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OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

古い本 その192 戸狩動物群 8

2025年04月22日 | 化石
7 徳永氏の逝去と直良氏
 1940年2月に徳永重康氏(1874−1940)が逝去。古脊椎動物関係の業績は膨大で、当ブログでも度々引用した。その中でひとつあげるなら、満蒙学術調査中の古生物分野のものだろうか。この記事に関して言えば、日本の束柱類の研究の基礎は氏によって作られた。亡くなったのは沢根標本の発表の翌1940年であった。1941年に日本は戦争に入った。徳永氏は早稲田大学教授であったが、古脊椎動物研究は直良信夫氏によって継続された。1945年5月29日の米軍の爆撃による火災で、大学に保管されていた膨大な標本が焼失した。脊椎動物化石も数多く、その例として「明石人骨」が有名だが、Paleoparadoxia tabataiの沢根標本もその中に入っている。出版事情が悪くなって、研究の公表にも不自由があった。早稲田大学から「日本舊石器時代の研究」(直良信夫, 1954)などの研究がのちに公表された。直良氏の他の著書の中に、沢根標本の記述がある。この標本のスケッチがあるが、形態についての記述はない。
○ 直良信夫, 1944. 日本哺乳動物史. 265ページ. 養徳社. 奈良県丹波市町.
 この本は当ブログで何度もすでに引用した。Tokunagaの論文の2年後に日本は戦争に入り、「日本哺乳動物史」は、印刷事情のよくないときに発行されたから、紙質が悪くて見づらい。

726 直良, 1944. 109ページの挿図。タバハジウ(デスモスチラス)の歯、佐渡相川産。

 このスケッチはTokunaga, 1939 の図と一致するからたしかに沢根標本である。スケールはスケッチに入っているが計測値と少し異なるので、それに合わせた第2のスケール(下)を追加した。命名後5年も経つのにCornwallius tabatai の名前は出てこない。この図の解説は本文中にない。直良はここで、Desmostylus japonicus の和名として、新称「ニッポンタバハジウ」(漢字で書くと日本束歯獣)を提唱したが、その産地として「新潟県佐渡郡澤根町中山峠」を挙げているから、この標本がDesmostylusに含まれると考えていたことになる。しかし、巻末の動物種ごとの産地表の「ニッポンタバハジウ」の項に新潟県の地名はない。ちなみに最近の「デスモスチルス類化石リスト」を見ても、これ以外に束柱類化石は佐渡から記録されていない。
 徳永重康は、直良信夫の指導者だったから、直良が1939年の論文を知らなかったのは、ちょっと不思議である。

8 泉標本の発見1950.10
 1950年10月に、岐阜県土岐市泉の隠居山から束柱類の完全骨格が発見された。発見者は戸松滋正氏(名古屋市の中学校教諭)と東(あずま)充彦氏(多治見高校生徒)の二人であった。クリーニング途中の写真が発表されている。

727 Shikama, Tokio, 1966. Textfig. 5. クリーニング途中の泉標本

 
728  Shikama, Tokio, 1966. Text fig. 7. 埋没した状態の泉標本の略図

 この標本の剖出は横浜国立大学で行われ、おもに鹿間・井尻・高井氏が担当したらしい。標本を前にしたこの3先生の1951年の写真がある。この3人の揃った写真は多分非常に珍しい。38歳から40歳頃の写真である。
 標本は早い時期に専門家に託されたので発見者の戸松滋正氏と東(あずま) 充彦氏の名前は文献上あまり出てこない。次の本の著者名簿にその名を見つけたので、記しておく。
○ 郷土地学教育研究会, 1963. 愛知県とその周辺. 地学案内. 110ページ+付表・地質図. 浜島書店.
 戸松滋正氏は、名古屋市立豊国中学校所属となっていて、執筆を担当したのは「土岐津」の章・「デスモスチルス」の項目、それに囲み記事「デスモスチルス発見のいきさつ」の部分。この本は私が高校生だった頃に参考にしていたガイドブックで、筆頭著者は愛知学芸大学の吉田新二教授。この方にはのちにずいぶんお世話になったが、その頃は存じ上げなかった。

 私は中学から高校にかけて、名古屋の自宅からたびたび泉標本の隠居山に化石採集にでかけた。中央線の大曽根駅から乗車して土岐津まで乗車し、駅から歩いた。当時大曽根駅の入り口は、現在の南口しかなかったから、そこまで自宅から市営バスか自転車で行った。土岐津駅は1965年に土岐市駅に改称。そこまで蒸気機機関車の牽く(電化:1966年。複線化も同じ頃)普通列車で行った。
 私が友人と訪れたのは、おもに南側の斜面で、泉標本の産出した山頂近くは、化石が少ないのでほとんど行かなかった。一番熱心に探したのはサメの歯であったが、少数しか採集できなかった。この標本は瑞浪市化石博物館に収めた。

