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国宝の土偶を見る

2014-03-30 00:03:30 | Weblog
国宝土偶を見る。
仮面の女神」が国宝になって、国宝の土偶は5体となった。

「尖石縄文考古館」、茅野市。2011年撮影。
「縄文時代の土偶造形の頂点に位置付けられる」と評価された。
「歩き出しそうだ」
「堂々としていたな!」
「仮面をかぶり、上半身は衣装を着けていた」
34センチ、2.7キログラムと大きい。

国宝の土偶はつぎの5体。
縄文のビーナス」、茅野市の棚畑(たなばたけ)遺跡。1995年に国宝。
仮面の女神」、茅野市の中ッ原(なかっぱら)遺跡。2014年に国宝。
中空土偶」、函館市の著保内野(ちょぼないの)遺跡。2007年に国宝。
合掌土偶」、青森県八戸市の風張(かざはり)1遺跡。2009年に国宝。
立像土偶」、山形県舟形町の西ノ前遺跡。2012年に国宝。

土偶の時代と地域」の表。


土偶の「」をみると、最初は破片だったり、十字形の板状だった。
それが、「縄文のビーナス」に見るように、
縄文時代中期から、立像になった。

土偶の「地域」をみると、東日本である。
西日本からは、縄文時代晩期にわずかにある。
これは海底火山が大爆発して、火山灰が積もり、
植生がなくなって、縄文人が住むことができなかった。
6300年前の「鬼界カルデラ」(きかい)の大爆発である。

縄文のビーナス」。「尖石縄文考古館」、2011年撮影。

「どっしりしていたな!」
「衣服は着けていなかった、帽子だけ」
ふくよかで、どっしりしたヌード。
27センチ、2.14キログラムと大型だ。

国宝の土偶の「地域」は、
諏訪地方から「縄文のビーナス」と「仮面の女神」、
東北から「立像土偶」山形県と「合掌土偶」青森県、
北海道から「中空土偶」函館市である。

国宝の土偶、5体の内、
3体を現地で見ることができた。
茅野市の「尖石縄文考古館」(とがりいし)で、
「縄文のビーナス」と「仮面の女神」2011年。

右奥が「尖石縄文考古館」。

八戸市の「是川縄文館」(これかわ)で「合掌土偶」を見た、2012年。

「合掌土偶」は、奥まった国宝展示室にあった。撮影禁止。

「是川縄文館」は巨大で豪華。
バス停で降りて探したが、縄文館とは思わなくて、
ゴルフのクラブ・ハウスか、ホテルだろうと思った。

国宝の土偶の残りの2体、
「立像土偶」と「中空土偶」は、複製だが、
「尖石縄文考古館」で見ることができた(2014年3月)。
これは、「仮面の女神」が国宝になることを記念して、
「中空土偶」、「立像土偶」、それに「合掌土偶」を、
展示してくれたからである。
「是川縄文館」では、撮影禁止だった「合掌土偶」を含めて、
「中空土偶」と「立像土偶」の3体の写真を撮ることができた。

立像土偶」。山形県。

注目は、背の高さ45センチである。スラリとしている。
胸がこのように表現できるのか? 帽子はモダンだ。
デフォルメが美しい。人形のモデルになりそうだ。
ヘソから胸まで、スジがある。

合掌土偶」。八戸市。

上半身は服をまとい、脚にはスパッツを着けている。
腹にはスジがある。座って、前かがみで合掌している。

男にだって「祈り」はある。
うさぎが獲れ、とちの実が採れますように。
しかし、女性であることを強調している。
子どもが無事に産まれて、感謝しているようだ。

中空土偶」。函館市。

高さが41.5センチある。
肩は鎧のように大きく表現している。
胸と下半身に服を着け、腹は出している。
ヘソから胸まで、縦のスジが強調されている。

今から5000年前、優れた美意識と、技術力を備えた芸術家がいた。
縄文人版、岡本太郎がいて、素晴らしい造形を創造した。
生活に余裕があって、美術に打ち込むことができた?
それに、「縄文美術学校」があったのだろうか?

さて、重要文化財の「土偶」もいくつか見ることができた。
土偶の破片」、釈迦堂遺跡(しゃかどう)。山梨県。
十字形土偶」、三内丸山遺跡(さんないまるやま)、青森県。
円錐形中空土偶」、鋳物師屋遺跡(いもじや)。山梨県。
巳を戴く神子」(へびをいだくみこ)、「藤内遺跡」(とうない)。富士見町。

土偶の破片」。釈迦堂遺跡。釈迦堂遺跡博物館で2011年撮影。

縄文時代前期。
バラバラになった頭、胴、手足、
1,116個の破片が、一括して重要文化財になった。

病気の部分と同じ部分を、土偶の本体から身代わりにもぎ取って、
ゴミ捨て場に捨てたり、祀ったりして、病気の快復を願った。

釈迦堂遺跡博物館」。

中央自動車道のパーキング・エリアを建設するときに「釈迦堂遺跡」が見つかった。
甲府盆地を眺めるブドウ畑の斜面にある。

十字形土偶」。三内丸山遺跡、青森市で2012年撮影。

縄文時代中期。
両手を広げ、まさに十字形の板状だ。
目が大きく、丸い口、三角の顔。
丸型の乳房とヘソがある。

上半身は、厚手の服を着ているが、
下半身は、なんとパンティだ! それも薄めの。

三内丸山遺跡」、縄文時遊館。

大きく豪華な施設。受付と広いロビー、展示室の「さんまるミュージアム」、
100人の椅子がある「縄文シアター」、ミュージアム・ショップ、体験工房、
「れすとらん五千年の星」、みやげ物や「北彩館」が円形に並んでいる。

円錐形中空土偶」。鋳物師屋遺跡。山梨県立考古博物館で2011年撮影。

縄文時代中期。
複製。大きな目と口をしていた。
すそが広がったワンピース着ている。
ヘソからノドまである長く太いスジがチャックのようで、強烈だ。

巳を戴く神子」、八ヶ岳山麓の「藤内遺跡」。富士見町。

縄文時代中期。
「井戸尻考古館」、八ヶ岳山麓の富士見町。絵はがきから。
ヘビ(マムシ)が頭でとぐろを巻いていて、
「今にも、飛びかかってきそうだ」

井戸尻考古館」。

「井戸尻考古館」は、「藤内遺跡」(とうない)から出土した、
「巳を戴く神子」をはじめ、「神像筒形土器」ほか、
重要文化財199点を所蔵している。
「藤内遺跡」は「井戸尻考古館」から、
北に車で2.8キロメートル。緑地で、標柱、
「藤内遺跡」が、その場所を示している。

「合掌土偶」や「三内丸山遺跡」については、つぎを参考にしてください。
「合掌土偶のなぞ」、2012年1月29日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/30198ea423fc91bd965ad8057c9b7074

「三内丸山遺跡のなぞ」、2012年2月5日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/b0bf8e9e26a45b35e23cb26e15b3504d

重要文化財で土偶の「形」を見ると、
最初は破片だったり、十字形の板状だったが、
縄文時代中期になると、「円錐形中空土偶」や、
「巳を戴く神子」のように、立像になっていく。

そして、国宝の土偶は、独創的な造形美だ。
5000年後に、「国宝」になったことを知ったら、
縄文人は、喜んでいるだろう。
「努力したかいがあった」
「美しさを、現代人も評価してくれた」
「それに、考古学的な価値も評価された」
「縄文館が各地にでき、お客さんでにぎわっている」
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