マッタケ山
阪本寧男(京都大学名誉教授)
秋になってマッタケ山の季節がやってくると、にわかに山へ入れなくなる。縄が山裾に張り巡らされると、所有者以外は誰でもそこへ入った人間はマッタケ泥棒ということになった。僕の家はマッタケ山の中にあったので、僕の家族は例外であり、自由に山に入ることができた。
休みの日には、京の街から渋谷道の峠を越えてマッタケ山にやってくるお客が多い。見晴らしの良いやせ尾根にゴザをひいて、スキ焼きが始まる。お酒が入ると三味線の音や酔客のダミ声の歌が秋風に乗ってはるか彼方の尾根まではっきり聞こえてくる。マッタケ山に来る人は街の人だ。街の人はマッタケがどんな場所にどんな風に生えているかまったく知らない。マッタケ山の持ち主が、前の日に採ったマッタケを、お客さんの喜びそうな場所に埋め込んでおき、その辺だけへお客さんを案内するのである。街のお客さんはそんなことは何もわかっていない。
山の中に住んでいた僕は、マッタケのことはよく知っている。マッタケは毎年大体決まった場所に生える。山の湿った場所には出ない。やや乾いているが、アカマツの枯れ葉が一寸溜まったような所がよい。一寸僕の家の周りのマッタケのスイバを廻るだけで、十本ぐらいのマッタケは簡単に採れた。まだ傘の開いていないマッタケを掘るには注意がいる。無理に引っ張るとポッキと折れてしまう。注意して周りの土を掘ってゆき、ゆっくりと柄の根元を引っ張るのがコツである。傘の開いたマッタケは立派であるが、時々虫がくっていたりしてあまりよくない。傘がまだ十分開いていないのが、香りも強く、美しくて立派なのである。
僕の家ではマッタケの季節には、ご飯にも、汁にも、何にでもマッタケが入っていて、僕には憂鬱な季節なのである。マッタケ採りは得意中の得意であったが、食べるのは大嫌いなのである。あのカビくさい香りとぬるっとしたぬめりが何とも好かないのである。しかし、毎日学校から帰ると、マッタケ採りに行き、それで自分の首を絞めているようなものだった。家の者は皆大好物だから文句を言うわけには行かない。
続く
阪本寧男(京都大学名誉教授)
秋になってマッタケ山の季節がやってくると、にわかに山へ入れなくなる。縄が山裾に張り巡らされると、所有者以外は誰でもそこへ入った人間はマッタケ泥棒ということになった。僕の家はマッタケ山の中にあったので、僕の家族は例外であり、自由に山に入ることができた。
休みの日には、京の街から渋谷道の峠を越えてマッタケ山にやってくるお客が多い。見晴らしの良いやせ尾根にゴザをひいて、スキ焼きが始まる。お酒が入ると三味線の音や酔客のダミ声の歌が秋風に乗ってはるか彼方の尾根まではっきり聞こえてくる。マッタケ山に来る人は街の人だ。街の人はマッタケがどんな場所にどんな風に生えているかまったく知らない。マッタケ山の持ち主が、前の日に採ったマッタケを、お客さんの喜びそうな場所に埋め込んでおき、その辺だけへお客さんを案内するのである。街のお客さんはそんなことは何もわかっていない。
山の中に住んでいた僕は、マッタケのことはよく知っている。マッタケは毎年大体決まった場所に生える。山の湿った場所には出ない。やや乾いているが、アカマツの枯れ葉が一寸溜まったような所がよい。一寸僕の家の周りのマッタケのスイバを廻るだけで、十本ぐらいのマッタケは簡単に採れた。まだ傘の開いていないマッタケを掘るには注意がいる。無理に引っ張るとポッキと折れてしまう。注意して周りの土を掘ってゆき、ゆっくりと柄の根元を引っ張るのがコツである。傘の開いたマッタケは立派であるが、時々虫がくっていたりしてあまりよくない。傘がまだ十分開いていないのが、香りも強く、美しくて立派なのである。
僕の家ではマッタケの季節には、ご飯にも、汁にも、何にでもマッタケが入っていて、僕には憂鬱な季節なのである。マッタケ採りは得意中の得意であったが、食べるのは大嫌いなのである。あのカビくさい香りとぬるっとしたぬめりが何とも好かないのである。しかし、毎日学校から帰ると、マッタケ採りに行き、それで自分の首を絞めているようなものだった。家の者は皆大好物だから文句を言うわけには行かない。
続く
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