729 Myliobatis 土岐市隠居山 中新世

 エイの歯の標本が2点だけ私の手元にある。サメの歯を瑞浪市に寄贈する時に、これだけが残されたらしい。
 採集できたのは主に小型の貝類であった。

730 Turritella 土岐市隠居山 中新世


古い本 その191 戸狩動物群 7

2025年04月13日 | 化石

6 Cornwallius属の命名
 次に、Cornwallius 属の命名について調べてみよう。この属の記載論文は次のもの。
○ Hay, Oliver Perry, 1923 Characteristics of sundry fossil vertebrates. Pan-American Geologist. 39: 101–120.(さまざまな化石脊椎動物の特徴)(未入手)
 このジャーナルのディジタルアーカイブはあるのだが、前の巻(vol. 38)までしかなく、欲しいところがない。他の文献からおおよその内容はわかる。要するに1922年に提唱されたDesmostylus sookensis の特徴から、これに対して新属を提唱したのだ。
 翌1924年にHayはもうひとつ論文を書いてこの種類について記している。その論文が次のもの。
○ Hay, Oliver Perry, 1924. Notes on the osteology and dentition of the genera Desmostylus and Cornwallius. Proceedings of the United States National Museum. Vol. 65, Art 8: 1–8, plates 1-2. (Desmostylus 属と Cornwallius 属の骨学と歯の構成)
 内容は、カナダ地質調査所を通してVictoria MuseumのDr. C.W. Newcombから送られてきた標本についての記述である。Kermode館長が地質調査所に送ったものと同一の標本である。文章は、後にDesmostylus sookensis さらにCornwallius sookensis となる標本と、別の標本の記述からはじまる。それはNewcomb 博士が古物商(原文はdealer of curiosities: 骨董屋の方がいいかも)で入手したAlaska産と言われる標本でこちらも1916年のKernode館長の報告に出てくるが、図示されていなかった。今度は写真がある。 

722 Hay, 1924. Plate 1(一部)Desmostylus hesperus 吻部の断面と上顎臼歯

 スケールは書き加えた。この頭骨というのは明瞭に書いてないがOregon州の標本だと思う。内部の細い線は薄い骨の壁としていて、それのある両側の丸い断面の部分には門歯が入らないと考え、日本の記載の牙の存在を疑問視している。文中に側面図もあるが、ここでは述べない。
 下の歯がアラスカ産(文中で産地は信用できないとするが)のDesmostylus hesperus 左上顎臼歯で、左が咬合面、右が側面(頬側)。未萌出なので、頂部のエナメル表面の面白い形がわかる。Desmostylus の話はこのくらいに。
 Plate 1 の上部にCornwallius sookensis の上顎臼歯が図示してある。

723 Hay, 1824. Plate 1. (一部)Cornwallius sookensis 上顎臼歯

 文中ではこの大きい方の標本を「Special type」にあたるとして、現在でいうlectotype のように記している。こちらをなぜ重要視したのかは不明。文中にその断面図がある。

724 Hay, 1824. Fig.1. Cornwallius sookensis 上顎臼歯断面 と断面の推定位置

 スケールは示されていない。この図は、割れていた標本を接着する前に描いたスケッチとしてある。どこだろう?この歯の咬柱の二つを結ぶ直線が、その先で他の咬柱の中心近くを通るラインは二つしかないが一つは不完全な柱を通るから結局一つに限定される。柱の密着具合も一致する。ここでHayが言いたいのは、歯髄腔が頂部付近で急激に直径を変えているから、この歯の咬耗は少ない、つまりもともとこの歯の歯冠高は低い。ということ。まあDesmostylus のよく磨り減った歯を見れば、角の丸さで分かる。
 Hay, 1924の第2図はもう一つの標本(下顎臼歯)と一緒に各方向からの図がある。すでに何度も図示されてきたから、それまでに描かれていなかった歯根側の図だけ取り出した。

725 Hay, 1824. Fig.2. (一部) Cornwallius sookensis 臼歯の歯根側

 左が下顎臼歯、右が上顎臼歯。歯根側が広く窪んでいるのは、Desmostylus では見られない。下顎臼歯では二根であることが推定されるが、上顎ではわからない。
 Beatty, 2023によるとCornwallius sookensis の標本は、Vancouver島のSookeの町の東西にある2か所以上から4点、オレゴン州のSeal Rock State Parkの一か所で多数、またメキシコの二か所から発見されているという。ずいぶん緯度に幅がある。
 Cornwallius sookensis については、このくらいにしておく。

