写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

完売目前

2007年02月23日 | 生活・ニュース
 パソコンを置いている机の上は、色々な書類が山になっている。それを整理していたら、下のほうからNTTの封筒が出てきた。

 携帯電話の料金支払いの督促状が入っている。あわてて近くにあるドコモショップへ支払いに出かけた。

 店を出たとき、高校時代仲の良かった男とばったり出会った。近況を報告しあっていたとき、「新聞で、君のエッセイをいつも読んでいるよ」という。

 その言葉に釣られて、「そこの本屋で、自費出版した本を並べてもらっているから、いつか立ち読みでもしてくれよ」と話した。

 「おっ、一緒に行ってみよう。連れて行ってくれよ」と言われ、連れ立ってすぐ近くにある本屋に入った。

 並べてある所に案内をした。男は、重ねて置いてある3冊の中の1冊をとってレジに持っていった。私はこそばゆく感じながら、少し離れた所で待っていた。

 自分の目の前で、自分が出版した本を買ってもらうのを初めて見た。本を買うということは、一体どういうことなのか。

 電気製品・食料・衣料など生活に役立つ形あるものを買うのとは違い、大げさに言えば、本は知識のみならず、心の肥やし・癒し・安定剤を買うとでも言えるのだろうか。

 そんな類のものとして私の出した本を買ってくれることに対し、何か申し訳ないような気持ちになったが、ありがたく嬉しい。

 このたびは100冊出版し、図書館や知人に30冊寄贈した。残り70冊を書店に並べてもらったが、丁度1ヶ月経った昨日現在で、残りわずか2冊になっている。

 まさか、こんなに買っていただけるとは思ってもみなかった。義理チョコならぬ義理で買っていただいた方には、ただ「申し訳ありません」と言うしかない。

 すでに読んでいただいた方からの声も聞こえ始めている。励ましあり、意見あり、叱咤ありである。

 その内、この本を買っていただいた方の「被害者の会」なんぞが立ち上がるようなことがないよう、ひとり静かに祈るばかりである。

 そう考えると「行くぞ! ハートリー」は「自費出版」というよりは、皆さんの情けにすがる「慈悲出版」と言ったほうが良いかもしれません。
  (写真は、出版本とその原稿本)

白壁と川のある町

2007年02月21日 | 旅・スポット・行事
 会社の先輩と私との3組の夫婦で、早春の大島へ1泊2日の温泉旅行に行った。遅くまで飲んで食べて歌った翌日は、前日までと打って変わっての快晴となった。

 ゆっくりとした朝食を終え、タウン情報で知っていた柳井の町へ向かった。2月15日から3月31日まで「ひなめぐり」という行事が開催されている。

 パンフレットに「おひなさまを見ながら、今と昔をおさんぽしましょ」と書いてある。

 室町時代からの町割が今も生きていて、約200mにわたり江戸時代の商家の町並みが続いている白壁通りでは、今と昔のおひなさまを22ヶ所で展示している。

 月曜日のお昼前、我々6人以外、通りを歩く人は誰もいない。1軒づつ、ゆっくりと丁寧に内裏様の顔を眺めて歩いた。

 一通り見物したあと、人ひとりがやっと通れるくらいの狭い路地を抜けて駐車場に向かっていた時、原稿用紙に似せた大きな板に白い文字で何かが書いてあるのを見つけた。

 「 ー松本清張が見た 柳井の風景ー
 珍しい町の風景だ。近年、こういう古めかしい場所がだんだん少なくなっている。世に有名なのは、伊豆の下田と備中の倉敷だが、ここにもそれに負けないような土蔵造りの家が並んでいる。

 歩いている人間も静かなものだし、店の暗い奥に座っている商人の姿も、まるで明治時代からその習慣を受けついでいるような格好であった。横町を歩くと川に出た。川面には向かい側の白壁が逆さまに映り、民芸風になっていた。
  『果実のない森』から  ”白壁と川のある街”より」
 
 この柳井の街に、あの松本清張が来たことがあったのを知った。近くに住んでいても、この街の良さを知らない人は結構いそうだ。

 私の住んでいる岩国も古い町並みがあったのに、残念ながら柳井の街ほどきれいに保存されていない。

 何がその差を生んだのか、今からでもまだ遅くはないと思いながら、手の行き届いた静かな佇まいの白壁の町を離れた。

印刷用紙

2007年02月20日 | 生活・ニュース
 先日自費出版した「行くぞ! ハートリー」を初めて手にし、ページをめくっていて気がついたことがあった。

 本の表紙のデザインや体裁のことではなく、原稿の文字のことである。ワープロで20数万字の量のものの編集を終え、エプソンのプリンターで印刷をした。

 それを持って印刷屋に行くと、その原稿を写真にとって印刷用の原版を作り、印刷していく。

 原稿を再加工していくたびに、文字の形は少しずつだが崩れて不明瞭になる。出来上がった本を開き、あるページをめくったとき、黒い塊のような字をいくつも見つけた。

 例えば「裁断機」というように字画の多い字がある。原稿では、字の中に辛うじて隙間を認めることが出来たにもかかわらず、本にすると隙間は少なくなり黒い塊に見える。

 プリンターの性能が悪いからとばかり思っていた。判読出来ないほどのことではないが、見た目が良くない。

 今度同じように本を出すときには、もっと性能のいいプリンターに買い換えようと思っていた。

 ところが今日、プリンター用紙を買いに行った時、はたとあることに気がついた。「細かな文字もシャープに再現」「特殊表面処理によりニジミを防ぐ」と表示した用紙を見つけた。

