過去最高(おそらく?)の130余名で埋まった香川山BC
京まつたけ復活・里山再生市民運動
第255回(9月11日(土))活動報告
さすがに猛暑にはなりませんでしたがそれに近い残暑厳しい一日でした。
本日の活動は京都造形芸術大学で吉村代表のもとに環境学を学んでおられる方々の里山(マツタケ山)作り体験授業も兼ねて行われました。
参加者は、橋本、寺尾、松本、前田、森、石原、小長谷、江指、榎本、岡坂、中野、宮崎、三輪、山田、斉藤、藤井、中広、田、家村(絋)、家村(佳)、小原、玉城、有山、堀井、上林、多田、川本、三品、林屋、青木、大島、阿閉(仁)、阿閉(眞)、杉山、大久保、小泉、川崎、吉本、吉村の39名に京都造形芸術大学から96名!(お名前省略にて失礼いたします)の、まつたけ十字軍運動始まって以来の“大軍団”となりました。
メンバーと学生さんは7班(香川山BC1班、玉城山2、3班、澤田山4~7班)に分かれて里山(マツタケ山)作り作業体験をしていただきました。
吉村代表(京都造形芸術大学環境学講師)より開会挨拶と趣旨説明。
しばし懇談の後、まずはカレーライスで腹ごしらえ。なにしろ130余名分!ですから賄い班も大変です。
<香川山BC>
除伐したコナラ(薪として活用)でナラ枯れ被害木の中の様子を観察。
2005年活動開始時に皆伐、アカマツ幼苗を植林した斜面。5年を経て順調にアカマツ林が再生されつつある様子を見学。
石油も化学肥料もない時代、人々は近くの山に燃料や肥料、建材、食料その他の資源を頼らざるをえませんでした。そうして人が手を加えた里山が形成され、マツタケや多くの生物が生息できる環境が作られてきたのです。山作りを楽しむことに加えて、常にそうした循環や多様な生物が生息できる環境作りを意識して作業することが大切です。
私達もマツタケ山作りで出る除間伐材や腐植(腐葉土)を無駄にしないよう活用しています。BCの建造物、造形物、陶芸窯、畑やシイタケ栽培、この田んぼとそこで採れた食材と薪で作る食事もその一環。建材もホームセンターへ行けば安く買える、弁当もPETボトルのお茶と一緒にスーパーやコンビニで買ってくれば簡単な時代ですが、学生のみなさんはここで何かを感じ取っていただけたでしょうか。
<玉城山、澤田山>
いざ、山へ。作業地までは歩いて約30分。
峠に到着。これも山から出たヒノキで作った休憩所でしばし休憩。
まずは地掻き体験。
人が入らなくなった山には落ち葉や腐植が厚く堆積し、貧栄養の痩せ地には強いけれど富栄養化した山では他の精力旺盛な木々がアカマツを駆逐し、アカマツとマツタケは消えていきます。
...てなことを説明している岡坂さん。
アカマツの敵は富栄養化だけではありません。外材とともにいずこかの国からやって来たのか“マツクイムシ”。温暖化ともあいまって増殖北上中。やられた松はかわいそうですが被害の拡大を抑えるため伐採集積し山から出して焼却します。これが結構大変。
同様に問題となっている“ナラ枯れ”。最近、山のところどころが茶色いと思いませんか?やられたコナラを伐採、山から出し薪にして焼却処分を兼ねて活用します。
除間伐すると材や薪に使える幹の他に当然細かい枝も出ますね。森の中には枯れ落ちた枝もあり放っておくと富栄養化につながります。これらは「粗朶」といいまして、日本昔話の時代にはかまどの火起こしなどに活用したものです。「おじいさんは山へ柴刈りに...」。
山道を運んでくるにはソリなんかも使います。手を振って楽しそうに見えますが、これ、見た目より結構大変な作業なんです。
で、継続するには無理せず適宜休憩を取ることも大切。
京都造形芸術大のみなさん、まだまだ暑い中お疲れ様でした。
ささやかな体験で行き届かないところもあったとは思いますが、私達の活動から「里山」、「マツタケ山」について何かを感じとっていただくことができましたら幸いです。
ここでの体験を胸に、ぜひ身近な山に入ってみてください。
身近に山がないあなた、まつたけ十字軍においでください。私達と一緒に山作りを楽しみましょう。
(宮崎 記)
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