写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

登場人物

2008年10月25日 | エッセイ・本・映画・音楽・絵画
 新聞の読者投稿エッセイ欄に、ある女性が書いたエッセイが掲載されていた。その書き出しを読んだとき、書いてあることがどうしても理解できなかった。

 「母は晩年、入退院を繰り返した。父が亡くなった時は、母と思われた方もいらっしゃったほど。半年後に母が続いた。『ご主人を見送って逝かれて、夫婦仲がよかった証拠よね』と、……。」と文は続く。

 「母と思われた方」というところが理解できなかった。朝食を食べながら、このエッセイを奥さんに読ませると「母と書いてある人は、お父さんのお母さんのことよ」という。

 前後を読んで判断すればそう読めるかもしれないが、すんなりとは理解しがたい。そうであれば書き方がまずい。「母」と書くのではなく「父の母」と書かないと、そのすぐ後に書いてある「半年後に母が続いた」の文の「母」と混同する。

 登場人物を表現するときには、書き手を中心としての人間関係を書けば分かり易い。このエッセイでは、中心となる人物が「私」なのだから、「父の母」のことを単に「母」と書いたのでは読者は誤解してしまう。

 他人の文章を読む時にはよく気がつくが、自分が書いている時にもよく犯す過ちである。父母や子どもに孫、その友達など多くの人間が登場するようなエッセイを書くときには、人間関係の表現に気をつけたい。

 そうは言いながら、私も家の中では奥さんを呼ぶのに「お母さん!」の連発。「私はお父さんのお母さんではありません!」と言われそうだが、そういう奥さんも何かと指示を出すときには「お父さん!」の連発。

 それがやがては「婆さんや」と「何ですか? 爺さん」となるのだろう。エッセイの中の人物表現くらいのことで、あまり細かいことを言うのはよそう。「なあ、婆さんや」。
(写真は、今紅葉真っ盛りの庭の「花水木」)