古い本 その190 戸狩動物群 6

2025年04月06日 | 化石

4 バンクーバー島での発見
 しかし、徳永は佐渡(沢根)標本に新属名を与えることに躊躇したようだ。結局1939年になって、佐渡標本に対して新種名をつけ、それがカナダで記載されたCornwallius属に含まれるとした。まずこの属について調べてみよう。
 Cornwallius属の提唱される前の次の論文からスタートする必要がある。
○ Kermode, Francis. 1917. Palaeontology. Report of the Provincial Museum of Natural History (Victoria, British Columbia) for the year 1916: 42–43, Plates 9,10. (1916年報告の「古生物学」)
 論文リストに上のように書いてあるが、Francis Kermode (1876-1946) はイギリス生まれでこの本の発行元であるProvincial Museum of Natural History, Victoria B.C.(バンクーバー島の南東端のVictoriaにある)の館長であり、専門は現生生物らしくて著者というよりも編集者。「古生物学」という項目にも著者の記載がないが、二つの束柱類化石の産出に関する記述で占められていて、片方のものは写真が示されている。

717 Kermode, Francis. 1917. Plate 9, Figs. 2-3. “Desmostylus hesperus

 なお、スケールは計測値から書き込んだ。この標本が後のDesmostylus sookensis の模式標本のひとつである。
 注目するのは、この標本がカナダで最初の束柱類であるということ。発見されたのは1916年の夏。場所はバンクーバー島の南端近くの「Coal Creek河口付近の砂岩層のがけ」で、M. Egartonという女性が見つけた。意見を聞いたのは、Lambe氏である。Lawrence M. Lambe(1863−1919)は、カナダの地質調査所に務めた古脊椎動物学者で、恐竜の研究で有名。彼はこの標本がデスモスチルス類であることを指摘したが、そのころまでに知られていたその類は、事実上カリフォルニアのDesmostylus hesperusしかなかったから、その種類であると答えた。地質年代についても、カリフォルニアの年代を根拠として中新世であるとした。現在の知見では、産出したSooke Formationは古第三紀の地層で、おそらくOligoceneである。この記録で示されている産出地の「Coal Creek河口」というのは見つからなかったが、Lambe の返信にある「Sooke地区にあるOtter Point」というのは, Googleマップにも出てくる。Sookeの町から3 kmほど西にあり、カナダとアメリカを分けるファンデフカ (Juan de Fuca) 海峡に面している
 徳永重康博士は、1932年にアメリカのCalifornia州とOregon州を訪れて、Desmostylusの標本を調査したが、Vancouver島は訪れていないようだ。
 私は、2002年の3月にVancouver Cityに立ち寄ったことがあるが、Vancouver島には行ったことがない。また海峡の対岸(アメリカ側)を通ったから、Sookeの町の20 kmくらい南にまで近づいたことになる。

718 Juan de Fuca 海峡の対岸から見たVancouver島 2002.3.10

5 Desmostylus sookensisの命名
 Desmostylus sookensis を命名したCornwallの論文が次のもの。
○ Cornwall, Ira E. 1922. Some notes on the Sooke Formation, Vancouver Island, B. C. The Canadian Field-Naturalist. Vol.36, no. 7: 121-123. (British Columbia, Vancouver 島のSooke 層の幾つかの記録)
 Ira E. Cornwallの生没年は、わからなかった。著作は1922年から1951年にあり(他に1975年というのがあるが、詳細不明)、内容は1922年以外はフジツボ類(化石・現生)に関するもの、というリストがあるが、このリストの作成者はフジツボに関連するものだけを挙げたようだ。Cornwall, 1922 には、二個の歯の写真が掲載されている。

719 Cornwall, 1922. P. 122のFigure. Desmostylus sookensis, 側面(左)と咬合面(右)

 この文中図は、キャプションの位置が下にあるが、やや誤解されやすい。上の二つが同じ標本の側面と咬合面で、これらが「Fig. 1a」である。上の標本は後にLectotypeに選ばれた。手に入るこのpdfでは画像が良くない。それに、歯種や方向も当時は明確でなかったが、最近の論文でチェックできる。その論文は次のもの。
○ Beatty, Brian Lee, 2023. Further desmostylian remains from the upper Oligocene of Vancouver Island, British Columbia, Canada. Acta Palaeontologica Polonica. Vol. 68, no. 2: 373-378. (British Columbia州、Vancouver島の上部漸新統からのさらなるデスモスチルス類化石)

