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二年坂の電線

2011-10-30 00:06:06 | Weblog
京都「二年坂」の「電線」がなくなった。
クモの巣」のように街をおおっていた電柱・電線を取り払った。

街の景観を悪くするものに、電柱・電線がある。
日本の「電線の埋設率」は、大きく立ちおくている。
先進国の中では、最低である。そして、
1)「景観」が悪く、
2)「危険」で、しかも、
3)「電気料金」が高い、
と書いた。

「アメリカ、イギリス、日本の住環境」、2010年10月3日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/6330a51cfa89813aa818b22e0f401138
では、アメリカとイギリスで住んだ家と、日本の家の「住環境」を比較をしてある。
住んだ家の写真も掲載したので、「住環境」の参考にしてください。

「電線の埋設率の国際比較」、2011年2月13日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/7ed94ec8f3bdafa473ac134d7ee7c355
では、「電線の埋設率の国際比較」をしてある。

「電線の埋設率の国際比較」。

電気事業連合会と国土交通省の資料から作成。
海外は、電気事業連合会の調べで、「ケーブル延長ベース」、
日本は、国土交通省の調べで、「道路延長ベース」である。

先進国の都市は、「電線の埋設率100%」を目指している。
そして、かなり前に達成できている都市がある。
日本の都市は、大きく立ち遅れている。

日本の都市の場合は、「市街地」に限定している。
しかも、「道路沿い」だけの電線に限定した「電線の埋設率」である。

日本の都市や町には、「市街地」に限定せずに、「周辺」も含め、しかも、
「ケーブル延長ベース」での「電線の埋設率」の「データ」があると思う。
敷設したケーブルの長さは、すぐにわかるから。

「周辺」を含めた「ケーブル延長ベース」のデータを基本にして、
「電線の埋設率100%」を目指していると思う。
世界の先進国が、そうであるように。


「クモの巣」のような電柱・電線として、
京都「二年坂」を挙げた。
「ライの景観」、2010年11月14日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/61951f29856e5a9f80a99e3613a5f8d1
では、つぎのように書いた。

「二年坂」。2002年4月撮影。

古い家並みの、みやげものやに、多くの観光客が訪れ、
「いい街だな!」
と、思って撮った写真。

電柱、電線が、街と空を支配しているではないか!
わざと、電柱、電線を撮ったのではない。
自然に写ってしまう。避けようがない。

アレックス・カー氏(東洋文化研究家)は、
先進国の都市と町で電線を埋めてないのは日本だけであって、
日本の町の独特のごみごみした雰囲気はそのせいです」
と、言っているが、それを見る思いだ。

そして、
「東北に千載一遇のチャンス」、2011年5月1日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/d2917ad45e37378514109aefff4d27ee
では、つぎのように書いた。

電柱、電線によって、日本は、
景観」が悪く、
電気料金」が高く、
歩行者や自転車、車いすの利用者にとって「危険」であり、
地震や台風の災害では、「ライフライン」の確保がむずかしい。
災害救助車」の通行が妨げられた例は、多く見てきた。

「おひさまの奈良井宿」、2011年9月、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/05fc146484c7ae6202e09bfb01cb1753
では、つぎのように書いた。

「奈良井宿」の表通りからは、電柱、電線を取り払ったから、
「奈良井宿」の景観はすっきりしている。
ホッとする街になっている。

さて、久しぶりに、「清水寺」へ行ってみた。
2002年4月に「清水寺」を訪れた以来である。
そのときに、「二年坂」の写真を撮っていたが、
「クモの巣」のような電柱・電線が、
街をおおっていたのが、先の写真である。

それから9年たつ。
「二年坂」の「クモの巣」は、どうなっているのだろうか?
相変わらず、「クモの巣」が張ったままだろうか?

