まつたけ山復活させ隊運動ニュース

 松茸は奈良時代から珍重されてきたが、絶滅が心配される.松茸山づくりは里山復活の近道であり里山の再生は松茸復活に繋がる.

まつたけ十字軍運動NEWSLETTER232 号

2007年08月23日 |  マツタケの林地栽培 
マ ツ タ ケ 考―1―


はじめに
マツタケがいつから日本に発生していたのかはっきりしない.キノコについては日本書紀(720年成立)に、茸(タケ、クサビラ)のことが記されているが、たとえばヒラタケなどなどかマツタケなどであるのか、今では知るよしがない.

マツタケを好む民族は日本人.やはりマツタケの産地である韓国では慶州(Gyeongju)の人はマツタケを好むといわれるが他は興味を示さない.中国の雲南では、キノコ炒めに利用される.ヨーロッパ、アメリカ人、アフリカ人も香りを嫌うようだ.
しかし、今は、各地の日系人や在住日本人が松茸に特別な気持を抱いて探し求めたことによって、結構現地の人たちも食べるようになっているも事実である.

マツタケの産地は、日本、朝鮮半島、中国、ブータン、トルコ,モロッコ、アルジェリア、スペイン、スゥエーデン、フィンランド、北米大陸などである.
マツタケの宿主は日本においては、アカマツ、クロマツ、ハイマツ、エゾマツ、ツガ,コメツガ、ヒメコマツなどであるが、台湾ではタイワンアカマツやタイワンツガ、朝鮮半島ではアカマツやチョウセンゴヨウ、アメリカではダグラスファー、ツガの仲間やコントルタマツ、地中海沿岸ではレバノンスギ、ヨーロッパではマツの仲間である.そのほか、広葉樹をホストにするマツタケが日本にもある(森の生態史:古今書院).

日本では、まつ-たけと言うように松と茸という両生物をセットで考えている.(英語圏ではMatsutake Fungi とかMatsutake Mushroomと表現:学名はTricholoma matsutake (S. Ito et Imai) Sing.マツタケの生活史は、アカマツなど宿主(寄主)になるマツ科の植物がないと完結しない.マツタケには適切なホストが必要であるが、その逆は成り立たない.すなわち、アカマツはマツタケを必ずしも必要としない.アカマツのパートナーは、それをホストとするマツタケモドキ、シメジ類、テングタケの仲間、イグチ類、クロカワなど多種多様のキノコのどれでもいいらしい.

アカマツは西暦500年頃に増える
日本で、マツタケの生産量の多い宿主はアカマツであり、日本のマツタケはアカマツの存在抜きには考えにくい.
花粉分析によると、日本にマツ属の花粉が急増した時期は、500年頃と考えられている(長野県野尻湖、大阪府羽曳野市(1)).奈良時代になると、照葉樹林の活用が激しさを増し、アカマツ林が、内陸の山の尾根筋に侵入したであろう.その林に、マツタケは発生し、まつたけ狩りの様子が万葉集にうかがえる(高松のこの峰もせに笠立ててみち盛りたる秋の香のよさ.万葉集2233 巻第十秋 雑歌).
平安時代にもなると、飛躍的に人口が増加し、寺院や住居、道具のための材や毎日の薪・柴や肥料としての刈敷や落ち葉などの需要も多くなった.そのために、平安京周辺の原生林が破壊されアカマツが都周辺にも登場し、マツタケも増えてきた.しかし、当時の平安京周辺の山には、ほとんど木がなく、公家達も入浴がこの上ない贅沢であったことから見ると、マツタケの発生量は少ないだろう.

