ブログに写真エッセイを載せ始めて、4ヶ月近くになる。さしたる
メインテーマがあるわけでもなく、その日その日の思いつきを書い
て、序の3日が過ぎ、次の山3ヵ月も越した。
読んで頂いている皆さんに、直接関係ない私事を長々と書くのも
どうかなと思い、短くて・気の利いたものを書こうと心がけている。
しかし、毎日そんなにうまくまとまる筈が無い。主張も無く、単な
る情景描写で終わったものも沢山ある。まあ、それもいい。
こんなことを始めて、気がついたことがある。書くということは、
観たり聴いたりしたことをどう感じたか、文字で表現することである。
従って、5感をフルに働かせることによって初めて書くことが出来る。
漫然としていたのでは気がつかないものを、注意深く観、聴き、嗅ぎ、
味わおうとする姿勢から始まる。
そういう意味で、書くということは、文才ではなく感性と言える。
感じる心がないと言葉は何も出てこない。
であれば、その感性を磨くにはどうすればいいのか。それが今の
私の問題である。今日のエッセイはこれでひとまず「完成!!」
(写真のグラフは、昨年末からの当ブログへのアクセス数の伸び率推移
横軸単位:週、縦軸単位:%、現在は昨年末の2.5倍に増加)
メインテーマがあるわけでもなく、その日その日の思いつきを書い
て、序の3日が過ぎ、次の山3ヵ月も越した。
読んで頂いている皆さんに、直接関係ない私事を長々と書くのも
どうかなと思い、短くて・気の利いたものを書こうと心がけている。
しかし、毎日そんなにうまくまとまる筈が無い。主張も無く、単な
る情景描写で終わったものも沢山ある。まあ、それもいい。
こんなことを始めて、気がついたことがある。書くということは、
観たり聴いたりしたことをどう感じたか、文字で表現することである。
従って、5感をフルに働かせることによって初めて書くことが出来る。
漫然としていたのでは気がつかないものを、注意深く観、聴き、嗅ぎ、
味わおうとする姿勢から始まる。
そういう意味で、書くということは、文才ではなく感性と言える。
感じる心がないと言葉は何も出てこない。
であれば、その感性を磨くにはどうすればいいのか。それが今の
私の問題である。今日のエッセイはこれでひとまず「完成!!」
(写真のグラフは、昨年末からの当ブログへのアクセス数の伸び率推移
横軸単位:週、縦軸単位:%、現在は昨年末の2.5倍に増加)