写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

捏造

2007年02月01日 | 生活・ニュース
 ブログを書き始めて2年と2ヶ月が経った。初めの1年分を編集して、生まれて始めての自費出版をしてみた。

 誰も読んではくれない本ではあるが、私にとっては出来の悪い子を見るようで、他人には理解してもらえないが、愛しさはひとしおである。

 今日もそれを手にとり、ぱらぱらとめくってみた。350篇の短いエッセイを収録している。その目次一覧を眺めていて、あることに気がついた。

 どうも自虐や自分を嘲笑するネタが多い。奥さんや罪のないハートリーまでもがその被害者になっている。

 こうして考えてみると、私の身辺には、失敗・挫折・勘違いなどの笑いにつながる出来事が多いのかもしれない。

 時には小さくてもいい、人様に自慢するようなことも書いてみたいと何度も思ったが、そんなネタはトンと見つけることが出来ないまま今日に至っている。

 しかし、読んだり聞かされたりする逆の立場に立ったとき、この自慢話ほど聞きづらいものはない。その恩恵にあずかることが何もない時は、なおさらだ。

 逆に、他人の失敗談ほど面白く心地よい話はない。心の底から笑える話がいい。それも、明るく笑える話がいい。

 そう理解しながらブログに向かっているが、この田舎に蟄居していては毎日、そんなに楽しくおかしい話題は転がっていない。

 仕方なく、自らがちょっとずっこけてみて、それを書くしかないのかと思ったが、そんなことをしたのでは、「やらせだ」やれ「捏造だ」との、どこかで聞いたことのある言葉が頭をよぎる。

 某省庁や某テレビ局の気持ちが分からなくもないが、私のブログとは次元が違い、その影響力には雲泥の差がある。

 いや、影響力ではなく、嘘はいけないという単純なことである。何もない日は何も書かない。私はこれで行くしかないという結論に達した。

 テレビでは「今日は番組お休みします」とはいかないのか。番組製作者の悩みも分かるような気がするが、テレビも、捏造するくらいなら休んだ方がいいと思うがどうだろう。
   (写真は、捏造ならぬ国際雪像コンクールの「せつぞう」)