720 Beatty, 2023. Fig. 4. Cornwallius sookensis (Cornwall) バンクーバー島詳細地点不詳. 右下顎第2または第3大臼歯。

 図は左が咬合面で、上が前。中央は舌側で左が前、右は頬側で右方向が前である。キャプションにあるように、この標本はCornwallのLectotypeのほぼ完全な鏡像にあたり、歯根も完全である。
 ついでに、これに対応する上顎の臼歯の写真もある。すでに以前の比較写真で用いたものである。

721 Beatty, 2023. Fig. 3. Cornwallius sookensis (Cornwall) Kirby Creek, バンクーバー島. 右上顎第2または第3大臼歯。

  図は左が咬合面で、上が前。右上は舌側で右が前、右中は頬側で左方向が前、右下は前側である。 
 指摘されているように、Desmostylusと比較して、歯冠の高さが低く、歯冠の周囲に歯帯が目立つ。さらに歯根がはっきりと存在し、咬頭の柱の間隔が広い。
 これを佐渡標本と比較すると、歯根の形状が全く異なることと、咬柱の間隔が佐渡標本では密着していることがわかる。

古い本 その189 戸狩動物群 5

2025年03月21日 | 化石

 ここでは、1937年までに記載された4種のうちDesmostylus japonicus以外の3種類の記載論文(いずれも長尾 巧(1891−1943)著)を記しておくが、Paleoparadoxia の研究史が本題だから詳しく比較しないでおく。
○ Nagao, Takumi, 1935. 樺太気屯産DesmostylusD. mirabilis nov. 地質学雑誌 vol. 42: 822-824.

711 気屯標本 北海道大学所蔵 Desmostylis mirabilis 頭蓋腹面

712 標本を持って記念撮影 1998年

○ Nagao, Takumi, 1937a. A new species of Desmostylus from Japanese Saghalien and its geological significance. Proceedings of Imperial Academy, Tokyo. Vol. 13: 46-49. (日本領サハリンからのDesmostylus 新種とその地質学的重要性)

713 Nagao, 1937a. p. 48. Desmostylus minor. Holotype 本斗標本
○ Nagao, Takumi. 1937b. Desmostylella, a new genus of Desmostylidae from Japan. Proceedings of Imperial Academy, Tokyo. Vol. 13: 82-85. (日本からのDesmostylus科の新属Desmostylella

714 Nagao, 1937b. p. 84. Desmostylella typica. Holotype の湯田標本

 Desmostylus の大部分の標本は脱落した歯で、その歯種を決定することは難しい。一番多い上下顎の大臼歯はそれぞれ形態も似ていてとくに第2・第3の区別はしにくい。さらに複雑なのは、この動物の歯の咬耗は激しくて、しかも平面的(咬頭で遮られない)ためか、同じ個体の左右でさえ違った外見となることがある。この文では歯の咬耗に関わることを検討材料にすることを諦めたために、論議は進まない。一つだけサイズに関する変異の幅がわかればと次の論文の図を比べた。
○ Shikama, Tokio. 1966. On Some Desmostylian Teeth in Japan. with Stratigraphical Remarks on the Keton and Izumi Desmostylids. Bulletin of the National Science Museu. Vol. 9, No. 2: 119-170, pls. 1-6.(日本のデスモスチルス類の幾つかの歯について. さらに気屯と泉のデスモスチルス類の層準について)
 この論文にはいくつかのDesmostylusの臼歯の写真が、同一の倍率で示してあるから、上顎と下顎に分けて咬合面の写真を並べてみよう。

715 Shikama, 1966. に図示されたDesmostylus上顎臼歯の咬合面

716 Shikama, 1966. に図示されたDesmostylus下顎臼歯の咬合面

 Shikamaはこの論文で日本産のDesmostylus (Desmostylellaを含む)をすべてDesmostylus hesperus japonicus とした。つまりアメリカの種とは同種、異亜種とした。並べたのは、図示された Desmostylusの臼歯で、ほぼ完全なものに限った。Shikamaの図から取り出して順にabcの記号を入れ、スケールを書き込んだ。標本名・産地は次の通り。
上顎臼歯
a. 右 オコッペ沢標本 =十勝標本 北海道浦幌町オコッペ沢
b. 左 浅内沢 =本斗標本 サハリン本斗町麻内沢
c. 左 若松 北海道北檜山町若松 旧若松鉱山
d. 左 岩手 岩手県詳細不明
e. 左 田代 秋田県羽後町牛ノ沢
下顎臼歯
f. 左 野蒜 宮城県東松島市(鳴瀬町)西沢
g. 左 野蒜 同上
h.  右 田代 前出
 ご覧のように、下顎臼歯は数が少ないこともあってサイズの変異が小さいが、上顎臼歯のサイズにはかなり大きな差がある。しかし、現在はこれらの種はひとつと考えられていて、Desmostylus japonicus を用いることが多い。



