写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

壊れる理由

2008年10月23日 | 生活・ニュース
 家を建てて20年が経つ。外壁は2度塗り替えた。内装も傷んだところはDIYで直してきた。最近、ガスレンジや食器洗い機、ガス給湯器など設備関係の大物が壊れたので買い替えもした。

 いろいろなものが20年もたてば劣化したり壊れていくのは、人間と同じで致し方がない。

 昨夜、寝る前に窓に取り付けているブラインドを、奥さんが紐を引っ張って下ろそうとしたが、左側が下りず斜めになって止まった。

 横幅1間のブラインドには、左中右の3ヵ所に細い紐が付いている。この3本の紐は束ねられて右端にぶら下がっていて、これを引っ張ったリ緩めたりすることでブラインドは上下できる構造となっている。

 左端の紐が摩耗して切れていた。長い間、歯車のような形をしたストッパーの間を何回もこすりながら引っ張ったり緩めたりしたために擦り切れたようだ。

 しかしこれは単なる摩耗ではない。ブラインドを上下させるときに、紐を真下にではなく斜め左下に引っ張れば擦り切れないように出来ている。

 そのことを以前から何度も言っていたが、奥さんはそれができない。紐というものは下に引っ張るものだと信じている。

 その結果が、紐切れとなった。直すのは私の役目。ホームセンターに紐を買いに行き、廊下に座り込んで30分、無事に修理を終えた。

 物を扱うには、その構造をよく理解しておかないと間違った使い方をして壊してしまう。ブラインドのような単純に見えるものでもそうである。

 ましてや人間、思考回路をよく理解して取り扱わないと壊してしまうことがある。私も最近少し壊れたのか、言動がおかしいことがある。しかし壊された方にもそれなりの理由はある。別れるも別れないにも理由がある?
  (写真は、補修を終えた「ブラインド」)

霜降(そうこう)

2008年10月22日 | 季節・自然・植物
 季節は巡り、23日は24節気の霜降(そうこう)となる。北国や山間部で霜が降り始め、朝には草木が白く化粧をするころである。

 そんな天気の良い日、2階の寝室の窓だけでなく網戸まで全開して、奥さんが掃除機をかけた。

 その夜、寝室に入ると冷たい空気が漂っている。掃除の後、窓を閉め忘れていた。国からの冷たい仕打ちに慣れているせいか、冷たい布団に入ってもそれほど冷たいとも思わない。

 ひと眠りしたころ、小さな「ブーン」という羽音が徐々に大きくなり、左の耳元でピタリと止まった。暗い部屋の中で目をつむったまま、左の手のひらで「ピシャリ」と頬をたたいた。

 その後、羽音は止んだ。と思っていたが、しばらくすると又「ブーン」という音がして、今度は右の耳元で止まった。右の手のひらで頬をたたいた。手ごたえはなく、一撃できたかどうかは分からない。

 3度目の羽音が近付いてきた。もう我慢できない。電気をつけてみると3時半だ。階下に降りて蚊取り線香を探し出し、短く折って火をつけると蚊の襲来はなくなった。

 たかが1匹の蚊であるが、寝ていて聞くあの羽音は目が覚めるほどに大きく聞こえる。網戸を閉めなかったばっかりに、眠れぬ夜を過ごしただけでなく、自分で自分の頬に2度も思いっきりビンタを食らわせた。

 間もなく霜が降りようとする時季なのに蚊がやってくるとは、季節も大分ずれてきているのだろうか。

 「世の中に か(蚊)ほどうるさきものはなし 文武といふて夜もねられず」と、文武を奨励する松平定信の寛政改革を皮肉る狂歌がある。

 ひるがえって現在の世の中、「世の中に か(蚊)ほどうるさきものはなし 霞が関改革というて夜も寝られず」か。

 霜降、いや、そうこうしている内に総選挙は近そうだ。
(写真は、何もかもはっきり見えない瀬戸内の「蜃気楼」)

うな重

2008年10月21日 | 食事・食べ物・飲み物
 中国産のウナギに問題があって以来、不信感があってうなぎを食べる気持ちが起きないまま1年近く経っている。

 うなぎ好きの奥さんも、我慢の限界が来たようだ。広島に出かけることがあった。行ってみたいウナギ専門店をあらかじめネットで調べておいた。広島市中区銀山町にある「柳橋 こだに」である。