 大きく「高画質マット用紙・スーパーファイングレード」と書いてある。これを買って帰り、印刷のテストをしてみた。

 本の原稿にした用紙と印刷の出来栄えを比較してみると、驚いたことに雲泥の差がある。字画の多い文字でも、滲むことなく1画1画がしっかりと印刷されている。

 この用紙に印刷して出版すればよかった。今回購読していただいた方には申し訳なかったが、こんなことを初めて知った。

 後悔先に立たずではあるが、ひとついい知恵がついた。素人出版の用紙にまつわる失敗談ではあったが、ヨーシ、今度はうまくやるぞ~。
(写真は、左から、「出版本・本の原稿・マット用紙に印刷したもの」)

神籠石(こうごいし)

2007年02月18日 | 旅・スポット・行事
 昨日(2月17日)、光市の石城山の麓の町で「神籠石サミット」というものが開催され、雨の中講演を聴きに行った。

 神籠石とは、巨石を1列の帯状に並べて、山の中腹から8合目当たりをはち巻き状に取り囲んでいる古代の大土木工事の遺跡のことである。

 九州北部から瀬戸内沿岸にかけて分布し、国の文化財として史跡に指定されている。

 標高362mの石城山の頂上近辺には、総延長2533mにわたってこの大規模な巨石の列が連なっている。

 明治の末期に発見され、それまで、九州にしか存在しないとされていたものが本州でも発見されたので注目される所となった。

 この列石は、「神域説]と「山城説」で論議されているが、形状などが朝鮮式山城に類似していることから、現在では、山城説が有力だと説明された。

 7世紀末に構築されたと推定されているが、何のために、誰が、何時ということは今なお明らかにされていない。

 「神籠石サミット」は、文化財保護意識の高揚、「神籠石」を活用した地域づくり、文化財の保存・整備・継承を図ることを目的に開催された。

 私は、今まで何度も頂上まで車で上がり、遊歩道を散策してこの遺構を見たことはあった。一見、高さの低い普通の石垣だとばかり思っていた。

 こんな歴史的文化遺産が近くにあったとは。何も知らずに何度も登っていた。夢とロマンのあるこの史跡、今度は違う目でじっくり見てみたい。

 石城山は、山陽本線田布施駅の北3kmのところにある独立峰で、車で頂上まで登ることが出来、瀬戸内の見晴らしも良い。

 皆さんも、この「神籠石(こうごいし)」の今後を、コウゴキタイ!
  (写真は、石城山のロマン溢れる「神籠石」)

シロウオ漁

2007年02月17日 | 季節・自然・植物
 数日前の新聞記事に、錦川の下流・今津川でシロウオの四手網漁が2月10日に解禁されたと報じられていた。

 四手網漁とは、竹竿で張った四角の大きな網を水面下に沈めておき、海から団体で遡上してくるシロウオを、一網打尽にすくい上げる捕り方だ。

 シロウオにとっては寝耳に水、いや初めから耳には水が入っているのだろうから、寝耳に空気の災難とでもいうような漁法である。

 夕方、本屋に行っての帰り、自転車に乗って今津川に行ってみた。寿橋の上流に、1基四手網のやぐらが建っていた。

 干潮だったので水深はなく、漁師はいない。下流を見ると、新寿橋との間にもう1基やぐらが見える。

 川の中州近くでは、水鳥が活発に動き回っている。毎年、ほとんど変わらぬ同じ光景である筈なのに、この季節になると1度は見に行きたくなる今津川の風物詩である。

 しかし、ここ3年間は、年々水揚げが減少しているという。毎年、ごく少量パックに入った活きたシロウオを買って早春を味わっているが、今年は果たして私の口に回ってくるほど捕れるのか。

 内臓が外から見えるほど透き通った身体と、黒くつぶらな瞳を見ていると、私は口の中で跳ね回る躍り食いなんぞはどうしても出来ない。

 もともと、シロウオは食すものではなく、桶で泳がせ、本当は目で見て自己を反省するためのものなのかもしれない。

 腹の中まで全部見せてくれるあの透明性、世の政治家先生にとくとお見せしたい気がする。
  (写真は、今津川に建てられた「四手網」)