古い本 その188 戸狩動物群 4

2025年03月13日 | 化石

3 Desmostylusの種類
 徳永は、1902年の記載の時に岐阜県戸狩の頭骨とともに島根県布志名で1897年に発見された単独の臼歯を扱っている。この時には分類群不明とした。

710  Yoshiwara and Iwasaki, 1902. Plate 3. 後のDesmostylus japonicus. 戸狩標本と布志名標本

○ Yoshiwara, Shigeyasu and Juzo Iwasaki, 1902 Notes on a New Fossil Mammal. The Journal of the College of Science, Imperial University of Tokyo, Japan. Vol. 16, Art. 6: 1-13, pls. 1-3. (新種の化石哺乳類に関するノート)
 吉原姓から徳永に改姓した為、別人のように見える。さらに共著者岩崎重三も実は「ちょうぞう」と読むのが正しい。1902年に詳しく記載した標本を、この両者の共著で1914年にDesmostylus japonicus と命名した。
○ Tokunaga, Shigeyasu and Chozo Iwasaki, 1914. Notes on Desmostylus japonicus. The Journal of the Geological Society of Japan, 21: 33. (Desmostylus japonicus に関するノート)

 徳永は他に佐渡標本の論文発行の3年前1936年に福島県湯本町附近の磐崎村長倉炭鉱(現・いわき市)で発見されたものをDesmostylus cf. mirabilis として報告している。この磐城標本(=犬塚の長倉標本)の論文が次のもの。
○ 徳永重康, 1936. 福島県湯本町附近より發見せる「デスモスチラス」. 地学雑誌. Vol. 48, no. 6: 473-484, pls. 6-8.
 ここまでに徳永は3つのこの類の標本について記載を行ったことになる。戸狩・出雲・磐城の各標本である。日本でそのころまでに記載されていたDesmostylusは、この3標本以外にサハリンのものとMatsumotoが報告した北海道小平町下記念別沢の羽幌標本ぐらい。ほかに浦幌町の十勝標本、同北檜山町の利別標本、岩手県福岡町の尻子内標本と金田一村の湯田標本(この二つは現在二戸市)がリストアップされている。(標本の名称は後で出てくる犬塚, 1984による。)これらと比較を行ったにちがいない。1937年には後で述べるように他にも二種類のDesmostylus類が記載された。
 なお、標本のリストとして犬塚, 1984に、「日本周辺束柱類標本一覧」という表を挙げておく。標本名など幾つかの問題があるが、この頃までの産出を調べるのには一番参考になる。
○ 犬塚則久, 1984. デスモスチルスの研究と諸問題. 地団研専報 28号:1-12.
 シノニムではあるが、日本産のDesmostylusにもう一つ学名が提唱されていた。それは次の論文。
○ Hay, Oliver Perry, 1915 A contribution to the knowledge of the extinct sirenian Desmostylus hesperus. Marsh. Proceedings of the United States National Museum. 49: 381-397, pls. 56-58. (絶滅海牛類Desmostylus hesperus. Marshの知識に関する貢献)
 この論文では、Yoshiwara and Iwasaki, 1902が報告した「属・種不明」の戸狩標本にDesmostylus wataseiという新名を与えたが、Tokunaga and Iwasaki, 1914が先に出版されているのでシノニム(同じものに後で付けられた学名)である。ついでに記すと、献名された人物は渡瀬庄三郎(1863-1929:このころ東京帝国大学教授:生物学)で、以前。アメリカに留学していた。
 有名なサハリンの気屯標本(骨格)は1933年に発見、1935年に報告され、Desmostylus mirabilis Nagao という名で記載された。サハリンのDesmostylus標本のうち、一番早くに発見されたものは1920年だが、日本人の発見のものでは1928ごろ。またNagaoは1937年にこれらの中の二つの標本が区別できるとして、サハリン・本斗の臼歯にDesmostylus minor、また岩手県金田一の湯田標本に、別属のDesmostylella typica の名を提唱した。
 つまり、地質学会で徳永が発表した1933年の時点では、日本の既知の束柱類の種数は1種ということになる。講演要旨の「3種」というのは、それに佐渡標本ともう一種が加わる、という意味だったのだろう。「Desmostylusに3種」ではなく、「Desmostylidaeに3種」としたのは、別属であるという感覚を示している。またもう一種というのはまだ命名されていないはずで、後に記載されたサハリンの種類Desmostylus mirabilisにあたるのか。