節分、人並みに「豆まき」なんぞで一席。私が幼少のみぎり、我が家でも豆まきをやっていた。土間のかまどの上のホウロウで、母が大豆を炒ってくれる。
「20の扉」か「3つの歌」か「君の名は」かは忘れたが、ラジオを聴きながらの食後の団欒が終わった頃、豆まきを始めた。破った新聞紙に炒った豆を少し入れて丸め、いくつか持って表に飛び出す。家の近くにある暗い道の角々に、ひとつづつ投げて帰って来る。
もちろん、家の中でも「鬼はそとー」とまいたが、外に出て、しかも道の角に向って投げてきた思いでは鮮明だ。でも、何故道の角なのかは今もって知らない。子供の頃はどう理解して走っていったのだろう。
翌朝、学校に行く道すがら、同じように道の角にばらまかれた豆を見つけた。その頃は同じ発想の人が周りに沢山いたのだろう。しかしこのごろ、道の角に吸殻は落ちていても豆はない。あの風習は一体何だったのだろうか。
「立春のたまご」と同じように、この季節になるといつも思い出す「節分の豆」の話である。
(写真は、働き者の「豆自動車」)
「20の扉」か「3つの歌」か「君の名は」かは忘れたが、ラジオを聴きながらの食後の団欒が終わった頃、豆まきを始めた。破った新聞紙に炒った豆を少し入れて丸め、いくつか持って表に飛び出す。家の近くにある暗い道の角々に、ひとつづつ投げて帰って来る。
もちろん、家の中でも「鬼はそとー」とまいたが、外に出て、しかも道の角に向って投げてきた思いでは鮮明だ。でも、何故道の角なのかは今もって知らない。子供の頃はどう理解して走っていったのだろう。
翌朝、学校に行く道すがら、同じように道の角にばらまかれた豆を見つけた。その頃は同じ発想の人が周りに沢山いたのだろう。しかしこのごろ、道の角に吸殻は落ちていても豆はない。あの風習は一体何だったのだろうか。
「立春のたまご」と同じように、この季節になるといつも思い出す「節分の豆」の話である。
(写真は、働き者の「豆自動車」)