 昭和22年創業、京橋川にかかる小さな柳橋のたもとでうなぎの卸問屋として営業を始めた。

 昼時であったがひとつ席が空いていて座ることができた。小さな座敷を含めて8卓くらいのこじんまりとした店だ。

 大きな窓の外には、柳の枝越しにゆったりと流れる京橋川が眺められる。柳の下で、どぜうならぬうなぎである。中々いいロケーションだ。

 お昼のメニューは、並み又は上の肝吸い付きのうなぎ定食かうな重である。並みが1735円、上が2310円。一生に一度だと思って「上」と叫んだ。

 待つこと10分、ご飯が見えないくらいうなぎが重なったお重が出てきた。甘みを抑えたタレ、大人向けの味付けを黙っておいしく頂いた。

 周りを見るとお得意さんを接待するやのサラリーマン風の者が多い。お重の模様を見ただけで並みか上かが分かる。

 並みを食べている人が多い。年金受給者の我々二人は上を食べている。目立たないようにそっと食べた。

 しかし一生に1度の贅沢だ。翌日からはまた目刺しと漬物での毎日だ。誰はばかることもなかろう。「ごちそうさま。おいしかった」と言って店を出た。

 久しぶりにうなぎを食べてみた。昔はどこで買っても安心して食べられたのに、今は不安が先に立つ。つかんだと思っても逃げていく「食の安全」、まるでうなぎをつかまえるかのようにぬるりと逃げていく。ただ安心が欲しい。
  (写真は、探して行ってみたうなぎ専門店「こだに」)

暇人も忙しい

2008年10月18日 | 生活・ニュース
 「おい、明後日の昼空いていないか?」。いつも何かと仲間をまとめてくれる同級生から電話があった。

 内容も聞かずにOKを出した。一時期、体調を崩していたが復調した同級生のY君を囲んで昼食会をやろうという。

 駅の近くの静かな洋食屋さんに11時に集合せよとのお達しだ。女気のない4人での会食であった。Y君とは10年ぶりの顔合わせだ。左半身がやや不自由であるが、元気そうであった。

 昼食の注文は11時半からだという。「じゃぁ、それまでは泡の出るやつ」と言って、朝からビールを注文する。

 幼馴染同士、しばらくぶりに出会っても挨拶はいらない。今元気であることに乾杯をした。

 ビールを飲む前、一人が薬を取り出して1粒飲んだ。この年になると出てくる話は決まっている。病気自慢とは言わないが、病気遍歴の話である。

 いろいろあったろうが、少なくとも今日はみんな元気だ。中瓶が3本空いたところでウエイトレスが昼食の注文を取りにやって来た。

 それぞれが体調にあったものを注文する。塩サバ定食、カツカレー、とんかつ定食。久しぶりに会い、話をしながら食べると、いつもよりは食が進む。

 正午、近くのサラリーマンで満員になった店内が、いつの間にやらまた我々4人だけとなっていた。時計を見ると1時ちょうど。

 「今度は、ほかの仲間にも声をかけて、いつかやったように日帰りのバス旅行でも企画しよう」とのリーダーのかけ声に、3人がうなずいて散会した。

 特別の用件もないのに、「お前、暇だろう」と言って誘われた。先日の高校野球の応援もしかり、アジ釣りもしかり。

 最近はこんな他愛無い呼び出しが増えてきた。暇つぶしをするのが、何だか急に忙しくなってきた。
(写真は、暇な時はいつもこの態勢の「暇犬・ハートリー」) 

「散歩嫌いなハートリー」

2008年10月16日 | エッセイ・本・映画・音楽・絵画
 今、わが人生で3冊目の自費出版書「散歩嫌いなハートリー」を、室の木のフタバ図書で販売してもらっている。

 10月1日に発売開始し、今日で2週間が過ぎた。毎回のことながら、強制的にとまでは言わないが、無言の内に圧力をかけて買っていただいている知人には、心から感謝している。

 本屋さんで売ってもらっているのには訳がある。趣味で作った独りよがりのものを、お金を払って買ってくれるような人はまずいない。

 無償で身内や友人・知人に「よろしかったら読んでみてください」と言って手渡しをすることも考えた。

 しかし、渡された方の立場に立って考えてみると、自分が読んでみたいから手に入れた訳ではない。仕方なしに受け取っただけである。

 自費出版書を贈ってもらったとき、興味がなくても読まないわけにはいかない。お礼も考えたり、会えば感想なども言わなければいけない。

 そんなことならいっそのこと本屋さんに置いてもらって、情けもあろうが「読んであげてもまあいいですよ」と言っていただける人にだけ買っていただく。こんなシステムの方が良いのではないかと思ってやっている。

 読んでもらった人から早速苦情の電話がかかってきた。「校正ミスが多いですよ」と。

 著作に始まりすべてを自分一人でやったが、自分がやったことを客観的に校正するという難しさを実感している。今となっては、この件はお許し願うしかない。「ごめんなさい」。

 本屋さんはなぜかいつも私の本を、1歩間違えば落ちてしまいそうな台の端っこに置いてくれる。

 暗に、「崖っぷちですよ」と教えてくれているのだろうか。彩り鮮やかな表紙の多い本の中で、白い何の飾り気もない「散歩嫌いなハートリー」が必死で台にしがみついている。その健気さが我が分身に見えた。
(写真は、一流作家の本と並んだ「散歩嫌いなハートリー)