まつたけ山復活させ隊運動ニュース

 松茸は奈良時代から珍重されてきたが、絶滅が心配される.松茸山づくりは里山復活の近道であり里山の再生は松茸復活に繋がる.

第8回まつたけ十字軍運動の集いの報告

2005年08月14日 |  マツタケの林地栽培 
 第8回まつたけ十字軍運動の集いは、京都市右京区京北の「吉野山自然観察の森と清流に遊ぶ」と銘うって、マツタケ発生環境整備の完了したアカマツ林の観察と桂川の源流を楽しんだ.
 老-荘-青-少合わせて23名の参加者であったそうである.大いに山に川に戯れ楽しめたことであろう.日頃飲むビールと違う味であったと想像することは難くない.
 行事終了間際に、雷雨となり残念であったが、これも自然である.現地案内人の井本寿一さん、世話係の猫田哲三さん他お世話いただいた方々、参加くださった方々、本当にご苦労様でした.
 筆者は、その時には、宮崎県で大学の集中講義の最中で欠席せざるを得ませんでした. その後、都井岬のウマ、幸島のサルと桜島のクロマツの枯死を見るため、鹿児島県に赴いた.都井の岬も幸島も、僕の大学生の頃の姿と打って変わって観光名地に変身していた.桜島のクロマツの枯死は、塩害も加わり悲惨なものであった.
 鹿屋市高須町で医師をされている先輩のお宅に泊めていただいたのであるが、高須小学校の生徒たちが、高須の海浜でウミガメの卵を保護し、63日掛けて孵し、海に放流するという行事に出くわした.前日の夜に23匹が孵り、夕方に放流されたが、1匹はかなり衰弱していた.でも皆、海を目指して波に消えていった.昔、「世界残酷物語」という映画の、産卵後のウミガメの親が、ビキニ環礁の水爆実験による放射能で、方向感覚を失ったためか、陸の奥地を目指して戻っていくシーンがオーヴァーラップした.ウミガメの子供たちが、再び、高須町の浜に戻ってくる確率は5千分の1だそうである.
 私達は、いま、里山林の再生と京まつたけの復活という事業に取り組んでいるが、1本のマツタケの発生するアカマツ林であると、里山の再生とマツタケの増産は、暑い日の最中に樹を伐り、草を抜き運び出すボランティアの方々の応援・支持がある限り、容易であることを改めて感謝せねばならないと思った次第である.
 次回、第9回まつたけ十字軍運動の作業日は、8月24日(水) 10時30分、京都市左京区岩倉、京都バス「村松集会所前」集合である.
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 里山林の新しい活用を考えよう! | トップ | 必死に海を目指す孵ったばか... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

マツタケの林地栽培 」カテゴリの最新記事