電車内の優先席で足を上げて横になり電子たばこを吸っている男、これを光景を見て、「なんちゅーやっちゃ」「人の迷惑も考えんと」「多分あいつはヤンキーや」などと乗り合わせた乗客は思っていたことでしょう。そしてそのことを高校生に注意され逆上し暴力をふるうという事件が起こりました。
この事件、世の中に怒りが増幅して渦巻いています。私も報道を見て腹が立ってきました。何も悪いことをしていない高校生もホントにお気の毒です。TVのワイドショーではこの高校生の勇気ある行動を褒め称えています。でもちょっと視点を変えると別のことも見えてきます。
それは世の中にある怒りの量という視点です。この視点から事件を見てみましょう。元の「怒り量」は電車の車内でその光景を見た人だけに渦巻いていた分です。被害者となった高校生の分は自身がぜんそくの持病を持っていたこともあり特に大きかったかもしれません。そして次の段階、高校生が注意をして暴行を受けている段階で電車内の怒り量はさらに大きくなりました。そのあとそれが事件としてTVのワイドショーでセンセーショナルに取り上げられるに至り何万倍も世の中に怒りが増幅して拡散してしまいました。
このように見ると次の2段階で怒りが飛躍的に増幅していったことがわかります。ひとつは高校生が注意をして暴行を受けていた時点、もうひとつはマスコミ(特にテレビ)がセンセーショナルに取り上げた時点です。
ここでは被害にあった高校生が注意をしなければよかったんだ、とかどうして他の乗客が助けなかったんだというようなことには触れません。注目したいのは客観的に見て各段階ではみな直球勝負でエスカレートし、それをエラいことになったと騒ぎ立てるギャラリーがいて、結果的に世の中の怒りの量が飛躍的に増大したという事実です。怒りの量が増えるとさらに次の怒りを呼びます。
悪いモノはかき混ぜないでそのまま置いておいた方がいいときもあります。物事を丸く収める知恵、そしてマスコミのあおりに乗ってはいけないという知恵も必要だと思います。
この事件、世の中に怒りが増幅して渦巻いています。私も報道を見て腹が立ってきました。何も悪いことをしていない高校生もホントにお気の毒です。TVのワイドショーではこの高校生の勇気ある行動を褒め称えています。でもちょっと視点を変えると別のことも見えてきます。
それは世の中にある怒りの量という視点です。この視点から事件を見てみましょう。元の「怒り量」は電車の車内でその光景を見た人だけに渦巻いていた分です。被害者となった高校生の分は自身がぜんそくの持病を持っていたこともあり特に大きかったかもしれません。そして次の段階、高校生が注意をして暴行を受けている段階で電車内の怒り量はさらに大きくなりました。そのあとそれが事件としてTVのワイドショーでセンセーショナルに取り上げられるに至り何万倍も世の中に怒りが増幅して拡散してしまいました。
このように見ると次の2段階で怒りが飛躍的に増幅していったことがわかります。ひとつは高校生が注意をして暴行を受けていた時点、もうひとつはマスコミ(特にテレビ)がセンセーショナルに取り上げた時点です。
ここでは被害にあった高校生が注意をしなければよかったんだ、とかどうして他の乗客が助けなかったんだというようなことには触れません。注目したいのは客観的に見て各段階ではみな直球勝負でエスカレートし、それをエラいことになったと騒ぎ立てるギャラリーがいて、結果的に世の中の怒りの量が飛躍的に増大したという事実です。怒りの量が増えるとさらに次の怒りを呼びます。
悪いモノはかき混ぜないでそのまま置いておいた方がいいときもあります。物事を丸く収める知恵、そしてマスコミのあおりに乗ってはいけないという知恵も必要だと思います。
この事件には、テレビでも様々な意見がありました。
昨今の日本は隣人的無関心社会だなと思うことが多くあります。
話は違いますが、小さなことでは、核家族化が進み、隣近所がどういう苗字の家なのかわからない、知りたいとも思わない、関わりたくない、地区の役員などやりたくもない、自分の家族のことで精一杯であり、他人のことなど構ってられない、そんな社会です。
今回の事件に関していえば、社会のルールをも守らない、外見上、強面、ケンカが強そう、体が大きくヤンキー風で、注意でもしたら自分が危ない目に遭う、だから沈黙しておこう、目を合わさないようにしよう、見て見ぬふりをしよう、関わり合いたくもない・・・、
実際、そういう気持ちが強かったのではないでしょうか。
よほど腕に覚えがあり、格闘家のような腕力と正義心溢れるような体格のある、正当防衛をしてでも悪を糺すという覚悟と信念のある人でないと、そういう人物に立ち向かってはいけないでしょう。
普通の人は、自分の仕事があり、会社があり、学校があり、家庭があり、守るべきものがあり、危険のある所に自ら飛び込んで悪を糺すということは、なかなかできるものではないと思います。だからこそせめて、司直の手に委ねるべく、警察に一刻も早く通報して間接的に助けてあげるべきだと思うわけです。
ただ漫然と傍観して様子を見てるだけというのは一番良くはないと思います。
日本ではアメリカ社会とは違い、正当防衛が認められにくい社会であり、だからこそ電車では、鉄道公安官や私服の刑事職員の乗車、緊急通報システム、監視カメラを総動員していち早く危険を発見し、救済することしかないのです。
今回の事件でも、日本の深い社会の影というものを見た思いで胸が痛みました。