する。

578. Owenのモノグラフの最初の図版。Issue 11. Tab. 1. Chelone Benstedi. 背側と側面。Kent州の中部白亜層(白亜系)Mantell 博物館所蔵。

⚪︎ Owen, Richard 1851. A Monograph on the Fossil Reptilia of the Cretaceous Formations.  Palaeontological Society, London. Monograph. Vol. 5, Issue 11: i-xvi, 1-118, Tabs. 1-37, 9a.(白亜紀層の化石爬虫類モノグラフ)
 この種類は、1851年にMantell によって Emys Benstedi として記載された。Owenは1841年にこれをChelone 属に移動した。現在の取り扱いはChelone benstedi (Mantell) 。

579 Owen, 1856. Tab 11Megalosaurus Bucklandi ホロタイプ。Issue 34. Tab 11.

⚪︎ Owen, Richard 1856. Monograph on the Fossil Reptilia of the Wealden Formations, Part 3. Megalosaurus Bucklandi.  Palaeontological Society, London. Monograph. Vol. 9. Issue 34; 2-26, Tabs. 1-12. (Wealden層の化石爬虫類モノグラフ. 第3部. Megalosaurus Bucklandi
 最下段の下顎舌側とその左上の同頬側がOxford Museum 所蔵のホロタイプ。他は大英博物館蔵。なお、この論文では種小名の綴りの最後のiは一つだけ。

580 翼竜の肩帯 Issue 47. Tab. 3, Fig. 6. Pterodactylus (Dimorphodon) macronyx

⚪︎ Owen, Richard 1859 Monograph on the Fossil Reptilia including Supplement 1. Cretaceous Pterosauria and Wealden Crocodilia.  Palaeontological Society, London. Monograph. Vol. 11, Issue 47: 1-44, Tabs. 1-12. Tabs. 1-37, 9a.(化石爬虫類モノグラフ。追補1:白亜紀の翼竜類とWealdenのワニ類)
 紹介したのは小型の翼竜類の肩甲骨と烏口骨が癒合した骨。翼竜類に特有な形態をしていて、翼からの力をしっかりと脊椎骨に伝える形に進化している。左側の関節窩に上腕骨がつながる。それより上方が肩甲骨、下方が烏口骨。
 Buckland は1829年にPterodactylus macronyx を記載した。Owenは、ここに示したモノグラフで、この種類がPterodactylus の中で特徴を持つことを示して、P. maronyxを模式種として亜属Dimorphodonを記載した。現在は属に昇格して、 Dimorphodon macronyx (Buckland) と扱われる。種の記載は次の論文。資料によっては、命名年代を1829年としているが、それは講演(口頭発表)の日付(1929.2.6)のことだろう。印刷物の公表は1835年。
⚪︎ Buckland, William 1835. On the Discovery of a New Species of Pterodactyle in the Lias at Lyme Regis. Transactions of the Geological Society of London, series 2, 3: 217-222, Plate 27. (Lyme RegisのLias層のプテロダクチル類の新種発見について)

580  Pterodactylus macronyxホロタイプ Buckland 1835, Plate 27.

 どうやら、この標本の上部中央の骨が、先ほどのOwen のIssue 47にあった肩甲骨・烏口骨の癒合した骨らしい。
 このように、Owenの著作は化石標本のデータを網羅していて、データも記してあるから、追いかければどこまでも情報が得られる。しかし、編集は混沌としている。