平安末期~室町時代になると、天皇や公家がまつたけ狩りを楽しみ、盛んに贈答しあっている(三条実房 愚昧記; 藤原定家 明月記).徒然草(吉田兼好、14世紀の初め)に、「こい、きじ、松茸などは御湯殿の上にかかりたるもくるしからず、その外は心うきことなり」とあって、マツタケが高級食材であることがうかがえる.いま、外国産が大量に輸入されいるが、国内産まつたけの商品価値が下がらないという不思議な食べ物は他にない.
関白近衛政家公は、「1467年9月28日宇治に行って椎の実を拾わせてまつたけをとったが、大層面白かった」.一献かたむけて夕方帰参した」とある.応仁の乱の最中である、いつの世も実際に戦うのは「庶民」ばかりなのか.10月11日にも紅葉狩りに出かけて「余以外みな泥酔.正体も無く前後覚えなし(後法興院日記)」とある.

秀吉も伏見の稲荷山でまつたけ狩りを大いに楽しんでいる(翁草).江戸時代も、“下郎の口にはかなわない”しろものであったが、京都の錦小路にまつたけの市がたち、町衆が買っていたようである(本朝文鑑、支考編).与謝蕪村に言わせると “松茸や食ふにもおしい遣るもおし”いものであったようだ.

明治以後の砂防工事によって、はげ山からマツ林が復活し (千葉徳爾;はげ山の研究)、生産量が増えたであろう.時代が下がって、昭和10-20年代には、マツタケが「蹴飛ばすほど生えた」とか言われたが、昭和16年(1941)の12,222tの生産量を最高に、昭和35年(1960)頃からその生産量が減少している.2000年代の生産量(92t/年)は、1930年代(7582t/年)の82分の1である.

全国的なアカマツの枯損
全国のアカマツ林も、昭和30年代までは元気だったが、今は、放置されて、アカマツは林の構成樹種との競争に喘いでいる.それに追い討ちを掛けるように、マツノザイセンチュウ病によるアカマツの枯損が激しい.

その被害は,太平洋側では岩手県南部まで、日本海側では青森県を窺うところまで進んでいる.現在の国産マツタケ主産地は、中国地域であるが、このままでは近い将来、長野県・岩手県にその主産地が移る可能性がある.
しかし、被害激甚地でも、アカマツ林の復活が見られるので、今後のアカマツ林の手入れが望まれるところである.中国地域や京都府郡部や石川県珠洲市にもアカマツの枯損が激しい地域だが、アカマツ林に手を入れることによって枯損をまぬかれた美林がある(2).これは大きな教訓である.

岩手県岩泉町のアカマツ林の例
東北地域にアカマツ林が広がるのは、江戸時代後半から明治に入ってからだそうである(1).大正初めの盛岡の絵地図を見ると、山の上はアカマツで、麓にはスギがある.
現在、岩泉町の面積は、約1000km2で、その93%を森林が占める.アカマツ林は、天然アカマツ林(5,000ha)と人工アカマツ林(13,000ha)で構成され、岩泉町の森林の19%(除く国有林:5000ha)にあたる.

岩泉町は昔、たたら式製鉄(鉄1tをつくるために、木炭14t=薪50tが必要)、林業や炭焼きあるいは牧畜が盛んだった.炭を焼くために莫大な樹木を切ったであろうし、もちろん、農用林や薪炭生産林としての利用も比較的最近までなされていた.少なくとも昭和30年代初めの頃まで、岩泉町のアカマツ林面積は今よりも大きく、生長量も森林機能もより大であったと想像される.もちろん,マツタケの発生量は,今と比べて比較できないほど多いはずである.ただ,輸送手段に事欠いたと言われる.

しかし,マツノザイセンチュウの害は無いが,多くのアカマツ林は適当な手入れがなされてないため、林内の立木密度が徐々に増え、林内は薄暗く、湿潤になり過ぎ、腐植層の堆積も多い.アカマツ林として維持されにくい環境にある.このままでは、ここでも、アカマツは無くなることになる.

アカマツ林は放置されると無くなる
アカマツ林は遷移林(2次林)であり、人の手が入らず放置されると、その土地のクライマックス林にとって代わられる運命にある.西日本では照葉樹林に、東北地域ではブナ林やミズナラ林に必ず遷移することを意味する.

