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オアシス都市の写真を撮りたい

2009-03-11 06:12:25 | Weblog
敦煌の鳴沙山(めいさざん)の頂上に駆け上って、
月牙泉(げっかせん)を見ると、

隊商が休むイメージにピッタリのオアシスだ。

オアシスをイメージする写真は撮れたから、
つぎは、オアシス都市の写真を撮りたい!
遠方には、オアシス都市、敦煌が広がるが、
敦煌は広すぎて、写真におさまりきらない。

写真におさまるオアシス都市がないか?
小さいオアシス集落でもいい、
と、探していた。

チャンスは、嘉峪関(かよくかん)城でやってきた。
嘉峪関城は、敦煌の東、300キロメートルにあって、
城であり、関所で、日本の天守閣が3つもある。

規模が大きいから、天守閣3つのうち、
写真には、2つしか入らない。

この嘉峪関城からは、北と南に万里の長城が延びて、
外敵から守るとともに、隊商を関所に集めて、
税を取り立てるようになっていた。

嘉峪関城から、北に延びる万里の長城は、
7キロメートル先の懸壁(けんぺき)長城に、
つながっていた。

復元された明時代の懸壁長城を登るが、傾斜はきつい。
希望者は、ふもとから30分ほどの頂上を目指す。
懸壁長城の左はモンゴル、右は中国の明。

懸壁長城は、そそり立つ山の頂上に到達して、
その先は、自然と一体になるように、終わっていた。
――ここから先は、万里の長城がない!
騎馬民族も、ここまでは、上がってこられないだろう。
万里の長城の終わりは、“自然の要塞”に溶け込んでいた。

その懸壁長城の頂上から見たのが、つぎの写真である。
右下は懸壁長城で、ここを登ってきた。

不毛の砂漠の中に、ここだけ、の集落がある。
――オアシス集落に巡り合えた!

集落を砂嵐から守るために、周囲にはポプラを植えてある。
そのポプラの中にがある。

中央には、さらに砂嵐をやわらげるように、
ポプラ並木があって、民家は、その中に並んでいる。

周囲のポプラも、中央のポプラ並木も、
砂嵐の脅威から集落を守るとともに、
騎馬民族からの襲撃から、護っている。

中央のポプラ並木に添って、
小川か、地下水路があるのだろう?
生活用水であり、畑の灌漑用だ。
畑には、とうもろこし、野菜があった。

中国の“農耕民族”は、集落をつくって定住している。
騎馬民族”は、収穫期をねらって襲撃するのだろう。
農耕民族は、ポプラを植え、“万里の長城”を築いて、
騎馬民族の襲撃に耐えてきた。

オアシス集落万里の長城は、
農耕民族と騎馬民族の“攻防”であり、
中国の“興亡”の舞台である。
攻防の舞台の写真のようだ。
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