まつたけ山復活させ隊運動ニュース

 松茸は奈良時代から珍重されてきたが、絶滅が心配される.松茸山づくりは里山復活の近道であり里山の再生は松茸復活に繋がる.

まつたけ十字軍運動NEWSLETTER55号 初夢 井上 勝作

2006年01月01日 |  マツタケの林地栽培 
写真は、京北まつたけ(2005年)

皆さん! 明けましておめでとうございます.賀状での挨拶に代えてE-Mailでの挨拶とさせていただきます.
 旧年は、記録尽くめの異常気象で閉じました.2006年の初日の京都は、快晴です.気象の次の変化は崩れるしかありませんが、人の世界は今を変えることが出来ます.

 メンバーの井上 勝さんから「初夢」の報告がありました.掲載させていただきます.

 初 夢
曾爺ちゃん(初代茸吉)は、籠いっぱいのまったけを背中に背負って帰ってきた。
晩御飯は、まったけのフルコースやった。
松茸御飯・焼き松茸・土瓶蒸・松茸のフライ・松茸の茶碗蒸・松茸のお吸い物など腹いっぱい食った。

「まつたけ十字軍運動」は、全国に波及して「里山復興運動」となり、過疎地と言う過疎地は様変わりしていた。都会から農村へ人口大移動があった。
日本では人口が減少し年金が破綻、老人が自給自足生活を求めて大移動したのだった。
「まつたけ十字軍運動」は正に救世主になったのだった。

4代目茸吉は、息子(小学生)の教科書をパラパラと見ていた。

2005年、吉村文彦と言う人が「まつたけ十字軍運動」を始めました。
その年日本の人口が初めて減りました。
2015年、「まつたけ十字軍運動」は全国に広まり、里山や棚田の復活運動に発展しました。
2020年、お年よりたちは、年金がもらえなくなりました。
    「都会から農村へ」がブームになりました。
2030年、日本は大不況になり、都会では若い人も仕事が無くなったので、農業をする人がどんどん増えてきました。
2050年、農家が増え、穀物や野菜などがたくさん採れるようになり、食料を外国にたらなくてもよくなりました。
2070年、全国的に都会の人口が半分に減りました。
この頃、犯罪も減りました。その昔、人々が抱えていたストレスというものをこの頃の人はあまり感じなくなったからかもしれません。

茸吉は、教科書を置いて、遠くを見た・・・・・


2106年元旦、4代目茸吉は、そんな初夢をみた。

4代目茸吉は、元旦やというのに曾爺ちゃんが遊んでいたという、岩倉の村松に行ってみた。「まつたけ十字軍運動」発祥の地を見たくなったのだ。
村松というだけで番地がわからないため、探すのに苦労したが、幸い土地の古老が知っていて案内してくれた。
約50年前、「まつたけ十字軍運動」は拠点を亀岡に移したため、そこには「まつたけ十字軍運動発祥の地」記念碑があった。その脇にはピザを焼いたと言う石作りの窯が100年の風雪に耐えていた。
まったけは、世話をする人がいないので全滅状態だが、茶畑は受け継がれ、毎年新茶が町内に振舞われているという。

茸吉が、聖地復興を誓ったかどうかは不明である。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« オオショウロの胞子(顕微鏡... | トップ | まつたけ十字軍運動NEWSLETTE... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

マツタケの林地栽培 」カテゴリの最新記事