「清水寺」に行くには、「清水坂」を上がる。
正面は、「清水寺」の「仁王門」。2011年10月5日撮影。

「清水坂」は、「クモの巣」のような電柱・電線でおおわれていた。

「相変わらず、クモの巣だ!」
がっかりした。

日本を代表する「歴史文化都市、京都」であっても、
「重要伝統的建造物群保存地区」であっても、
「世界遺産」であっても、
街は「クモの巣」だ。

「先進国の中で、日本の電線の埋設率は最低である」
「電線を埋設する技術は、日本ではまだまだかな?」

「清水寺」のあと、「二年坂」へ行ってみた。
そしたら、「二年坂」が、きれいになっていた。2011年10月6日撮影。

「クモの巣」がない。
うれしくなるじゃないか!
すっきりした街になっていた。
舞妓さんが歩いても、絵になる。
前はトラックで、朝は荷物の配達をしていた。

「二年坂」の前の写真(2002年4月撮影)と、
今回の写真(2011年10月6日撮影)では、
ほぼ同じアングルからの写真である。

比べてみよう。ちがいは、もうおわかりでしょう。
1)「クモの巣」のような電柱・電線を取り払った。
2)右の屋根の上にあった、むき出しの「空調の屋外機」を、
 格子で囲った。
3)そして、「マンホール」があった。
 電線を地中に埋めた。そして、舗装をし直した。

電線を地中に埋設した「仕掛け」は、
この「マンホール」にある。2011年10月撮影。

ふたには、上に「CCB」、下に「電気」とある。
そして真ん中は、「京都市のロゴ」。

「CCB」は「C.C.Box」で、「電線共同溝」。
最初のCは、Communication(通信)、Community(地域、共同)、Compact(小型)、
次のCは、Cable(電線)、
そして、BはBox(箱)。
電線類を敷設した箱型のトンネルである。

「C.C.Box」というBox型のトンネルを京都市が道路に埋設し、
この「C.C.Box」の中に、関西電力が電力線を敷き、NTTが通信線を敷いた。

それに、電線の埋設には、もう一つの「仕掛け」があった。
4)「地上機器」である。

「地上機器」は、「二年坂」に入る道にあった。左は「二年坂」。2011年10月撮影。
地上機器は、右にさらに2台あったから、合計4台がならんでいた。

電柱に乗っかっていたトランス類は、この地上機器に納められた。
つまり、電柱やトランスは⇒地上機器に置き換わった。

これで、「二年坂」は、すっきりした。
訪れた2011年10月5日は雨降りだった。
写真がうまく撮れているか心配だった。
それで、晴れた翌日に「二年坂」へ行った。

10時になると、店が雨戸を開け始める。
店の人に話しかけてみた。
「二年坂は、すっかりきれいになりましたね。
前はクモの巣のような電柱・電線がありましたが」

「そうです。すっきりしました。
電線は地中に埋めました。産寧坂から八坂の方まで」
「いつごろですか?」
「2年くらいたつかしら」
「よかったですね。世界からお客さんが訪れるところですから」

京都は和服が合う。
「産寧坂」、「二年坂」、そして、
八坂に向かう「ねねの道」の「和服姿」を集めた。

産寧坂」。2011年10月撮影。

「クモの巣」の電柱・電線は見当たらない。
仕掛けは、道路の「C.C.Box」、「電線共同溝」。
左の自動販売機がなければ、さらにすっきりする。
和服姿で、「どのお店に入ろうかしら?」

二年坂」。「舞妓」の撮影。2011年10月撮影。

電柱・電線を気にすることなく、好きなアングルで写真を撮ることができる。

ねねの道」。2011年10月撮影。

「クモの巣」の電柱・電線は見当たらない。
「ねねの道」の先は「二年坂」の方向、
反対は「八坂神社」につながる。
左側は、豊臣秀吉とねねの寺「高台寺」(こうだいじ)の方向。

ねねの道」。2011年10月撮影。
外国の人も和服姿で京の街を歩きたい、食事をしたい。

京都のいい思い出になった。
なりきるしぐさ、それに笑みがいいね。

「産寧坂」から「二年坂」、「一年坂」、「ねねの道」まで、
「クモの巣」のような電柱・電線がなくなっていた。
日本も、電線を埋設する技術はある。
やればできるじゃないか。

電線の埋設は、街の景観のため、安全のため。
それに、お客さんのため。喜び、そして集まってくる。

「清水寺」へ行く「清水坂」の「クモの巣」(先の写真) も、
早く取り払ってほしい。
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