写真エッセイ&工房「木馬」

日々の身近な出来事や想いを短いエッセイにのせて、 瀬戸内の岩国から…… 
  茅野 友

豆まき

2005年02月03日 | 季節・自然・植物
 節分、人並みに「豆まき」なんぞで一席。私が幼少のみぎり、我が家でも豆まきをやっていた。土間のかまどの上のホウロウで、母が大豆を炒ってくれる。

 「20の扉」か「3つの歌」か「君の名は」かは忘れたが、ラジオを聴きながらの食後の団欒が終わった頃、豆まきを始めた。破った新聞紙に炒った豆を少し入れて丸め、いくつか持って表に飛び出す。家の近くにある暗い道の角々に、ひとつづつ投げて帰って来る。

 もちろん、家の中でも「鬼はそとー」とまいたが、外に出て、しかも道の角に向って投げてきた思いでは鮮明だ。でも、何故道の角なのかは今もって知らない。子供の頃はどう理解して走っていったのだろう。

 翌朝、学校に行く道すがら、同じように道の角にばらまかれた豆を見つけた。その頃は同じ発想の人が周りに沢山いたのだろう。しかしこのごろ、道の角に吸殻は落ちていても豆はない。あの風習は一体何だったのだろうか。

「立春のたまご」と同じように、この季節になるといつも思い出す「節分の豆」の話である。
   (写真は、働き者の「豆自動車」)

錦川沈下橋

2005年02月03日 | 旅・スポット・行事


 風が強く寒い日、車で187号線を走り錦川をさかのぼって行った。目当ては、細利というところに架かっている沈下橋である。

 錦川清流線の南河内駅に近く、普通に国道を走っていたのでは気がつき難い。民家の間の細い路地を下ったところにある。

 この橋を渡ってみたくなることが時々ある。幅は広く、大型トラックでも充分余裕を持って通ることが出来る。

 しかし欄干が無く、速い川の流れを真下に見ながら渡るのは結構スリルがあり緊張する。橋上で車同士の離合は出来ないが、こんな寒い日に出会う車はいない。

 渡りきってから広場に車を止め、振り返ってみる。時には濁流の中に沈み込み、流れに大きく逆らうことはない。華奢な構造でありながらもしたたかに踏ん張っている。

 そんな姿に自分の人生をを重ねてみたが、どうもうまく重ならない。今度は、名の通りの「沈んだ姿」を見に行きたい。
    (写真は、細利の「沈下橋」)