放置されたアカマツ林内は、広葉樹の立木密度が増加してうす暗く、地表に落葉や腐植が堆積し、アカマツ林土壌は富栄養化する.このようなアカマツ林土壌には、乾燥土壌とは異なる微生物が多くなり、微生物との競争に弱いマツタケは生活しなくなる.もちろん、他の菌根性のキノコの発生も少なくなるし、発生する種が交代する.

また、腐植層が堆積し過ぎると、アカマツの細根が腐植層に伸長し、褐色森林土壌中に細根が少なくなる.また、夏期の少雨期に、腐植層は極端に乾燥するため、アカマツは水分ストレスで樹勢が弱る.マツタケは褐色森林土壌内部(深さ30cmくらいまで)に生活するキノコであり、腐植層のなかでは生活できない.

菌根性のキノコは樹木の生長に大きな役割を持っているがそれを期待できなくなる.ガラス容器内で、菌根性のキノコを感染させないと,樹木の苗の生長が明確に悪くなる.放置林ではいわゆる森林機能も落ち、病気にも弱くなってくる.

人がマツタケの発生を減らした
マツタケ生産量激減の原因は、高度経済成長による私達の生活や農業や林業の大きな変化=近代化にある.開発による生息地の減少とアカマツ林の放置による生息地の変質である.

昔、前述のように、人は、材木や炭の材を得るために、また、毎日の煮焚き物用の薪や柴をあるいは緑肥を採取するために、森や林を活用したのである.これによって山を、健全に維持し続け、常に生長する林をつくりあげてきたといえる(里山林(2)).

言い換えれば、以前は山菜やきのこが生える山に山を育てておいて(栽培)、それらを採りに出かけたのである.人は,山菜やキノコを山に繁殖させることが山づくりに繋がることを理解していたのであろうか.

その里山も宅地やゴルフ場に転用され、また,アカマツはパルプ材になった.アカマツ林面積が減少したこともマツタケ発生量の減少の原因のひとつである.今は、山菜やきのこを採るためにだけ人は山に入る.
森林を放置しておよそ50年になるが、最近、樹木の生長を助ける様々なキノコの発生量が減っている.山を活用しなくなったために,菌根性のキノコが生育できない土壌条件になっているのである.

富栄養化したアカマツ林土壌には、糸状菌、細菌、放線菌やそれらをエサとするセンチュウなどの微生物数がマツタケの発生するアカマツ林土壌のそれと比べると非常に多くなっている(5).このことは微生物との競争に弱いマツタケにとって致命的なことである.当然のことながら、そんな林には、マツタケの発生は見られないし、発生林にあっても生産量が減少する.

従って、最近の森林は疲弊し、公益的森林機能も不充分で多様な生物の生活を許さない場となっている.アカマツ林に続いて、ナラ類・シイ・カシ林が、日本海沿岸で異常に枯れ始め,紀伊半島にまでおよんでいる.まず、キノコの生えない森林となり、やがて樹木が枯死する.カシノナガキクイムシの運ぶナラ菌が原因であるようだ.これは、自然の警鐘と受けとめるべきだろう.

この警鐘を軽視したりおろそかにすると、人類は自然から手痛い反撃を食らうことになりはせぬか.人は、森林をキノコが生えない森林にしておき、「キノコが生えない」と嘆いている.滑稽な話ではある.
生き物にとって、山に緑があれば良いと言うものではない、質の良い緑が必要なのである.

マツタケやアカマツの生理生態
マツタケとホストとの共生関係
マツタケはカビの仲間で、カビは、その生活様式などから腐生性や菌根性や病原性のものに分けることができる.マツタケは腐生性のカビから進化したと考えられ、腐生性のシイタケ、エノキタケ、ヒラタケやエリンギ、マイタケのように生物遺体を分解する酵素を欠いている菌根菌の仲間である.

