1月の末の寒い朝、2日続いて外の水鉢に氷が張った。厚さを測ってみると4~5mmあった。前夜の天気予報では翌日(2月2日)は、雪が降ると伝えていた。
案の定、日は出ていたが寒い朝だった。いつものように、人差し指で鉢の氷を突いてみたが簡単には割れない。
げんこつを作って、気合を入れて割ってみた。断面を見ると、1cmを超える厚さがあった。こうでなくっちゃ冬とはいえない。寒いけれども、嬉しい気持ちになる。
外出していて丁度12時になったと思ったとき、北の方から雪が舞い降りてきた。やがて城山の頂あたりが、真っ白になるほどの雪に変わった。
首をすくめて家に戻り、トイレのドアを開け入り口にある電球のスイッチを入れたとき、一瞬ピカッと光ったと思ったら、白熱電球が切れて真っ暗になった。
我が家のトイレは3/4坪の広さがあるが窓がない。電球が切れると真っ暗闇となるので、100Wのものがついている。
家は狭いが、せめてトイレくらいは少し広く快適にという考えで設計された。その頼みの電球が切れてしまった。
納戸に入り買い置きを調べて見たが、60Wのものしかない。とりあえずそれを取り付けて用を足した。
トイレは、そんなに長居をする場所ではないが、それまでの明るさに比べると格段の違いだ。明るさというよりはむしろ暗さを感じる。
むかし、まだ蛍光灯もない幼い子供の頃、6畳の茶の間の団欒の明かりは、確か60Wの電球だったと記憶している。
その時代に比べると、今は3/4坪の、本を読むわけでもないトイレに100Wの電球をつけていた。
これを贅沢だ、無駄だ、エネルギーの浪費だと言えなくもないが、逆に、こんな場所だからこそ気持ちよく、汚れにも直ぐに気がつくようにひときわ明るくという発想が、我が家の設計者にあったのかもしれない。
あまり深く考えることなく、建築当初の仕様のまま今日に至っている。直ぐに100Wの電球を買いに行き取り替えた。
やはりこの方が気持ちよい。用がすんなりと足せるような気がする。しかし異常に暖かい冬、地球温暖化が叫ばれている今、60Wの電球は納戸に片付けることなく、まだテーブルの上に置いている。
(写真は、100W 白熱灯相当の明るさの「60W蛍光灯」)
案の定、日は出ていたが寒い朝だった。いつものように、人差し指で鉢の氷を突いてみたが簡単には割れない。
げんこつを作って、気合を入れて割ってみた。断面を見ると、1cmを超える厚さがあった。こうでなくっちゃ冬とはいえない。寒いけれども、嬉しい気持ちになる。
外出していて丁度12時になったと思ったとき、北の方から雪が舞い降りてきた。やがて城山の頂あたりが、真っ白になるほどの雪に変わった。
首をすくめて家に戻り、トイレのドアを開け入り口にある電球のスイッチを入れたとき、一瞬ピカッと光ったと思ったら、白熱電球が切れて真っ暗になった。
我が家のトイレは3/4坪の広さがあるが窓がない。電球が切れると真っ暗闇となるので、100Wのものがついている。
家は狭いが、せめてトイレくらいは少し広く快適にという考えで設計された。その頼みの電球が切れてしまった。
納戸に入り買い置きを調べて見たが、60Wのものしかない。とりあえずそれを取り付けて用を足した。
トイレは、そんなに長居をする場所ではないが、それまでの明るさに比べると格段の違いだ。明るさというよりはむしろ暗さを感じる。
むかし、まだ蛍光灯もない幼い子供の頃、6畳の茶の間の団欒の明かりは、確か60Wの電球だったと記憶している。
その時代に比べると、今は3/4坪の、本を読むわけでもないトイレに100Wの電球をつけていた。
これを贅沢だ、無駄だ、エネルギーの浪費だと言えなくもないが、逆に、こんな場所だからこそ気持ちよく、汚れにも直ぐに気がつくようにひときわ明るくという発想が、我が家の設計者にあったのかもしれない。
あまり深く考えることなく、建築当初の仕様のまま今日に至っている。直ぐに100Wの電球を買いに行き取り替えた。
やはりこの方が気持ちよい。用がすんなりと足せるような気がする。しかし異常に暖かい冬、地球温暖化が叫ばれている今、60Wの電球は納戸に片付けることなく、まだテーブルの上に置いている。
(写真は、100W 白熱灯相当の明るさの「60W蛍光灯」)