新聞の読者投稿エッセイ欄に、ある女性が書いたエッセイが掲載されていた。その書き出しを読んだとき、書いてあることがどうしても理解できなかった。
「母は晩年、入退院を繰り返した。父が亡くなった時は、母と思われた方もいらっしゃったほど。半年後に母が続いた。『ご主人を見送って逝かれて、夫婦仲がよかった証拠よね』と、……。」と文は続く。
「母と思われた方」というところが理解できなかった。朝食を食べながら、このエッセイを奥さんに読ませると「母と書いてある人は、お父さんのお母さんのことよ」という。
前後を読んで判断すればそう読めるかもしれないが、すんなりとは理解しがたい。そうであれば書き方がまずい。「母」と書くのではなく「父の母」と書かないと、そのすぐ後に書いてある「半年後に母が続いた」の文の「母」と混同する。
登場人物を表現するときには、書き手を中心としての人間関係を書けば分かり易い。このエッセイでは、中心となる人物が「私」なのだから、「父の母」のことを単に「母」と書いたのでは読者は誤解してしまう。
他人の文章を読む時にはよく気がつくが、自分が書いている時にもよく犯す過ちである。父母や子どもに孫、その友達など多くの人間が登場するようなエッセイを書くときには、人間関係の表現に気をつけたい。
そうは言いながら、私も家の中では奥さんを呼ぶのに「お母さん!」の連発。「私はお父さんのお母さんではありません!」と言われそうだが、そういう奥さんも何かと指示を出すときには「お父さん!」の連発。
それがやがては「婆さんや」と「何ですか? 爺さん」となるのだろう。エッセイの中の人物表現くらいのことで、あまり細かいことを言うのはよそう。「なあ、婆さんや」。
(写真は、今紅葉真っ盛りの庭の「花水木」)
「母は晩年、入退院を繰り返した。父が亡くなった時は、母と思われた方もいらっしゃったほど。半年後に母が続いた。『ご主人を見送って逝かれて、夫婦仲がよかった証拠よね』と、……。」と文は続く。
「母と思われた方」というところが理解できなかった。朝食を食べながら、このエッセイを奥さんに読ませると「母と書いてある人は、お父さんのお母さんのことよ」という。
前後を読んで判断すればそう読めるかもしれないが、すんなりとは理解しがたい。そうであれば書き方がまずい。「母」と書くのではなく「父の母」と書かないと、そのすぐ後に書いてある「半年後に母が続いた」の文の「母」と混同する。
登場人物を表現するときには、書き手を中心としての人間関係を書けば分かり易い。このエッセイでは、中心となる人物が「私」なのだから、「父の母」のことを単に「母」と書いたのでは読者は誤解してしまう。
他人の文章を読む時にはよく気がつくが、自分が書いている時にもよく犯す過ちである。父母や子どもに孫、その友達など多くの人間が登場するようなエッセイを書くときには、人間関係の表現に気をつけたい。
そうは言いながら、私も家の中では奥さんを呼ぶのに「お母さん!」の連発。「私はお父さんのお母さんではありません!」と言われそうだが、そういう奥さんも何かと指示を出すときには「お父さん!」の連発。
それがやがては「婆さんや」と「何ですか? 爺さん」となるのだろう。エッセイの中の人物表現くらいのことで、あまり細かいことを言うのはよそう。「なあ、婆さんや」。
(写真は、今紅葉真っ盛りの庭の「花水木」)
岩国基地の中の花水木は、寒そうな感じでしたよ。
エッセイでも、会話でも、主語が大切ですね。
PS。腹話術のけんちゃんは、持ち主の所に帰りました。
残念。金子みすずの詩を教えてもらいました。また、披露しますね。
『父が亡くなった時は、(母のことを父の)母と思われた方もいらっしゃったほど。』と無理に読めなくもないですが、これでは母がすっかり老けこんだという意味になり、あえてここで言う必要もなさそうです。
『入退院を繰り返した』、『半年後に母が続いた。ご主人を見送って逝かれて、夫婦仲がよかった証拠よね』という表現との繋がりを考えると、前者の解釈の方が自然では?
全文読んだわけではないので誤解釈かもしれませんが、新聞社もチェックしているはずなのでおかしな文章はないでしょう。
alabama先生の解釈に賛同・常識的では・・・。
”父の母”は飛躍しすぎでは・・。
日本語は難しいですね。
ご指摘ありがとうございました。
編集の方の、チェックは有ったのでしょうが、チョット不親切な文章だと思います。
「エッセイの中の人物表現くらいのことで、あまり細かいことを言うのはよそう」は、基本的に同感ですが、最近は丸くなりすぎてコダワルこともなくなってますので、議論に参加させて頂きました。
「改札口」に遅れて、コメントしましたが、一度見てください。
先日の例会で、読者に疑問を持たせるのは良くないというお話がありました。すんなり読めるのが一番ですね。
私はややこしい文章を書くのが苦手なので、なるべく登場人物は少なくしています。
彼女はご両親が続いて逝かれたとき、それまで豪放磊落とも思えたSちゃんが、なかなか立ち直れない様子に私は心を痛めていました。
それなのに、このエッセイは、2.3回読み直してしまいました。やっぱり1回ですんなり理解できる文章が大事ですね。自分で書くことが一番なのでしょうが、他の人の作品を読むことも大切だと思いました。
地区交流会も楽しい学びのときでした。そのうちにアップします。
この文章、すんなりとは読めないように思います。一つの文章で、いろいろな読み方ができるのはやはりまずいでしょうね。いつも他人には厳しいロードスターです。元気でやっていますね。また。
定例会で投稿原稿を読んでください。