菌根菌は生きた植物(宿主あるいは寄主)の1mm未満の細根に感染し、光合成産物である糖類を宿主から摂取する.逆に宿主は菌根を介して土壌中の水やミネラル類を受け取る.マツタケは菌根になると、抗生効果のある物質を分泌し、土壌微生物の攻撃から自らや根を守る.また、アカマツの細根を菌糸マットで覆い根の乾燥を防いでいる.

マツタケにとってはアカマツのようなホストが、アカマツにとってはマツタケのような菌根菌が、それぞれの生物が、生き残るために獲得した戦略的パートナーなのである.
菌根菌は,同種あるいは異種植物同士の物質の移動の仲立ちもする.アカマツ林を構成する樹種間に菌根菌の菌糸マットが仲立ちしたネットワークが林内に形成され「情報の伝達」があることが最近わかってきた.

マツタケの生理
実験室でHamada培地(グルコース10.0g、エビオス5.0g、pH=5に1N-HClで調整)あるいは無機培地としてはグルコースやフルクトース、酒石酸アンモニューム、ミネラル類、アミノ酸やビタミンB類などの栄養物でマツタケ菌糸を培養することは可能である(pH=5.0前後、生長至適温度 23-24℃).

その菌糸生長は他のカビやキノコと比べて非常に遅い(マツタケの菌糸の生長:平均0.3-0.5mm/day: ミトコンドリアが少ない).青カビなどの1/100、シイタケの1/20の生長スピードでしかない.
感染のメカニズム、また、栄養生長から生殖生長へ切り替わるメカニズムが温度要因を除いて不明であるなどのために、オガクズなどでマツタケを栽培することは不可能である.

胞子発芽-2次菌糸
マツタケは外生菌根菌で大型のキノコ(子実体)を形成するカビの仲間である.マツタケのヴェールが破れると、ヒダから胞子(レモン状、4-7×5-9μm)が飛散し、林床に落ちる.
1本のマツタケ子実体から数百億の胞子が落ちるが、その発芽率は1%をかなり下回っている.実験室で発芽率を高める物質として、酪酸や松葉の抽出液の添加が有効であることが解かっているが実用化は疑問である.

厚い落葉や腐植層の上に落ちた胞子は、そこを住み家にする細菌や糸状菌や小動物との競争を強いられたり、それらの攻撃にであう.その攻撃を逃れた胞子は温度と水分が適切なら発芽し1次(核)菌糸になる.

次いで、互いに親和性のある1次菌糸どうしが運良く接合すると、1つの菌糸細胞に核が2つ存在する2次(核)菌糸ができる.ここにいたって、はじめてアカマツ細根に感染する力を持つ.

感染-菌根形成
この2次菌糸はさらに運が良いと、先住者のカビがいない空き家のアカマツ細根に出会う.すると、これに感染し菌套を形成.その後、細胞間隙に侵入、菌根となる.マツタケの場合は、外生菌根いわれる.

菌根になるとホルモンを分泌し、アカマツの細根はテングス状に枝分かれし、根の吸収面積が飛躍的に増える.マツタケは周りに細い根があればそれにどんどん感染、菌根をつくる.

マツタケは菌根を介し、アカマツと物質をやり取りしている.マツタケは光合成産物である糖類をアカマツから摂取し、土壌中のミネラル類をアカマツに渡している.植物間の物質移動の仲立ちについては前述のとおりである.

実験室の感染テストでは、肥沃土壌で育てたアカマツは、まつたけの感染を拒否する傾向にある.マツタケのような菌根性のキノコが感染しないと、ホストは病気に弱くなることがわかっている.
土壌が肥えてくると、アカマツの細根形成が悪くなり、また、光合成産物を自らの生長に利用し、マツタケに与えないようである.アカマツ林の尾根筋は肥沃化しにくく、乾燥気味でマツタケ栽培に適している.                   次に続く
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« まつたけ十字軍運動NEWSLETTE... | トップ | まつたけ十字軍運動NEWSLETTE... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

マツタケの林地栽培 」カテゴリの最新記事